March 2017

博士論文審査、通りました!

  論文審査の討議と言う物が一般公開されている、と言う事は私は論文執筆の最初から知っていました。「あなたの論文は面白い!私が指導します。そして審査の討議には出席します。」と始めに図書館の論文指導統括を担当するエリザベスが言ってくれたのは、2014年の秋だった。そして2年半前の約束通り、竜巻警報も出る大雨の中、長靴を履いて、素敵な手書きのカードとお守りの首飾りを持って来てくれました。     論文を審査会の教授群に提出する際「論文審査発表」と言う物を学校に提出します。これを受けてライス大学は大学中とインターネットを通じて「何科の誰それの論文「(題名)」の審査がいつ、どこで公開で行われます。」と発表されます。 ところが…!今までライス大学の音楽科の論文審査は全てオフィスの会議室で行われていたようなのです。それだけでもう一般の人は来にくい。さらに私が「友人が数人来たいと言ってくれていますし、論文に関係あるピアノでのデモンストレーションで行いたいので、教室で審査をさせて頂く事は可能でしょうか?」と言ったところ、驚くべき抵抗に会ったのです。「不可能です。諦めてください。」「前例がありません。ピアノのデモンストレーションは自分の演奏をヴィデオをで撮ってプロジェクターで映写してください。」など。反論を許さない、威圧的な返答でした。ところがここで、私の論文指導教授が奮闘してくれました。「私の専門は中世ですが、大学と言うシステムがそもそも最初に設立されたころ、こういう論文審査は執筆者の発表の場でもあり、大学関係者全員が執筆者に質問をし、活発な議論の場となったようです。本来、論文審査と言うのはこういう場であるべきではないでしょうか?私が責任を持ちます。教室でやらせてあげて下さい。」ここからまた色々な論争があり、やっと妥協されたのが、教室の中に机を並べ、審査委員会と私が真ん中に座り、聴講者は教室の端っこでおとなしく目立たないように座る、と言う事でした。 当日は、最初に書いた様に竜巻警報も出る大雨で、「絶対に行く!」と言った人の多くが足止めを食らってしまったのですが、それでも野の君や私のデュオパートナーで心の友の佐々木麻衣子さん、エリザベスと引用のチェックを細かくしてくれた音楽図書館委員のメアリーなどが出席してくれました。 審査は私のプレゼンテーションから始まります。153頁でも簡略し過ぎたと思えるような複雑な内容なのし、それを15分のプレゼンにまとめるのはもうジョークと言うか、罪悪感と言うか。割愛に次ぐ割愛。でも「審査委員会は全員、きちんと読んできたばかりだから」と言う指導教授の激励を受けて、何とか12枚のスライドにまとめました。 プレゼンの後に審査会からの質問やコメントがあります。皆まず、褒め言葉から始めてくれました。「前例がない研究なのに、良くここまで色々情報を集め、まとめました。素晴らしい。」とか「Beautifulな仕事」とか色々言ってくれて嬉しかったです。 次に質問です。 「この内容を踏まえた今、あなたのこれからの演奏様式はどのように変わるのですか?」「クラシック音楽の教育はどのように成長するべきだと思いますか?」「記譜法と言うのは演奏にある限界を設定したと思いますか?」「録音産業と言うのが演奏様式にもたらした影響と言うのは暗譜と同じくらい多大ではありませんか?」 しかし私はプレゼンで全ての脳パワーを使い切ってしまった様にぼーっとしてしまい、さらに教授たちは質問の理由や背景など長々と説明するので(今の2分ほどのスピーチのどこが、どういう内容の質問なんだ。。。?)と私の頭ははてなマークでいっぱいで、なんとなくそれに関係のあるような論文の内容をお話ししたりして、(これでよいのかな?)という感じでした。それなのに質問が止むこと無くどんどん次から次へと発せられ、さらに聴講の人にも質問が振られ、聴講の人も一杯質問してくれて、私は脳みそがぐるぐるしてしまいました。 その後に、今度は最終論文出版前の最後の校正についてのコメントを頂きます。 「イラストに付けてある説明書きをもう少し丁寧にしないと良く分かりません。」「付録としてあなたが言及する出来事の年表があると、読者として大変助かります。」「目を閉じると聴覚が増す、と言うのは間違えではありませんが、あなたの引用している研究発表のデータとは必ずしも一致するとは言えない。この引用は適当では無いでしょう。」「ここはコピペの失敗だと思いますが、句読点が正しくありません。」 そして最後に「それでは合格の是非を審査委員で協議しますので、一度退室をお願いします。」と言われ、ぞろぞろと聴講の人達と一緒に部屋を出ます。「論文審査」と言うのははっきり言って大抵の場合合格する、どちらかと言うと通過儀礼と言う常識があるので、気楽な物で、聴講に来てくれた人は皆「おめでとう」と言って記念写真を撮ったりして、楽しく嬉しく別れます。が、何分も待たされている内に「何をそんなに協議することがあるんだろう…」と不安にもなってきます。 でも、ドアが開いて「おめでとう!」と握手を求められて、とっても嬉しい気分になります。 そして論文審査委員の教授たちと記念写真を撮って終わり!皆喜んでくれていますが、私の顔が嬉しくてくしゃくしゃなので、私はこの写真が好きです。野の君が撮ってくれました。 夜は美味しい赤ワインと洋ナシの甘酢煮添えフォアグラと自家製パスタにロブスターがゴロゴロ乗っている奴、とフィレミニョン(超レア)を食べました!  

