お化けから学んだ事


ハロウィーンと言う祭日は、日本語ではどのように訳されるのか知りませんが、日本のお盆と奇妙に似ていて、あの世の霊が訪ねてくる日とされています。10月最後の日と決まっていて、その日になると子供たちは思い思いの仮装をして近所を練り歩き、一軒一軒訪ねて行っては「Trick or Treat!(いたずらされたくなきゃ、お菓子を頂戴!)」と決まり文句で挨拶しながら、頭陀袋にお菓子を集めて回ります。
子供の時仮装をしてお菓子を集めて回って以来、私にとってずっと余り縁の無い祭日でしたが、今年は違いました。 学校から有志15人が集まって「Knott’s Scary Farm(ノッツの恐怖農場)」と言う遊園地に行ったのです。園内を13日の金曜日のフレディー(電気鋸付き)やグーニーズの奇形大男や、狼男や怖いピエロや、色々な仮装をしたアルバイトが一杯うろついていて、スキを狙って脅かしてくる、と言う企画の遊園地で、乗り物だって、ディズニーランドなどよりずっと怖くて、機械仕掛けの人形にまじってアルバイトが隠れていていきなり大声を上げたり、すれすれまでよってきたり、時にはつかんだりして脅かしてくるのです。
…と言う大体のコンセプトは行く前に聞かされて知っていたのですが、遊園地に入ってまだ気持ちの準備が出来る前に、私はイキナリお化けのターゲットになってしまいました。門を入った所でまずスケートボードに乗ったお化けがサーっと私によって来ました。そこで悲鳴を上げたのが、私の大間違いで悲鳴を聞き付けたそこら辺にいたお化けが全員私によってきたのです。一緒に来た友達は気がつかないで先に行ってしまい、唯一私に気がついた友達もなすすべも無く「こっちにおいでよ」と手をひらひらさせるだけです。なにしろ囲んで前に進ませてくれないから、私はもうどうしていいか分からなくて頭はパニック状態で、これはただのアルバイト、と頭では分かっていてもフレディーはウィンウィン電気鋸を鳴らすし、後は何がこわかったのか覚えてないけど兎に角怖かった。かなりの時間立ち往生して段々お化けも許してくれたのか、飽きたのか、一人二人と減って行き(本当は3人しか居なかったのだけれど、感情的にはお化けの軍団に囲まれている感じだった)最後の一人をやっとやり過ごした時には私はもうとても楽しむ気分じゃなくて、「遊園地中こんなんだったら、私はもう帰る!」とか子供のような事を一杯言ってみんなを困らせました。それからだんだん楽しくなって、ジェットコースターに乗ったり、おやつを買い食いたりしているうちにもうお化けに脅かされても「怖くない」とうそぶけるようになって最後はるんるんで帰宅したのですが、それから色々考えるきっかけになりました。
私は大体子供の頃から大変な怖がりで、小児科医に注射を言い渡されるたびに病院中を泣きながら逃げ回ったとか、ディズニーランドのミッキーマウスを怖がったとか、漫画のような本当の話がいくつもあるのですが、今回はさすがに自分でも(なんでだろう)と不思議に思うまで成長していたようです。そしてそれは演奏家としての自分について考える一つのきっかけにもなりました。
まず私はお化けに囲まれた時、もう既にお化けを正視することをやめていた―これは要するに自分の視覚から入ってくる情報より自分の固定観念、先入観を優先させていた、という事です。夜だった事を計算に入れても(この遊園地は暗くなってから開園するのです)きちんと見れば仮装なんてちゃっちい物だし、大体視点をさまよわせる事自体が自分の感情コントロールをすでにギブアップしている。ちなみにわたしの記憶は普段視覚より聴覚の方が鮮明なのですが、このときの記憶は兎に角フレディーの鳴らす電気鋸のウィンウィンだけが突出していて後はワーッという自分の耳が何にもフォーカスしていない(さまよっている視線と同じ)証拠の雑音です。
これは「走る」と言う演奏中あがった時の致命傷につながる事だと思います。「走る」と言うのはテンポが前へ前へ転んでいく事を言います。時にはもう正確な音を弾くことが肉体的に不可能な所まで走ってしまい、コントロールを失ったレースカーのようになったりする。「怖い」と思った時ギュッと目をつぶって兎に角その「怖い事」が早く過ぎ去る事を祈る、と言う姿勢、何とか問題対処をしようと言う積極性を全く放棄した状態―これは与えられた時空に自分の世界を提示するべき演奏家にとってはあるまじき甘えなのだと思います。
大体何がそんなに怖いのか。恐怖とは一体なんなのか。肉体的(あるいは感情的)苦痛、究極的には「死」を疎んじる気持ち?しかし、恐怖(別名「パニック」?)で回避できる問題と言うのは、あるのか。
恐怖と言う感情をつかさどる部分が脳の中にあるそうです。その部分が破損するとどうなるのか、と言うドキュメンタリーをテレビで見たことがあります。例えば蛇と一緒の檻に入れられたネズミが自分から進んで蛇にアプローチしてしまうとか、あるいは人間の場合(事故で脳のその部分が破損された方が)ホラー映画で人が残酷に殺されるのを見て笑ってしまうとか。また、「あがる」と言う現象について書かれた本も読みました。人前でのスピーチや演奏であがる、と言う状態は生態的には命が危険にさらされた時と同じ状態だそうです。例えば手が冷たくなる、と言う症状は怪我をした時、出血多量を抑える為に血のめぐりを悪くすると言う肉体的反応だとか、あるいは心拍数や血圧が上がると言うのは、パッと逃げる時の瞬発力を高める為だとか。しかしまず、演奏する、という事は命を危険にさらす行為ではないし、さらに命を危険にさらす状況でも知性によって恐怖心をコントロールしている人は沢山居る;例えば、格闘技の選手、あるいは侍などの戦士。「兵法家伝書」と言う武士道に関する本を読んでいたらば心構えのひとつとして「死を恐れない・生に固執しない」と言うのがありました。
ー.恐怖と言うのは自分の頭が作り出すものであり、自分でコントロール できる物である。
ー.常に現実をしっかり正視していれば、恐怖でコントロールを失う事は 無い。
お化けからこれだけ多くのことを学べるとは、思わなかったです。