物を捨てる勇気

6日間、NJに居た。 私のアメリカン・ファーザーのエドが亡くなり、 アメリカン・マザーのジョーンが家を売りに出すにあたり、 25年間保管していてくれた私のピアノや物を片づけに行ったのだ。 本やCDは、友達が制作や執筆したもの以外は全て寄付した。 服は、これから演奏会で着れそうなドレス以外は全く執着無く捨てるか寄付した。 ピアノはヒューストンに動かす手配をした。 ピアノの次に大事なのは、約20年分の日記、演奏したプログラム、 推薦状やその他大事な人々との交信の記録。 昔は航空便箋でびっちり書いた。 そう言えば、そんな時代もあった。 日記は、嫌な事が続いた時期は私の字が縮こまっている。 逆に勢いづいている時は大きい。 そんな観察も面白く、始めは荷造りは遅々として進まなかった。 何を捨てるか、何を保存するか。 その決断の基準に、 今沢山読んでいる19世紀の交換文書とか、日記とかを反映させている自分に気が付いて 面白くなった。 私の手紙や日記をいつか面白く読む人がいるのだろうか? あるニューヨークの音楽愛好家の弁護士、George Templeton Strong(1820-75)が 律儀に15の時から2,250ページにわたって記した日記が その当時のニューヨークの音楽界を知る上での重要な資料となっている。 (勿論言及は音楽の事だけではなく、南北戦争などの記録としても重要)。 私の日記も今では間遠になったりもするが、 特に若いころはかなり熱心に書いていた。 ブログと日記は随分違う。 コンピューターでタイプをするのと、鉛筆で紙に手書きするのも多いに違う。 蜘蛛の巣と格闘したりもしながら、 自分の手書きに読みふけったり、 子供の頃の楽譜を眺めたり、 何だか感慨深い一時だった。  

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