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博士論文提出、完了!

脱力… 寝不足のせい? 昨日の夜11時半、締め切りの30分前に論文審査員の教授たちに私の博士論文「To See Music in Your Mind’s Eye: The Genesis of Memorization as a Piano Performance Practice」を提出しました。そんなにぎりぎりになったのは、コンピューターでのフォーマットが思ったよりもずっと大変だったからですが、結構必死で時計を横目で見ながらの戦い…そして間に合った~。 脱力のもう一つの原因は病み上がりです。 チャリティー演奏会にご来場くださった方は絶対信じてはくださらないと思いますが、実は私は熱を押して演奏していたのです。演奏会では、みんなにハンガリー狂詩曲で掛け声を要請し、掛け声のお手本を弾き始める前に示してみんなの「掛け声の練習」の音頭を取ったり、弾きながら自分で自分に掛け声をかけて笑いを取ったり、大はしゃぎをしましたが、実は先週の大半を寝て過ごしていたのです。私は元々熱に強いと言うか、鈍感と言うか、それに何をしても元気に見えるらしいのです。10歳の時一か月ほど入院していたのですが、トイレに行くのに病院の廊下をスキップして行って看護婦さんに「あなたはきっと誤診ね。。。」と苦笑された位なのです。そして病気で居るのが嫌いでもない。熱があって夢見心地な状態なのは、結構好きです。でもエネルギーはすぐ切れてしまっていた。それはちょっともどかしかった。そして今はだいぶん良くなったけれど、まだ回復中で、やっぱり腕が重い… しかし多分、脱力の一番の原因は感情的なモノです。 論文が終わった。「終わった~」と言うホッとした気持ちと「終わってしまった…」と言う名残惜しい気持ちが入り混じって実に複雑。論文は本当に大変だった。特にリサーチの最初にはどんなに探しても暗譜に関する言及が見つからず、本当に暗中模索状態で、終わるかどうか自信が持てない状態がずっと続きました。でも色々な文献を漁ると言う作業は刺激的でいつも楽しかったし、やっと自分の論点の方向性が定まってからは本当に夢の様に楽しかった。チョコをぼりぼり食べながら、没頭しました。 そして論文を提出した今、論文執筆中の2年半の間に起こった色々な事が本当に走馬燈の様に思い出されます。実に色々あった。自分が人生でこんな経験をすることになるなんて予想もしていなかった色々な事を沢山、沢山経験しました。物凄く良い事も、物凄く悪い事も両極端にあった。そして何より盛りだくさんだった。私の人生でとても大事だった人達が相次いで亡くなったりしました。でもその人達との思い出にとても感謝できる。そして色々辛い時に本当に親身にサポートしてくれる友人やコミュニティーのありがたみを、辛い時間が思い知らせてくれました。今私は「物凄く悪い事があったから、物凄く良い所にたどり着けた」と思えることを本当にラッキーに幸せに感じ、感謝しています。 少しの時間、脱力状態で居る事を、自分に許そうと思って居ます。 ミント・ティーにはちみつとミルクを一杯入れて、ゆっくり飲みながら書きました。

