おばあちゃんと、ゴールドベルグ変奏曲


生まれたら死ぬ。出会ったら別れる。

そしてその一々に感動し、みんな成長していく。

 

今年は沢山の人を見送る年だ。

 

2月28日に、私のアメリカン・ファーザーのエドが91歳で大往生した。

16歳の時に転勤で日本に帰った私の家族に同行せずジュリアードでの勉強を続けた私を

ホスト・ファミリーとして妻のジョーンと共に家族の一員として引き取ってくれた。

高校を卒業するまで一緒に住むと言う約束をはるかに超越して

大学に上がってからも成人してからも地下室には私のピアノを残して私の練習室とし、

2階には私の部屋をそのままにしてずっと取っておいてくれて、

祭日には良く「里帰り」をさせてもらった。

 

大岡和夫さんは私のNYの心の拠り所、親戚のおじさんの様な人だった。

最初にハワイでお会いしたのは多分2004年。

今年の6月22日に逝かれるまで12年間、

沢山の美味しいお食事と楽しい談笑と人生相談を一緒にしてもらった。

私がNYで行う演奏会にはほぼ毎回、奥様の早苗さんと一緒にいらしてくださった。

私も和夫さんの絵や彫刻が並ぶスタジオに良くお邪魔して色々感銘を受けた。

絵のモデルをさせて頂いた事もある。

 

そして今10月、松江で私のおばあちゃんが昏睡状態になってしまった。

90歳。

私には子供の頃からずっと「おばあちゃん」だったけれど、

私が幼児の頃はまだ人生半分の分岐点を通過したばかりの所だったんだなあ。

香港に転勤移住するための準備をするため、1歳になったばかりの私を母は実家に預けた。

何週間くらいお世話になったのか。

「郵便屋さんでもだれでも人が玄関に来るたびに挨拶をしに出ていく子供だった」と

何度もその話しを私にしてくれてはカラカラと笑うおばあちゃんは毎回

(不憫にも母親を探しているのでは)とか言った感傷を一切許さない口調で回想した。

自分自身の苦労人生を思わせるような明るさと厳しさを、私はそこに見る。

「人生の一番良い時を戦争に台無しにされた」とよく言っていた。

私が大病をする度に、退院後の療養生活は母の休養も兼ねて松江に帰った。

療養中の日課のお昼寝から起きるといつもおやつを用意してくれていた。

私がする病気はいつも滋養をつけなさいと言われ続ける、食事制限が無い物だったので、

美味しいものを一杯食べさせてくれた。

おじいちゃんがバイクを走らせて新鮮なお魚を入手して来てくれて

それをおばあちゃんとお母さんがおろして

松江の宍道湖で取れるすごくおいしいお刺身をお腹いっぱい食べた。

お刺身もだけど私はおばあちゃんが作ってくれるあらの煮つけが大好きだった。

醤油が多めでしょうがが一杯入っていて、甘辛くて美味しいのだった。

おじいちゃんが亡くなってから十数年、カーブスと言う女性専用ジムの最年長会員になって

家事一般を全部ひとりでこなし、ヘルパーさんを拒絶し、好きな読書をしながら

本当に数か月前まで一人暮らしをしていた。

おばあちゃんは頑張ったのだと思う。

 

昏睡状態って夢は見るのだろうか。

おばあちゃんは何かを想ったり考えたりしているのだろうか。

 

私は松江の生協病院でお母さんに付き添ってもらって昏睡状態のおばあちゃんを想いながら

ゴールドベルグ変奏曲を弾く。

ゴールドベルグは通奏低音の上をさまざまな30の変奏がそれぞれの世界を繰り広げ、

そして一番最後に一番最初のアリアがそっくりそのまま戻ってくる。

私たちもおんなじ。

私もいつかは死ぬ。

おばあちゃんも弱ってしまって段々順番が近くなってきてしまったのかも知れない。

でもおばあちゃんが私にくれたものは私が引き継いで

そして私が関わる人々全てに間接的におばあちゃんの影響が伝わっていく。

皆個性が在って、関係が無い人生を孤立して歩んでいるようで、

本当は皆つながっていて、みんなが居るから自分が居るし、自分が居るから皆が居る。

 

もう10年くらいおばあちゃんとは毎年、

日本に帰国したその日と演奏の翌日とアメリカに帰る前日の電話の会話だけになっていた。

「行こうか」と言ったら「お世話もできんし、良い」と断られてしまった。

でも、私はおばあちゃんの声や姿や一緒に食べたごはんや

色々な思い出が今朝、ありありと思い浮かぶ。

松江のおばあちゃんちの居間の木漏れ日。

おばあちゃんちのにおい。

鳩の鳴き声。

朝、家の近くの空き地から聞こえるゲートボールの音。

おばあちゃんちの裏にある高校のブラスバンドの練習する音。

おばあちゃんと朝の連ドラを見ながら食べる朝ごはん。

 

おばあちゃんは10年位前に目が悪くなるまではかなりの腕の日本画家だった。

おばあちゃんが描いたこけしの絵は今でも和夫さんの野菜の絵の横で

私のヒューストンのアパートを飾ってくれている。

エド、和夫さん、おばあちゃん―みんな、私の一部。

私の弾くゴールドベルグにもエドや和夫さんやおばあちゃんが居る。

そして私もいつかは私の生徒が弾く音楽の一部になっていく。

 

ゴールドベルグは美しい。

音楽人生、万歳。

おばあちゃん、ありがとう。