October 2015

FMブルー湘南で「スカッとスカぴあ」を担当しています。

もう初めて5年目なのですが、知名度を上げる努力をしてみようと決めたこともあり… ラジオ局FMブルー湘南78.5MHzで クラシック音楽番組「スカッとスカぴあ」を4か月に一回担当しています。 毎週土曜日の朝10時半からの放映です。 今週10月31日(土)から5週間、私の担当で 「ピアノ演奏史に観る女性観の移り変わり」と言うテーマでお送りします。 リアルタイムでこちらからもお聴きいただけますが、 放映が終わった後はダウンロードでどうぞ。 10月31日分はこちらからMP3のダウンロードが可能です。 http://xfs.jp/71a4c226f8586c4aebc0c3915bea97d2a491a9941d335d335d 今回のテーマは 「女性に弾きやすい曲、弾きにくい曲」特集! 一般的に女性に弾きやすいとされるのは小回りの指使いの多い いわゆる「真珠の粒を転がすような」と言われる曲。 その例として私のアルバム「Early Works by Maurice Ravel」から『水の戯れ』を。 そして女性に弾きにくいとされる曲は腕力を使う大きな和音や和音の跳躍が多い曲。 例としてはブラームスの協奏曲の一番を挙げて、抜粋で一楽章からお聴きいただきます。 最後に特番で「胸が大きい女性(とお腹の出た男性)に弾きにくい曲」と言うことで 腕の交差が多い曲を挙げ、その例としてスカルラッティのソナタを 私の「ハンマークラヴィア」のアルバムよりお聴きいただいて、終わりです。 本当は在外の私はスタジオ収録では無く、スカイプで収録しています。 いつも時差を考慮しながらスケジュールを融通してくださる (プロデューサー、かつご自身も素晴らしいシンガーソングライターの灯織さん、 ありがとうございます!) でも、気分を盛り上げるためにブルー湘南のスタジオの写真をアップしましょう。 ご感想など、お聞かせ願えれば幸いです。

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作曲家と演奏家の関係と、その間に入る楽譜

缶詰になって論文を書いていました。 朝から晩までそれ一本でリサーチをしながら書き進めので遅いのですが、 もう19世紀にタイムトリップをしてしまったような 時間も曜日も分からなくなるような3~4日を過ごしていました。 いやあ、18世紀後半から19世紀へかけての期間と言うのは激動の時代だったんですね。 農業革命、工業革命、貴族社会崩壊、ピアノと言う楽器の急発展・加速大量生産。 そして昨日の朝、取り合えず書いたものを提出して、昨日はその後練習です。 11月7日にあるテキサス作曲家5人を取り上げたピアノ・リサイタル。 もうあと一週間後! 昨日はその一人のために彼の曲を通し稽古しました。 手放しで褒めていただき 「何も言うことは無い!」と一回通しただけで帰ってしまわれたのは 拍子抜けだったのですが、まあ、良かったです。 いつも思うのですが、作曲家の視点と言うのは演奏家の視点と随分違います。 音一杯ミスしちゃったなあ、と謝るつもりで近づくと 「完璧だった!」とホクホクとか。 「ジャズっぽく」とか「瞑想の状態で」とか書いてあって (どういう意味だろう)とすごく考えて、作曲家にお聞きすると 「あれ!?そんな事、そう言えば書いていたね~」と言われて拍子抜けしたり。。。 そのギャップが生じる理由は二つあると思います。 1.演奏家がいかに近視的に音楽を考えているか、と言うこと。 2.演奏家と音楽家の教育がいかに違うか、と言うこと。 演奏家は大抵とても小さなとき(私は3歳)から、 いかに楽譜を忠実に的確に再現するか、を最優先する訓練を受けています。 ところが、それ程の的確さを実際に聞き取れる人は、 他に同じような訓練を受けた人のみです。 それに対して作曲家は大抵もっと成長してから 自分の意志で音楽の勉強を始めた人が多い。 最初に楽器奏者として訓練を受けた人でも、 途中から作曲に以降した場合、 演奏家としていかに忠実に楽譜を再現するかと言う訓練から遠のいてかなり経つので もっと全体像を見て、細かいところまで聞き取っていないのです。 じゃあ、なぜそんな細かい、自分も忘れるような表記をするのか。 これは記録と記憶の反比例と言うことに関係していると思います。 私の論文でも言及しているのですが、 西洋文化が発展する過程に於いて、 音楽でも、思想でも、事実でも、記録をする方法がどんどん発展して それに反比例して人間は記憶をする、 そしてリアルタイムの人間と人間が直接情報伝達をする、と言うことを 怠るようになっています。 この現象はテクノロジの発展によってどんどん加速している。 だから、作曲家がわざわざ出向いてくれて私の演奏を聴いても、 自分の記譜の方を自分の耳よりも信頼して、 それを忠実に再現する私に何も言うことが無くなるんだ。 寂しい、と感じるのは私だけでしょうか?