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チャリティー演奏会で音楽と社会の接点を再考慮。

東日本大震災の6周年記念だった昨日、ヒューストン日本人会に主催して頂き、ご多忙の中総領事にもお越しいただき、地元のFort Bend Music Centerに会場をご提供頂き、沢山のボランティアの皆さまと6人のゲスト演奏家にご協力頂き、そして思いがけない人数のお客様にご来場いただき、昨晩は本当に盛況な会で盛り上がりました。お陰様で$1,511の寄付金と、東北と熊本への応援の寄せ書き、そして集合写真を現地にお送りすることが出来ます。でも何より会場一体となって東北と熊本の惨事を振り返り、復興状況に思いを馳せ、そして音楽を通じて共感の気持ちを現地に放てたことが、本当に嬉しかったです。 総領事と司会を引き受けてくださった日本人会の副会長が2011年の3月11日を振り返って思い出を語ってくださいました。私も2011年の3月11日をありありと思い出せます。 アメリカ人の尺八奏者の手向けの演奏で、会場はまず音の世界に引き込まれました。佐々木麻衣子さんと私は「音楽は世界の共通語」と言うメッセージを体現した活動をしていきたいと思っています。その為にもアメリカ人のShawnさんが演奏してくれたのは嬉しかったです。 次に私がスライドで東北と熊本の惨事当初を振り返り、その後の復興状況と復興に関わる団体のご紹介をしました。 そしてドビュッシーの「版画」から「Pagodes」の演奏。電気を暗くして「遠い所の遠い人の事を想って聞いてください」とお願いしてから演奏したら、皆さん本当にシン!として聞き入ってくださいました。小さなお子様も多くご来場だったのですが、すごい集中力でした。次のリストのハンガリー狂詩曲では生まれて初めての試みをいたしました。会場の皆さまに『この曲はお客様の参加を想定して書かれています。掛け声や手拍子や演奏中の技に対する拍手など、一般的にはクラシックではタブーとされている事を今回は思いっきりしてください」と頼んで、演奏を始める前にみんなで少し練習したのです。そしたらみんな思いのほか乗ってくださり、くらい付く感じで「どこで何をしよう!」と言う感じでワクワクした雰囲気ですごく盛り上がり、私もうれしかったです。 休憩をはさんで後半は6人の若いゲスト・アーティストのハープ、クラリネット、歌の演奏がありました。その後、麻衣子さんと私でブラームスのピアノとクラリネットのためのソナタの2番を演奏。3楽章からなる、かなり重厚な曲ですが、子供さんも含め皆さん本当に一生懸命聞いてくださいました。 音楽と言うのは共感をもたらすものです。公開演奏会の歴史と同じくらいチャリティー演奏会の歴史が長いのは当たり前だ、と思います。音楽を通じて時空を共感し、そして想像力を触発されて自分以外の人に思いを馳せ、その人達のために宗教や文化や言語や国籍の違いを超越して、一緒に祈るーそういう場を提供する、と言うのが音楽が出来る社会貢献なのだ。 これに気が付かせてくれたのは2011年の東日本大震災を受けてヒューストン日本人コミュニティーやロスの日本人コミュニティー、そして日本で行ったチャリティー活動です。そしてこのチャリティー活動を通じて、私は素晴らしい友情とコミュニティーに恵まれることが出来ました。音楽は人をつなげる、人をつなげなければ、どんなに演奏技術に長けていても音楽では無い、そう思うようになりました。 これからも、こういう活動を続けていきます。    

