日本の一般文化にちょっと触れ、ちょっと考察

私は、自慢では無いが、日本語の読書スピードが早い。 (英語はそれよりずっと遅いし、日本語はそのスピードが故に読み落としていることが多いと思う) 今年の芥川賞を受賞した「火花」は一日で読んでしまった。 まずその本の薄さにびっくりし、 次に一人称の視点から書かれた私小説タイプの小説なのに (やっぱりその方が特に今の文字離れが進んだ読者には受けるのかな)と思った。 これが芥川賞か...私が書いたら、取れるかな? マイナーお笑い芸人のキャリアを叩き上げのところから引退まで、 主にその師匠との関係を語ることで追う、と言う小説。 芸人としての苦労にはある程度感銘を受けたが、 その自虐的な笑いの取り方にはちょっとびっくり。 途中で結構感銘を受けたところもあるのだが、 最後の「おち(❓)」にかなり引いた。 一番感銘を受けたところは32ページ目にある神谷さんの指摘。 「平凡かどうかだけで判断すると、非凡アピール大会に成り下がってしまわへんか?ほんで、反対に新しいものを端から否定すると、技術アピールに成り下がってしまわへんか?本で、両方を上手く混ぜてるものだけをよしとするとバランス大会に成り下がってしまわへんか?」 ここで、(おお、伝統芸術―クラシックを含む―の難しさを上手くついている!)と、 とても嬉しくなった。 しかし、そこからは本当に私には憐れみだけが強調されているような、 いたたまれないような、共感がしにくいストーリーと登場人物の発展で、 後味がかなり悪く、 テレビで筆者がコマーシャルで 「あほが書いたあほな小説」とプロモーション(?)してるのを見たときには 「やめて~!!」と思った。 火花に前後して今年直木賞を受賞した「サラバ!」を読んだ。 (これは一週間くらいかけた) 私が私小説を書いたら(書ける、とは言っていない…まだ) 「火花」よりは「サラバ!」の方に近くなると思う。 しかし、彼女の文体、ストーリー展開、そして登場人物に平凡と極端が入り混じることなど、 この小説に登場するジョン・アーヴィングにすごく似ているように感じる。 John Irvingは私が一時かなり読んだ小説家で、 特にその「A Prayer for Owen Meany」はすごく良いと思う。 でも、日本語に非常に訳しにくい文体で、日本語でどれだけ読まれているか、私には疑問。 沢山の作品が映画化されているけれど、 でも「サラバ!」の作者は絶対John Irvingを読んでいる、と確信している。 英語で読んだのかな? 一冊だけ読んで、この作者についてどうこう言うのは申し訳ない、 もっと読もう、と思わさせてくれる。 今、読書中なのは篠田節子の「沈黙の画布」。 面白い。 面白いから、今かなり唯一に近い読書タイムである電車移動時間が待ち遠しい。 田舎の男性画家が死後、さまざまないきさつから脚光を浴びるにいたり、 その生涯も明るみに出て、 その作品と共にいろいろな人の考察と自己反省、 さらに芸術とは、芸術家とは、何かと言う問いかけのきっかけになると言う小説。 最後に、昨日「いつやるの?今でしょ!」と題された、 林修のレクチャーを聴きに行く機会が昨日あった。 彼のジョークは日本に一年約一か月の滞在しかしない私には理解できない、 日本固有なローカルなものが多く、(例えば芸能人や芸能界の話題、など) その彼のトークだけで関内ホール大ホールが90パーセント埋まる、と言う事実に […]

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