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マキコがウロウロしている訳

農業革命の結果、食品生産の急増に伴い、人口の倍増が起こった。 (ヨーロッパ人口:1700年=一億五百万、1800年=一億八千万、1850年=二憶六千五百万) さらに、少ない労働で効率よくより多くの農作物の生産が可能になり、 工業革命の影響もあって都市への人口集中が始まった。 (パリ人口:1800年=50万人、1851年=130万人) 都市への人口集中により、マスコミの活発化が起きる。 さらにアメリカ独立戦争(1776-)とフランス革命(1789―)に始まる 貴族社会の崩壊と、中産・ブルジョア階級の成立。 社会階級が生まれつくものでは無く、資産や能力や努力で変われるもの、となる。 政府が君主政治から、共和・民主制に代わり、 政治が一般市民を対象とした、一種のショーにならざるを得なくなり、 それに伴い、それまでプライヴェートでやるべきとされていたことの多く(音楽を含む)が 公共で、しかも多くの視聴者を対象としてやるもの、と変わる。 その上、個人の思想を重要視する啓蒙主義の浸透。 ナポレオンのテクノクラシー(技術家に一国の産業的資源の支配と統制を委ねるとする政治) そしてそれを促した工業革命の結果、 個人が習得する実際的な知識や技術の価値が大きく上がる。 この全てが個人・個性の賛歌につながり、 その結果、ヴィルチュオーゾが英雄として奉られる社会になる。 Paul Metzner著、Crescnedo of the Virtuoso: spectacle, skill and self-promotion in Paris during the Age of Revolution, 1998 ぜ~、ぜ~、ぜ~、ぜ~… 弱音を吐かせてください。 私は言葉をしゃべり始めたときは香港で、 広東語と英語と日本語のちゃんぽんでしかしゃべれない子だった。 6歳半で日本に戻って、日本語は不自由なくなったけれど、 13歳で英語をほとんど解せず渡米して 高校はほとんど解せず卒業して、 そのまま音楽学校で一般科目を勉強せずにここまで来た。 その私が工業革命、農業革命、啓蒙主義、共和制と言われたって、 一々調べなきゃ、分からないんです…! あああ、もう!!! この全てを暗譜と言う演奏様式が社会現象を反映して出てきたものだと言うことを 何とかしてまとめなければいけないんですけれど、もう!!! 頭をかきむしり、洗濯物をまとめながら突然 (よし!人口増加についてはこう言う風に書こう!) と、思いついた文章を忘れないうちに!とすっ飛んでコンピューターに行き、 一文書いて、また行き詰まり、 また洗濯物をまとめ始めて(!)となり、コンピューターにすっ飛んで… と、洗濯物を手に朝からぶつぶつ独り言を言いながらウロウロしています。 それが私の『論文執筆』です。