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第一印象の偉大さ。

面白い記事を読んだ。「なぜ意見は事実を無視するか」と言う題で2月27日付けで出版されたThe New Yorker Magazineの記事。(英語ですが:http://www.newyorker.com/magazine/2017/02/27/why-facts-dont-change-our-minds) トランプ大統領のでたらめが、後にどのように事実が明らかにされようが、いかに社会的に悪影響を及ぼすかと言う事を、主に社会学の観点から論じた記事である。最初に紹介されるスタンフォード大学の実験が一番印象的。 1.被験者は50の自殺者による遺書を見せられる。「この中の半分は実際に自殺をしてしまった人によって書かれた本物で、残りは偽作」と言われ、「この中から本物を見つけ出してください」と指示を受ける。 2.被験者は2つのグループに分けられている。グループAは「すごい!24も合っている」と言われる。グループBの被験者は「う~ん、あなたにはこの才能は無いようですね」と言われる。これは被験者の読解力とは全く関係が無い。ちなみに一般的に本物と偽作を見分けるのはほぼ無理で、みんな平均的に半分くらい当てる。 3.その後で被験者全員がグループとして集められ「実は...」と言って、グループAもBも告げられた結果は実際の読解力とは関係ない、と告げられる。 4.被験者は全員実験に関するアンケートに答える。その中に「自分の実際の読解力はどうだったと思いますか?」と言う質問が隠されている。この質問が実は今回の実験の本当の目的だ、と言う事を被験者は知らない。 この実験の結果、グループAの被験者は物凄い確率で「自分はかなりの確率で当てたと思う」と答え、グループBはやはり物凄い確率では「全然わからなかった」と答えたのである。この実験結果の意味は、第一印象で形作られた固定観念は、どんな統計や権威ある事実をもってしても、中々変えにくい、と言う事である。人間は暗示にかかりやすく、かかった暗示を解く事は難しい。 なぜ人間はこうも言葉の暗示に弱いのか?この記事によると、要するに人間は群れて生き延びる種だからだ、と言う事になるらしい。事実よりも、同意・同調の方が大事になるのである。 私のNYの親友に私を「Connection Goddess」と呼ぶ人がいる。Connectionと言うのは、この場合実際には「乗り継ぎ」と言う意味なのだが、でも勿論「コネ」とか「繋がり」とか、言葉自体には色々意味がある。そしてどんな女神でも女神と呼ばれることは決して悪い気分では無い。このあだ名の由来は、私と親友が急いでいる時、地下鉄の駅に駆け下りたら実にタイミング良く電車が「ス~~~!」とホームに滑り込んできたことが何度かあったことからである。何にでも感動する彼は「一人の時には絶対こんなラッキーな事は無い!君は女神だ!乗り継ぎの女神だ!」と宣言し、以来あだ名が定着したのである。ちなみに彼は半分本気でこれを信じているらしく、たまに「今日は物凄く急いでいるので、よろしくお願いします」などと、テキストが来る。不思議な事に、「Connection Goddess」とおだてられていると、自分でも段々その気になってくるのだ。電車がスムーズに来るときは(♩当たりまえ~、朝飯前~、みんなどういたしまして~♪)と思う。時々電車が来ないと(今日は私、不調?)とか思う。そしてConnectionの大儀を考え、自分は実にラッキーな人間だ、とホクホク思える。 でも逆に悪い暗示、と言うのもある。いじめや人種差別・性差別・幼児虐待などはその最たるものだと思う。言葉と言うのは物凄い力がある。そして言葉の暴力と言うのは存在する。そして一度発せられた言葉は取り返せない。 アメリカで割と有名な寓話にこういうのがあります。http://www.inspirationpeak.com/cgi-bin/stories.cgi?record=50 「あるところに凄く癇癪持ちの男の子が居ました。この子のお父さんは、この子が癇癪を起こす度に庭の塀に釘を打ち付けるように、と言いました。最初の日、この子は37本もの釘を打ち込まなくてはいけませんでした。でも段々癇癪の数が減り、ついにある日、全く釘を打ち込まない日が来ました。男の子がお父さんに言いにいくと、『じゃあ、これからは癇癪を起さない日は一本、釘を塀から抜いてごらん」と言われました。何年か経ち、塀の釘が一本残らず抜かれた時、お父さんは息子を連れて塀まで歩いて行きました。『お前は良く頑張った。本当に偉かった。でも御覧、この塀はもう元通りにはならない。釘が抜かれた後の穴はこれからもずっとあるんだよ。』男の子はそれ以来とても良い子になりました。」 私も今まで生きて来て、何本もの釘を打ち込んだ。でも今の私に出来る事は、過去に打ち込んだ釘から学ぶことだけだ。私はConnection Goddessとしてこれからは生きて行く。

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「ゴキブリ」説

最近友人に聞いた話しです。 大笑いした後に、ちょっと考えさせられた良い話だったのでシェアします。 彼の職場にはすごく癖の強い上司がいるそうです。第一印象がとても良い。またお客さんには非常に評判が良い。お客さんとみんなお友達になってしまう。職場の部下たちも最初は皆すごく仲良く、お友達の様にやっている。でも段々みんな口を聞かなくなって、ついには辞めてしまう人も続出。その原因は彼が癇癪持ちだからです。「お前にはこの会社に居る資格も無い!」とか「本当の能力なしとはお前の様な奴の事だな!」とか言ってしまうのです。私の友達は凄く人の好い、誰とでもうまくやっていく人なのですが、でもこの上司とは出来るだけ顔を合わせ無い様に避けるようになってしまったそうです。 でも、そんな上司と一人だけいつまでも仲良くやっている人が居ました。この彼も皆と同じようにどなり散らされているのですが…私の友達はこのXさんに聞いてみたそうです。「秘訣は何ですか?」。 「まず」、と教えてもらったXさんからの秘伝が「ゴキブリ」説だそうです。 レストランにゴキブリが飛び込んできた。その時「キャ~~!!」と言って逃げ回り、店に大文句を垂れた客「もう食事が台無しよ!どうしてくれるの?」。逆に全く動じずに食事を終えた客。この二人の客を比べて、質問は最初の客の食事を台無しにしたのは、ゴキブリだったのか、それともお客自身だったのか? Xさんの秘訣はとにかく受け流す、と言う事だったそうです。相手がどんなに感情的になっても馬耳東風で言わせておく。そして少し収まったところで「じゃあ、どうすれば良いんですか?」と聞いてみる。相手も(本当はちょっと悪かったな)と思っているので、結構手鳥足取り親切に教えてくれる。 この話しを聴いて、このヴィデオを思い出しました。 23年間妻に口を聞かない夫を、子供の依頼で原因探求した「探偵ナイトスクープ」のエピソードです。このエピソードで本当にすごいのは、完全にシカトされてもお母さんがお父さんに愛情を持って接しているところです。すごい!このヴィデオは感動します。ネタバレしたくないので、この辺で辞めておきますが、この妻は「ゴキブリ説」を23年間実行したのだな、と尊敬します。 英語ですがこの「ゴキブリ説」のURLをここに付けます。 Cockroach Theory- A beautiful speech by Sundar Pichai.

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