共鳴した言葉、その1

ブログを書き始めようと思った理由の一つは

私は今、心から尊敬できる同僚たちに恵まれていて、

それから結構クラッシック界での有名人に接する機会も多くあり、

こういう人たちのこと、そして言葉を分かち合いたい、記録したい

と思ったこともあります。

と、いうことで昨日、私の大学時代からのピアニストの友達が長電話の中で言ったことです。

「本当に愛している対象とは、少し距離をおく努力をすべきだ。」

彼女は特に、好きな曲の好きな箇所、という意味で言ったのですが、

私にはこの言葉はいろいろなことに応用できる言葉だと思い、感じ入りました。

敢えて、音楽や演奏においてのみ、彼女がどういう意味でこれを言ったのか説明すると

例えば、曲の中で自分が特に思い入れの強い箇所でそこだけ感情的に力んでも、

多くの場合自己満足で終わってしまいます。

全体の中でそこだけ不自然に強調されてしまったり

また実際、無意識のうち肉体的に力んでしまい、不必要なミスをしてしまったり

あるいは歌い回しがくどくなり、自分は思いのたけをぶつけているつもりが

聴衆はちょっとしらけてしまったり。

たとえば役者が舞台で手放しに号泣しても、それは効果的な表現ではない場合が多い。

むしろ感情を押し殺して、セリフをつぶやいた方が観客を泣かせたりする。

同じようなことを私も昔から考えていて、よく演奏中に入り込みそうになる自分に

"Do your job, do your job"

と言い聞かせることがあります。

私の仕事は感情的になることではなく、音楽を伝達することである。

私は自分の感情に固執せず、ある程度流さなければいけない。

常に全体像を忘れない、という意味でも、この言葉は大事だと思います。

この言葉は、音楽という営みそのものにも当てはまると思います。

私や、私の同僚は、大袈裟でなく、実際に音楽に人生を賭けています。

だから、演奏会で失敗したり、厳しい批評を受けたりすると

もう本当に人生が終わったような気持ちになってしまうことがあります。

それから、同じ理由で演奏前、命が危険にさらされているような緊張感も味わったりします。

(これは蛇足ですが、俗に「ステージ・フライト(舞台上での恐怖)」として知られる現象は、

体が命が危ないと誤認するから起こる症状だそうです。

例えば心臓がドキドキするのは、パッと走り出して逃げられるように、とか

手足が冷たくなるのは、体の先端が切れた場合出血が最小限で済むように、等)

しかし、実際は「たかが音楽」

そうなのです、私が音をミスしても誰も死にません。

そういう意味では、運転の方がよっぽど怖い!

そう腹をくくれば、緊張もせず、最終的にはずっと良い演奏ができたりするのです。

そしてある夜の一演奏で少々失敗しても、音楽の道を歩むという大きな目標を見失わずに

ずんずんと次の日からまた前進する図太さを持ち続け、

最終的にはより良い音楽家になれるはず!

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