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雨雨、フレフレ…♪

最近のブログでは「正義は勝つ!」のテーマで勇ましい事を色々書いているが、 実は私の日常生活はいたって地味は、はっきり言って隠遁生活である。 ストーカーが怖いから外に出ないのか、と言われればそういう事も多少はあるかもしれないが、 家にこもってやることが山盛りなのも、事実である。 博士論文と練習。 それから教え。 たまに社交。 その合間にまあ、警察や社会福祉の人とミーティングが在ったり、 検事と電話で話しをしたり、 演奏会の安全対策についてメールしたり、そういう事もしているのだが、 はっきり言って大抵の時間は一人で鶴の恩返しのように コンピューターとピアノのキーをカタカタカタカタ。 そんな中、高に乗る人と全く乗らない日がある。 乗らない日はブログに熱がこもり、 論文を「書き」ながら、チャットをしたり、 色々気が散っている。 でも昨日と今日は凄い熱の入りよう! なんでだ…! と、思ってはた!と思いあったたのが、雨である。 ハリケーン・パトリーシアと名付けられた歴史的大型ハリケーンが メキシコ湾を接近。 あちこちで洪水警報が出ていて、昨日の朝から雨が降りっぱなし。 この雨の音が素晴らしいのである。 単調ではない。 激しく叩いたり、流れてみたり、ピッチも色々変わる。 この雨の音が私の集中促進剤なんじゃ…? まあ、締め切りが近い、と言うのもあるのかも知れない。 とりあえず木曜日に書いただけ提出する、と言う約束を 文章校正の図書館のスタッフとしている。 目標の2章終了まで、と言うのはどんどん現実味を失ってきているが、 それでもやっぱり(もしかして頑張れば…)と言う気持ちがどんどん高じる。 私はなんでだろう、出かける直前になると、突然アイディアが進展したり、 面白いアングルで言える文章を思いついたり、 俄然、リサーチが面白くなったりする。 出かける前の30分と言うのは、時間が際限なくある時の10倍くらい捗っている。 それで、(ああああ、もう行かなくちゃ…)と 大変残念な気持ちで家を出て、たいてい遅刻する。 皆、そんなものだろうか? 雨雨フレフレ…(母さんが♪?、もっとフレ♪?)

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ジレンマ

10歳の時に一か月入院をした。 肝臓だったので自覚症状はほぼ全く無かったが、実は結構悪かったらしい。 私はお気楽な物でトイレまでスキップして 寝たきりの子の付き添いのお母さんに「あんたはきっと誤診だよ」と あきられたり、うらやましがられたりしたのを覚えているが、 血液検査の数値とかはお医者さんがびっくりするくらい悪かったみたいだ。 でも、私自身はお気楽な物だった。 だって小児病棟は10時と3時におやつがでるし、 おやつに時たま出る手作りのプリンは本当に美味だったし。 母は隔日の面会日に持ちきれないほど図書館から本を借りてきてくれて、 私はそれを読みふけったり、 同部屋の子たちと手をつないで輪になって 「サウンド・オブ・ミュージック」歌いながら踊ったり (これは看護婦さんに「病院ですよ!下の患者さんが頭がガンガンするって…」と怒られた) 隣のベッドの腎臓病のかおるちゃんと違って私は食事制限もなかったし (かおるちゃんのは無塩食でちょっとかわいそうだった) (最高だ)、と思っていた。 同室にななちゃんと言う赤ちゃんが居た。 先天性股関節脱臼だったのかな? 両足をベッドの上でつるされていつも上向きに寝た状態だったのだけれど ニコニコして愛想が良くて、本当に可愛い赤ちゃんだった。 10か月くらいだったと思う。 私と、仲良しになったかおるちゃん二人で一生懸命ナナちゃんの世話を見た。 あやしたり、一緒に遊んだり、おむつとかナースステーションに報告したり、 使命感を持って一生懸命時間を共にした。 自分もそうやっていると楽しかったし。 そしたら叱られちゃった 「自分の療養をもっと大切にしなさい、安静にしなさい」って。 でも、実は私にはナナちゃんをお世話することが大切だったんだ。 入院は、自覚的には楽しかったけれど、やっぱり不安だったんだと思う。 その証拠に、一度予定されていた退院日が、 その日の確認のための血液検査の結果が悪くて延期になったとき 「ギャオ~ン」とベッドでバタバタ足を蹴りながら大泣きしたのを覚えている。 ナナちゃんをお世話してナナちゃんにニコニコ喜んでもらえると、 「私は入院中に使命がある、いや、この子供部屋に入院したのは運命だったんだ!」と 何だか、自分の入院に意義感が持てたのだ、きっと。 今回のストーカーの件、 「わざわざ危険を買って出なくても」と心配してくださる方もある。 私も「確かに」と思うときもある。 でも、私は元・婚約者が実は凄い悪かったことが発覚して、 やっぱりちょっとは落ち込んでいるんだと思う。 そして、「これは運命だ!」と悪者退治の行為に走ることが 私の落ち込み対処なんだ、とも思う。 私は役に立ちたい。 社会や周りの人の幸せに貢献できた、と正直に思えることは喜びだ。 でも、被害者の立場になってしまって迷惑を一杯かけちゃっている。 心配もかけちゃっている。 それに見合うくらいの貢献をしなければ、と 「悪者退治」の道に走って行ってしまっているのかも。 しかし、それが逆に余計心配をかけることになっていたら… ジレンマ。

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