暗譜で弾く、と言うこと

演奏会の後、聴衆の方に「暗譜で弾かれるのは凄いですね~」と良く感心される。 確かに、暗譜と言うのは少なくとも私にとって演奏への準備の努力の大きな部分を占める。 ソロの演奏で暗譜が必修なのはピアニストだけである。 ニューヨーク・タイムズの音楽評論家は何年か前に一度 「本当に暗譜と言うのはそんなに必要なのか?  暗譜を必修にしなければピアニストのレパートリーは広がり、 演奏中の事故は減り、プラス面が多いのではないか?」と言う記事を発表した。 暗譜で弾くことによる利点と言うのも、逆に在る。 詩を朗読する際、活字を読みながらの朗読と、暗記でする場合の感情移入と言うのはやはり増えると思う。 しかし、自分の記憶に自信が無い場合、それで集中が途切れてしまう場合がある。 また曲や奏者によっては、暗譜をするまで弾き込んでしまうと新鮮さを失って逆効果の場合もある。 しかし現実問題、今の世の中で楽譜を使って堂々と聴衆からお金を取った演奏会をするのは勇気が要る。 私は自分の勉強・修行も兼ねて今までの演奏は全て暗譜で行っている。 暗譜でする演奏と言うのは目的地に向かって歩いて行くのに似ている。 地図や道順が頭に入っている場合は、道端の花や景色を楽しみながら自由なペースで行ける。 ただし、自信が無い場合や、始めから方角がきっちり分かっていない場合は恐怖である。 裏覚えのヒントを必死で探し、それだけを藁にもすがる思いで進んでいく。楽しいどころでは無い。 もともと方向感覚の優れている人と言うのもいるし、方向音痴の人もいる。 それと同じで始めから曲の構造(地図)が簡単に頭に入る人とそうじゃ無い人もいる。 ただし、地図が頭に入っていても、その日の集中の度合いや調子によっては 道筋を間違えたり、突然方角や道順が分からなくなったりするものである。 これを阻止するためには、いつも次の道、次の道しるべ、と先を考えることである。 しかし、「良い演奏」と言うのはその瞬間瞬間に自分を投じて、計算をしないことである、と私は思う。 前読みと、瞬間瞬間に一所懸命になる、 この二つの相反する意識のレヴェルをどうバランスするか。 これが、暗譜の難しさだと思う。

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