今日、口答試験がありました。

口答試験で今まで落第した人は、緊張で一言も喋れなくなってしまった人と、態度が物凄く悪くって教授から凄く反感を買った人が最近では居るだけで、大抵の人は合格をするから、と言われては居たものの、やっぱり合格はかっこ良くしたいし、出来ることなら緊張しないで堂々とするために自信たっぷり、準備万端で望みたい! …と言う思いから昨日と今朝は金曜日の試験以来、久しぶりに辞書と教科書とノートに囲まれて、勉強をしていました。でも、(大丈夫だろう)と言う油断があったことは否めません。筆記が思いがけず簡単に感じられて(実は私って頭が良かった!?)と言う錯覚に見舞われていたし、筆記に比べてこれはただの会話。記録が残るわけじゃ無し、多いにごまかしが利くだろう、とどこかで思っていました。 歴史科から一人、音楽理論科から一人、そして私のピアノの教師が丸テーブルの向こう側に座り、私はこちら側にポツネンと座らせられます。ピアノの教師は私の見方。オープニングに、私のピアノに関する質問の回答がいかにこれまで見た中でも最高に良かったか、などとスピーチをしてくれます。ちょっと勇気付けられます。でも、その後の「それではあなたのドビュッシーのエッセーは素晴らしかったのですが、そこにもう少し肉付けしてもらいましょう。ドビュッシーの後世への影響、特にメシアンを始めとする20世紀半ばから後半にかけてのフランス人作曲家について話をして下さい」。打ち合わせ通りの質問にも関わらず、話し始めたら自分の口がからからなのに気がつき、それに気がついたらびっくりして緊張して、ちょっとしどろもどろに。準備していたことの半分も言えませんでした。その後、音楽理論の教授、音楽史の教授が順番に質問をしていきます。音楽理論の試験では私は4声部の作曲の質問の所で実に初歩的なミスをしていました。そこを教授がつついてきます。「私は学部生一年の時音楽理論のクラスで習ったと記憶している、あるミスをあなたはこの小節で犯していますね。そのミスは何か、そして何故、この声部の動きがルールを犯しているか、説明して下さい。」次は歴史の教授。「ワーグナーのオペラが何がそんなにオリジナルだったか、説明してください」。この質問は答えられる!私は張り切って話し始めます。「例えばバイロイトの劇場を自分のオペラ上演のためのみに建設したと言う事実、そしてその劇場のデザインからも分かるように、彼はオペラを娯楽とは考えておらず、むしろほとんど宗教的な,崇拝の対象と思っていました。この時代の作曲家は自分たちの芸術を非常に大事な物だと考えていて…」 「ちょっと待ってください。それまでの作曲家は自分たちの作品を大事だとは思っていなかった、と?」 「そうでは在りません。古典派以前の作曲家は音楽がなんらかの社会的役割を果たしていると思って作曲していました。例えば教会のための宗教音楽、宮廷音楽、など。それらの音楽は大体フォーマットが在って、それにしたがって勤め先の要望に答えて、作曲する。だから、百幾つのオペラを書いたりで切るのではないでしょうか?しかし、ワーグナーの時代には音楽は自分の分身です。芸術、自己表現、自分そのもの。」 「ワーグナーのオペラにはフォーマットが無い、と?」 「ゥ~ン、自分に課したフォーマットはありますが、それはそれまでの常識をほとんど極限まで試していて…」 「歴史や伝統から完全に自由になることなど、可能でしょうか?」 「それは可能ではないと思います。しかし、反抗と言う形で歴史や過去との関係を持つことも出来る」 「ワーグナーは反抗していた、と言うのですか?」 「ワーグナーは自分を伝統や歴史より偉大だ、と思っていたと思います」 「ワーグナーを同時期のオペラ作曲家と比べてみてください。誰がいますか?」 「Verdi,Rossiniはもうこの時期には作曲はしていませんが、でも彼の人気は続いていました。ベリーニ、ドニゼッティ…」 「イタリア人ばかりですね」 「オペラはイタリア発祥のジャンルです。完全に独立したドイツのオペラの伝統はWeberで始まっているのでは無いでしょうか?」 「ワーグナーのオペラは歌手に何を要求していますか?」 「…大きな声を持っていること…?質問の意味が分かりません」 「イタリアオペラを歌うのと、ワーグナーを歌うのはどう違いますか?」 「ワーグナーではレチタティーボ、アリア、などと言うセクションが無くて、延々と一人の歌手が独唱をする…(この人は一体私が何を言ったら素直に満足してくれるんだ!?) この間、この教授は本当ににこりともしないのです! 私は段々と焦ってきました。 そうやって押し問答が続くこと実に1時間くらい。 その後、楽典の教授が「それでは、部屋を出て待機してください」 と、実におごそかに宣言。 ここまで来ても、私はまだ一分後くらいには部屋に呼び戻されて、合格を告げられるだろう、と思っていました。ところが、廊下で立ちんぼすること、3分、4分、5分、いつまでも待たされるのです。「何でこんなに時間がかかるんだろう?一体何を協議しているんだろう? もしかして私の4声部の間違いが問題になっているんだろうか? 歴史の教授はなんか私のことをすごく反感持っていたみたいだし…)刻一刻と時間が過ぎるに連れ、私は自分の不合格にどんどん確信を深めていきました。(あの4声部の間違えはやばかった。去年は音楽理論のクラスを教授までしたのに…あの間違えは本当に恥ずかしかった。ああ、私はまだまだ勉強が足りない。私はここで合格するべきじゃない。私は不合格にしてもらって、もっと修行を積むべきだ…)と、考えているうちにドアが開き、 「おめでとう!合格です!!」 歴史の教授も楽典の教授も次々と手を差し伸べて、握手を求めてきます。でも、私はこの段階に及んでは素直に喜べませんでした。(あんなに協議してたくせに、そんなにニコニコして。。。) 「ああ、アレは伝統なんだよ。中では本当はお互いに近況報告とかしているんだよ。そういえば、楽典の教授は凄く真希子のことを褒めていたよ。『あの子は素晴らしいピアニストだ』とか言って」 そお、私のピアノの教授が教えてくれたのは30分後くらいです。 私がやっと素直に喜び始めたのは、一緒にパスした同級生のクララとビールを飲んで祝杯を挙げたころからです。やっぱり嬉しい! 合格!! 試験勉強、終わり! 人生、始まり!

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