夢中と夢中の間

私は人生の方針として、幾つか自分で決めている事が在る。 その一つはなるたけ多く、「無我夢中」とか「我を忘れる」位熱中出来ることをしている時間を出来るだけ多く持とう、と言う事だ。その為の労力は厭わない。過去も将来も関係ない。ただ、一所懸命にその瞬間、瞬間を飲み干すことだけに没頭する様な時間。自分の姿勢だけではどうにもならないスケールで、私はそう言う機会に多く恵まれて来ている、と思う。本当に、有難い事だ。 でもそう言う瞬間の総体の人生、と言うのはあり得ないと思う。一貫性に欠いてしまうだろうし、多分人間の身体も感性もそんなに多くの刺激をプロセスし続けることは無理じゃないのか、少なくとも私には無理な様な気がする。 そして、その「夢中」と「夢中」の間、と言うのは誰でも自分を持て余してしまうものなのだろうか? 疲れとメランコリーをしっかりと意識して分けていないとすぐに感情の中で一緒になってしまう。 今朝はゴールドベルグ変奏曲を練習することで始めたが、2時間くらいですぐに没頭できなくなってしまい、そう言う自分がもどかしくて、どうしよう、どうしよう、と歩きまわって急に非常な疲れに気が付いた。ちょっとのつもりで横になったら2時間ほど泥の様に眠ってしまい、起きた時は自分がどこにいるのか覚えていなかった。 そうかあ、私は疲れているんだ。 午後は締め切りを延ばしてもらった今学期最後のペーパーの校正と整理、メールなどの雑用、そして散歩を、全てちょっと上の空でこなして行った。夜はホームステイ先のクリスマス・ツリーの設定と飾り付け。 一度パリに居る時、練習していたら完全に没頭してしまい、一段落した時窓の外を見て、自分がどこにいるのか全く分からずに一瞬凄く混乱した。そう言う没頭を、次はいつ体験出来るんだろう。出来るだけ早くが良いなあ、と思う。 今日は、早寝。

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