音楽人生


US-ジャパンリーダーシッププログラムのご縁でお会いすることの出来た退蔵院副住職でいらっしゃる松山大耕さんの記事です。音楽家として、皆さまの心により寄り添った活動をするにはどうすれば良いのか試行錯誤をしている自分にはとても考えさせられる記事でした。 「孤独死」は本当にいけないことかこの度、京都新聞夕刊一面「現代のことば」で1年間連載をさせていただくことになりました。40名ほどで週末を除く毎日交代で担当するので、だいたい年に7回ほどの連載になる予定です。初回ではありますが、… Posted by Daiko […]

皆さまの心に寄り添った音楽活動とは?


昨日は千葉女子専門学校と障碍福祉サーヴィス「まあるい広場」、そして千葉の「平田真希子応援団」の皆さんのご協力により、障碍者とその家族のための音楽会が実現しました。音楽が特に自閉症などをお持ちの方々に効用を発揮することは証明されていますが、でも実情ではこの様な方々が普通の演奏会にご出席なさりにくいのです。通常のクラシックの演奏会では聴衆は儀式のルールにのっとった行動を期待されます。静粛不動で、決められた場所で拍手をする。それは、正直なところ大方の人に窮屈なのではないでしょうか?特に、色々な事情をお抱えの方々はこのルールに徹するのは無理がある場合が多いのですが、そうすると他のお客様のご迷惑になる場合があり、ご家族も恐縮されてしまいます。だから障がい者とそのご家族が、何の心配も気兼ねも無く、堂々とおおらかな気持ちで音楽を楽しめる会が出来れば良いな~、といつも機会を探しています。 昨日は思いがけず多くの方々にお越しいただけました。主に自閉症、ダウン症と言った知的障碍をお持ちの小さなお子様から大人まで、そしてそのご兄弟や保護者の方々、そして施設や団体関係者の方々など雲行きのあやしい土曜日の午後でしたが、120名位の方々がお集まりくださいました。中には車いすの方もいらっしゃいます。(音楽会の会場に居る!)と言うだけで興奮と緊張のあまり車いすの中で跳躍の様な動きが何分も止まらない男の子も居ました。開場前の私が少し練習の手を止めると、その度に一生懸命一々拍手をして下さる方も居ました。 時間が来て会が始まった時、私はまず音と言う物がいかに空気の振動で耳の鼓膜だけじゃなくて、聞いてくださる方を囲んでいる空気の全てを振動しているか、と言う事、だから私はピアノを弾くとき、聴衆の皆さまを一人ひとり優しく触れるつもりで弾いています、と言うお話しをしました。そしたら最前列の女の子が自分の頬っぺたを優しく触れているのです!うれしい…。そしてみんなの興奮を沈め、音に集中してもらうために、まず一音だけぽ~んと弾きました。そして皆には手を挙げてもらって「音が段々小さくなって、もう聞こえないと思ったら手を下げてください」とお願いしました。そしたら会場の空気が本当に集中して来るのが手に取るように分かったのです。不思議な感じでした。 その次にバッハの平均律集一巻から前奏曲一番を弾きました。 「この曲はいつも同じフレーズが二回繰り返されます。皆で一回目に息を大きくゆっくり吸い、二回目で大きくゆっくり吐いてみましょう」と言ってまずデモンストレーションをした後に曲を弾き始めました。そしたらみんな本当に一生懸命私と一緒に息を吸ったり吐いたりしてくれました。 […]

障がい者とご家族のための演奏会


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昨日は千葉美浜文化ホールでの「『天上の音楽』vs.地上の音楽」でした。音響もピアノも素晴らしいホールで前々から今年も楽しみでしたが、本番前の練習の時、あまりにも音がきれいで練習し過ぎ無い様に、本番のために体力温存するため自分を制するのが難しい感じでした。こういう時、本番前は結構苦しいです。素晴らしいごちそうを目前に、お預けを食らっている感じです。 今、昨日の録音を聴きながらブログを書いていますが、素晴らしいピアノや音響と言うのは奏者を勇気百倍にし、また実際の助っ人にもなってくれます。私も昨日は本当に気持ちよく弾けました。まだまだ課題は多いのですが、でもきゅりあんよりも自分本位の演奏が出来た、と自負しています。 でも、ゴールドベルグを演奏する前にちょっとしたハプニングが… このブログを読む方の中には「寝耳に水」の方も多いかと存じますが、私実は毎年恒例で17年間行ってきた日本での演奏活動に一つのピリオドを打とうと思って今年は来日しています。今の形ではあまりにも家族や応援の会・応援団の皆さまへの負担が大きいと言う事、そして私ももう音楽博士の学位を頂き、長かった学生生活に終止符を打ち、ボランティアの方々に頼らなければ出来ない活動は辞めようと思ったのです。品川きゅりあんの際には、嬉しい演奏会の場で、その事をお客様にご披露するのも水を差すようで気が引けしなかったのですが、千葉の方では主催者をずっとしてくれていた叔母から「話しをしてくれ」と言われていましたので、ゴールドベルグの紹介の最後にちょっと言い始めたのです。 「私が今年特にこのゴールドベルグ変奏曲を弾きたかった理由は長~いこの曲の最初と最後にそっくり同じ形で提示される美しいアリアに、時間の不思議さと感慨深さを感じたからです。17年間、私も多大なご支援を得て演奏をしてまいりました。長いようでも短いようでもありました。色々な事がありました。私自身も色々経験・成長しましたが、お客様も皆さま色々おありでした。長い介護の末親御さんを亡くされた方も居ます。生涯の伴侶を亡くされた方も居ます。ご自身がずっと闘病生活を送りながら『来年も真希子ちゃんの演奏が聴けるように一年また頑張ります』と毎年おっしゃってくださった方も亡くなってしまいました…」ここで、ウっとなってしまったのです。自分でも全く予想していなかったことでした。でも本当に沢山の方のお顔が思い出されて感無量になってしまったのです。感謝と、『愛』としか言いようのない気持ちに襲われてしまったのです。 […]

壇上で涙してしまいました…自分でもびっくり!



