暗譜の是非。

実は私、博士論文を暗譜の歴史と是非について書くことにしたのです! 文献を読み始めているのですが、 自分でも(何と素晴らしいトピックを選択したんだ!)と歌いだしたくなるほど面白い! 暗譜、と言うことを始めたのは 9歳の天才少女ピアニスト、クララ・ヴィーク(後にシューマンの妻)と、 同時期ヴィルテュオーゾとしてロックスター的人気を誇っていたリスト、と言うことになっています。 しかし、その長い西洋音楽の歴史の発展途上では色々な形の暗譜がありました。 まず、記譜法以前は当然暗譜。 そして、記譜法が発展してからも、楽譜、そして本と言うのは非常な貴重品。 今の私たちからは想像も出来ないほどです。 そして、例えば本に関して言えば「目次」とか「索引」とか言うシステムが確立するまで 数世紀かかっています。 しかも、中世時代の本は非常に大きくて重く、持ち運びなど不可能。 と言うことで、一度出会った文献は覚えるつもりで読まなければいけません。 (ノートを取る、と言う習慣も無い。紙もインクも貴重品) 記憶、と言うことと、記録、と言うことの関係を歴史を追って考えてみると、本当に面白い! 音楽に関しても、記譜法の発展、印刷の発展、そして調性の発展を追って、 楽譜から読む、と言うことと、暗譜から演奏する、と言うことの関係が複雑な発展を遂げます。 例えばショパンは、自分の曲を暗譜で演奏されることを嫌ったそうです。 逆にほぼ同い年のシューマンは、暗譜をする事によって演奏が自由になる、と奨励しました。 私は暗譜がいつも怖かった。 (忘れたらどうしよう)と心配すればするほど、忘れやすくなる。 暗譜しなくて良ければ、どんなにこの音楽人生、楽になるか!? この頃アメリカではこういう意見や記事が良く見られます。 それに、リチャード・グードやエマニュエル・アックスと言った著名なピアニストが 最近協奏曲でも楽譜を使って演奏するようになっています。 昨夜、ライス大学で私のピアノの教授Brian Connelly門下生に夜リサイタルがありました。 私もスクリャービンのマズルカ作品3-7と左手のための夜想曲作品9-2、 そしてドビュッシーの夜想曲と言う三つの小品を演奏。 この3つは昨晩の時点で全く違う暗譜の過程にそれぞれありました。 スクリャービンのマズルカは明らかなABA形式で、Aでは主題が変奏されていく。 単純な構築で、メロディーも覚えやすく、好きな曲で、 大して努力せずに気がついたら暗譜していた。 譜読みを始めたのは3週間ほど前。 暗譜していることに気がついたのは一週間ほど前。 同じくスクリャービンの左手のための夜想曲は2009年以降の持ち曲。 譜読み以来、大好きな曲で別に演奏の予定が無くてもいつもウォームアップで弾いていたし、 アンコールなどでもいつでも弾ける、本当に十八番。 でもこの頃ちょっと忙しくてここ数週間全然弾いてない曲。 最後のドビュッシーはこれは「おお!水曜日に演奏!」と言うことで この月曜日に一生懸命構築分析などしながら急いで暗譜した曲。 譜読みを始めたのは、マズルカと同じく3週間ほど前。 主題が変奏されていって曲が発展するのはマズルカと同じだけど、 転調やセクションとセクションの関連がちょっと入り組んでいて、マズルカより複雑な構築。 論理を使って暗譜した。 でも、暗譜に関する文献を読んでいると、 『こうすると暗譜が確実になります』と言うメソード本にも沢山出会います。 そう言うものを読むと試したくなるのが人情と言うもの。 …そして昨日の演奏の結果は? 三曲ともそれぞれ、違う意味で暗譜が不安でありました。 マズルカはメソードを使わずになんとなく暗譜してしまった。 果たしてきちんと構築を把握しているのか? 本番のプレッシャーで崩れるのでは? ノクターンはここ数週間一度も触っていない! […]

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