ベートーヴェンのオペラ「フィデリオ」


9月6日、日本からLAに戻ってきて実に三日目にして始めて学校内から出て
久しぶりに町を探索していたらば、昔良く共演したNYのジュピターシンフォニーの
主席オーボエ奏者だったジェリーにばったりと出くわした。
お互い2、3歩通り過ぎてから「え!?」と言って振り向いたほど意外な遭遇で「何でLAにいるの?」と同時に叫んでいた。なんと知らぬ間に彼はLAオペラの主席オーボエの座を獲得していたのだ。 そしてその遭遇によって、私は今夜のLAオペラシーズン・オープニングギャラのティケットをゲットしてしまった。
さらに嬉しかったのは、演目がベートーヴェン生涯唯一のオペラ「フィデリオ」だったことだ。私はこの頃深くベートーヴェンにはまっていて、来週末のマンハッタン・ビーチでの独奏会はベートーヴェンのソナタ4曲(作品2-1、2-2、54と「熱情」)を演奏しようと張り切って練習している所だったので、本当に運命を感じてしまった。
オープニング・ギャラなので、皆着飾って来ている。ファッションショーみたいで興味深い。そしてロビーではサービスでシャンペンが配られている。 とても嬉しいが、私はベートーヴェン一筋なのでグイっとシャンペンを引っ掛けて猛然と勉強の為にプログラムを読んだ。(お洒落はちゃんと相応にしていったので、ご心配なく)
「フィデリオ」のあらすじは、こうだ。
スペインの貴族であるフロレスタン(Klaus Florian Vogtドイツ人テナー)は、役人ピツァーロに歯向かい投獄されている。 殺されたのでは、と巷ではうわさされているが、彼の妻レオノーレ(Anja Kanpeドイツ人ソプラノ)は彼の生存を信じ、夫がいるはずの牢屋の管理人(Matti Salminenフィンランド人ベース)の下で若い男”フィデリオ”に変装して働いている。 管理人の娘、マルツェリーネに惚れられ、管理人にも義理の息子とまで見込まれながら、レオノーレは間一髪の所で瀕死の危機にさらされていた夫を発見、助け出す。 勧善懲悪のハッピーエンド。
ベートーヴェンは10年以上(1804-1814)にわたってこのオペラの改正を続けた。このオペラがこれほどまでに彼にとって重要だった背景には啓蒙主義とフランス革命、ナポレオンのヨーロッパ占領・統治などの時代背景がある。困難でも正義の最終的勝利を信じるこのストーリーは歴史的背景と、さらにベートーヴェンの聴覚喪失と言う個人的悲劇から生まれた彼自身の英雄精神の反映と言える。
私が一番感動したのは、一幕目の後半で囚人達がレオノーレの働きかけによってそれぞれ投獄以来初めて中庭にでて日の光を浴びる事を許される場面だ。男性コーラスが囚人として生きる苦しみと、日の光を体感できる喜びを交互に歌うのだが、もう鳥肌が全身に立つほど感動した。
逆に可笑しかったのは夫・フロレスタン役のテナーが物凄く健康的な声の人だったことだ。水も満足に飲ませてもらえないほど虐げられているはずの役なのに、実につややかな健康優良児のような声で、おまけにボリュームたっぷり。全然同情が出来ない。これは配役ミス。そして脳天気みたいにどこまでも高い音が苦労なく出てしまう。
レオノーレ役のソプラノはさすがに上手い。夫を思って歌うアリアで思わず涙してしまった。声が良いとか音楽性とかよりも、本当に役になりきっていることが胸を打ったと思う。 男性の振りをしている女性を歌う、という事で音域も広いし、大変な役だろうに、全然違和感無く感動した。
それからもう一つの大きな見所は監督・演出を手がけたPier’ Alliによる映写を使った舞台演出だった。第一幕は単調なセットで、ただ舞台の背後に牢屋の格子を思わせる灰と黒の太い縦縞が描かれているだけ。 休憩を終えて席に戻り相変わらず縦縞を眺めている…と思いきや序奏が始まるとその縦縞が実は映写で、それがゆっくりとズームインされはじめる。始め観客はその縦縞が休憩前の舞台後方の壁に描かれていたのと同じ物と思い込んでいるため、映画が動き始めると、まるで自分が牢屋の中に吸い込まれていくようなめまいのするような錯覚が起きる。 見事にだまされた。 ただ、観客がゆっくりと驚嘆の声を上げ始めそして拍手を始めたので、第二幕の序曲が一部聞こえなくなってしまった。 そのあとは第二幕全体にわたって舞台背景が映写を利用して奥行きが深くなったり、映画と実際の出演者との組み合わせで舞台上の人の数が物凄く増えて見えたり、色々細かい工夫が多くて面白かった。
本当に今日の午後、散歩の道の選択が一本違っても、タイミングが一寸ずれても起こらない偶然のお蔭でこんなに感動してしまった。