私は、もしかすると一見滑稽と思われるかも知れないくらいの巨大な志を持っている。 それは、音楽活動を通じて世界平和に貢献したい、と言う事である。 音楽は想像力を刺激する。時空を隔てた作曲家の境遇に思いを馳せ、その気持ちに寄り添いたい、と思わせてくれる共感を促す。更に、時空を共にして音楽を共体験することで、縁在って同じ演奏を共有することになった隣人との一体感を実感することが出来る。 私は人類と言うのは共同体だと思っている。この考え方で行くと、自分だけ幸せになる、自分だけ豊かさを楽しむ、と言う事は不可能になる。激痛にのたうつ人を目前にステーキのおいしさを堪能できる人は、私の考えでは人類の一員ではない。不幸せな隣人の横で、自分の幸せに優越感を持てる人も、人類の一員ではない。潜在的には私たちは、人類全体の幸せや不幸に自分の幸せ度を左右される、そういう生き物だ、と私は思っている。成長痛と言うのもある。必要悪と言うのもある。でもそう言うチャレンジは自然に発生するものであって、お互いわざわざお互いを痛め合わなくとも十分あると思う。 例えばシリア難民を受け入れるか否か、と言う問題はこういう考え方で行くと自明になってくる。勿論、難民を受け入れると言う事は大変な事だ。限りある財政、資源、そう言ったものが自分や自分の家族・子孫に十分残るか、と言う危惧は物凄く現実的な物だと思う。でも、究極的に考えて、私は一人だけ十分な食事を取って生き延びるより、皆と共同体として飢餓を経験する方が良い。最終的にそれが死に至っても。また周りには色々な困難に直面している人が沢山いる。人種差別や性差別に苦しんでいる人、貧困(2012年から14年の統計によると私が現在住んでいるテキサス州の17.2パーセントの家庭が食べる物が十分に無い)、奴隷(現在、自分の意思に反して報酬無しで働かされている人達は史上最高の人数だそうだ)、暴行… 気持ちが萎えるような現状の多くは、マスメディアやインターネットの浸透により、人々がどんどん共感が苦手になって来ているからなのでは?と言うのが、私の自説。そして、私がじゃあ個人的に何が出来るかと考えて、演奏と自分が伝授された音楽の知識を使って共感に喜びを感じてもらえるきっかけを作る、と言う事だと思う。 […]

私の大志


今週は盛りだくさん! 水曜日に日本から両親、そしてニュージャージーから私のアメリカンマザーが来てくれます。 木曜日の夜に、ライス大学にあるDuncan Recital Hall(at […]

いよいよ卒業!


3月末から私の7枚目となるアルバム「100年:ベートーヴェン初期作品2-1(1795)とブラームス晩年作品120(1894)」を私の心の友であり良きデュオ・パートナーのクラリネット奏者佐々木麻衣子さんと収録している。ベートーヴェンのピアノソナタ一番と、ブラームスのピアノとクラリネットのためのソナタ1番と2番。 自分のこれまでの6枚を含め、録音はもう二十年近くにわたり色々手がけて来たが、録音と言うのは本当に厳しい。素晴らしい試練と言えばポジティブだが、自己批判をしながら弾くと言うのは苦しい物である。 演奏中、3人の自分が居なければいけない、と言う事はピアノのレッスンなどで良く言われる。そこまでの自分の演奏を良く聴いて評価する自分、演奏に集中する自分、そして現時点以降の曲の展開を考える自分、である。録音の時にはこの最初の自分がとても大事になる。できるだけ効率よく、完璧に近い演奏を収録するためには、今進行中のテイクを続けるべきか、ここで中断して違うテイクを弾き直すべきか、常に判断しながら弾き進んでいる。 生演奏の場合、過去のミスは忘れるしかない。ミスをしたら大事なのはいかにそのミスの影響を最小限に食い止めるか、だけ。その為には演奏する自分と、現時点以降の音楽に集中する自分の方がよほど大事になる。音楽と言うのはコミュニケーションだ、と私は思っている。自分の気持ち、自分が美しいと思う物、そう言う物をシェアしたくて自然発祥すると言うのが音楽の理想的な在り方だと思う。だから生演奏では、お客さんのエネルギーと言うのが私の演奏を大きく左右する。お客さんがいっしょに乗ってくれるとワクワクする。ピーンと空気が緊張して無音の状態よりもさらなる静寂と言うのをお客さんと分かち合う、と言うのも物凄い一体感だ。この前(3月23日)にアジア・ソサイエティーで演奏した時は、リストのハンガリー狂詩曲で聴衆に参加を呼びかけたら、みんなノリノリになってくれた。 ROCO […]

演奏と録音の決定的な違い



私が医療と芸術の相互作用に最近興味を持っていると言う話しをしたらば、 寺田寅彦さんの『科学者と芸術家』と言うエッセーを送って来てくださった方が在った。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/1108_13798.html 科学者と芸術家と言うのは実はその理想追及の姿勢、独創的な発想、想像力と想像力、 そして「美」を愛でると言う姿勢に於いて、共通点があるのではないか、と言うエッセー。 […]

科学と芸術の共生について寺田寅彦が言った事