プロコ3番の演奏で学んだこと

『演奏中の異常な集中力 → 意識の高揚 → スロモー現象』 「走る」と言う現象があります。 これは、演奏中なぜか、どんどん前転がりにテンポが速くなってしまうことを言います。 非常に一般的、かつ致命的な現象で、皮肉なことに難所ほど走りやすい。 これは何故なのでしょう。 『難しい』と言う意識が集中力をアップさせ、 その意識した集中力が時間をスローモーション状態にしてしまう、カラでないでしょうか? これは、球技ものの漫画などでそれまで見えなかった強敵な玉が「み、見える…」と言う場面や、 格闘技や戦闘漫画などでもやはりそれまで見えなかった強敵の技が「み、見える!」と言う、 あの現象と同じだと思います。 さらに本番中の緊張が高まるとこの現象は倍増します。 緊張すると、心拍が早くなりますよね。 あれは、体が勝手に状況を「命を脅かす危機」と判断し、 すぐにでも走って逃げられるよう、体を準備しているのだそうです。 この時の五感の鋭さを、先ほどの「集中」状態にプラスすると、 スローモーション現象はさらに倍増します。 しかし、この「走る」と言う現象が何故致命的か、と言うと クラシックの難曲の中の難度の高いパッセージと言うのは すでにもう人間の限界に近いところで挑戦している。 そこで、自分の時間の感覚が遅くなってしまい、 それまで一秒間に20音弾いていたところを 30音押し込もうとしても、それはもう肉体的に不可能、と言う状態になるのです。 意識的には、いつもより速く弾いているつもりは無いのに、 なぜか指がもたついてしまい、絡まってしまい、事故に至ってしまう… では、どうやって「走らない」ための練習をするのか。 本番は意識してゆっくり弾く、その為にゆっくりの練習を怠らない。 さらに本番を常に録音して、自分の緊張状態と「走る」現象の比例を研究する。 など、など。 こう言うことは私はもう何年も前に把握しているつもりでした。 が、今回のプロコフィエフの共演はこれ等の認識を新しい境地まで押し上げる、 貴重な学習体験でした。 演奏会場は500席ほどの美しい教会。 かなり響く音響で、残響が長いことから、指揮者とゆっくり演奏することを始めから約束していました。 本番前、自分の心拍がかなり上がっていることを自覚した私は (オケと指揮者を信じて、兎に角彼らのテンポに合わせる)と心に誓い、 舞台に上がりました。 しかしこれがもう私の我慢の限界を試すほど遅く感じられたのです。 16分音符のパッセージはまるでハノンの練習のように感じられます。 歌うメロディーは息が続かない! 音と音の間をどう音楽的につなげるか、必死に工夫し、 我慢と集中の限界がもう極限に達し、 30分弱の曲を演奏し終わった時には疲労困憊でした。 本当にメトロノームと練習しているような自覚しかなかった私は少々不完全燃焼で、 立って拍手して下さっている聴衆、 休憩中褒め言葉の限りを尽くしてくれる友達、先輩、そして先生が にわかに信じられませんでした。 ところが、演奏を聞いてみてびっくり。 確かに「速い」演奏では無い…あの教会の残響が無かったらもっと速い解釈も十分可能だったでしょう。 でも、コントロールが聞いている分、むしろ興奮度の高い、 かなり聞かせる演奏になっていたのです。 …これだったら、私もっと難易度の高い曲も全然いけるじゃん!? 突然、視野がぱ~っと広がったような体験でした。

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