私にとって大事な物、その3「青春」

アメリカは飲酒年齢(21歳)に関して、日本よりずっと厳しい。 特に週末の夜とか週日でもある一定の時間以降の、 主にお酒をサーヴするお店への入店は、 年齢を明記した身分証名が無いと入店拒否される場合がある。 先日の金曜日、修士をやっている後輩とご飯を食べた後、 深夜近くに他の友達と合流する、と言う彼女に誘われて 「じゃあちょっとだけ顔を出そうかな」、とのこのこ付いて行った。 飲むつもりは無かったし、本当に10分とか20分とか一緒にすわるつもりで、 荷物はすべて車の中に置いていった。 そしたら身分証明が無くて、入店拒否されてしまったのである! 「…私、白髪があるんですけど…」 と言っても「褒められていると思ってください。とても若く見えるので。」と言われてしまい、 にこやかに、しかし頑として、このアラフォーの私を入れてくれない。 まあ、夜更かしは論文執筆にたたるので「縁が無かったんですね」と帰ってきたが、 ちょっと淋しいような、でも嬉しいような、複雑な気分だった。 この年で学校に属して音楽を勉強している人間は少ない。 自分より若い人に常に囲まれ、同年齢扱いされていると 多分身振り手振り、そして態度が若くなるんだと思う。 そして私は多分ちょっと童顔なのだ。 アジア人は若く見えるというし、 いまだに「学部生?」と、いかにも私より年下の人間に聞かれたりする。 子供の時は私は異常に背が高かった。 小六で165センチあり、 「オリンピックのバスケットボール養成チームがあなたを見に来るかも知れないから」、 と先生に言われたことがある。 実際には運動神経は皆無に近かったし、養成チームは結局来なかったのだが。 小学校3年生くらいから駅の駅員さんに (その頃は切符にパチパチ「使用済み」パンチを入れる駅員さんが居た) 「お客さ~ん、これ子供の切符ですよ~」と なぜかいつも胸の辺りをじろじろ見られながら言われたし、 小学校4年生の時には一度ラーメン屋さんで店員さんに 「OLさんですか~」と聞かれた。 私は一生、年齢不詳人間なのかも。 ”Youth”と言う詩がある。「青春」と言う日本語訳も有名だ。 青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心,こう言う様相を青春と言うのだ。年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ。苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。曰く「驚異えの愛慕心」空にひらめく星晨、その輝きにも似たる事物や思想の対する欽迎、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。 人は信念と共に若く 人は自信と共に若く 希望ある限り若く     疑惑と共に老ゆる 恐怖と共に老ゆる 失望と共に老い朽ちる 大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、偉力と霊感を受ける限り人の若さは失われない。これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至ればこの時にこそ人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる。 Youth is not a time of life – it is a state […]

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