May 2017

アルバムリリース!「百年:初期ベートーヴェンと晩年のブラームス」

音楽家と言うのは、色々な人の教授と支援と期待に育てられて、社会に貢献できるまでに成長する、と思います。私も今日ここに至るまで本当に沢山の方に支えられ、教えられ、刺激されて来ました。その中でもこの7年、東北復興支援演奏会を協力して企画・演奏して一万ドル以上寄付金を集めたのをきっかけに様々な音楽活動を共にしてた私の心の友、クラリネット奏者の佐々木麻衣子さんは共演者・同志・強力な助っ人・大親友・そしてライヴァルとして私の音楽魂にかけがえの無い重要なインパクトを与え続けてくれています。その佐々木さんと、今年アンサンブル・MATIMAを創立いたしました。世の中がどんどん利己的に、排他的になっていると危機感を覚える中、私たちは東洋人の西洋音楽専門家として「音楽は、時空を隔てて共感を呼び起こす世界の共通語」をモットーに、世界平和を願った音楽活動を展開して行きます。詳しくはmatima.orgでご覧ください。   MATIMAはこれから色々な活動を展開して行きますが、その皮切りにアルバムをリリース致しました。今回のプログラム『天上の音楽・地上の英雄』でもお聴き頂く、1794年に作曲された25歳のベートーヴェンのピアノソナタ一番と、1895年に作曲された晩年のブラームスのクラリネットソナタ作品120の1と2。これらの曲の間の100年と言うのは人々がそれまでの宗教観・価値観に反発し、自己中心的な世界観へと移行して行った時代でした。物欲がはびこり、私生児が急増し、犯罪者が偶像化されたそうです。MATIMAがこの時代の音楽を最初のアルバムに選曲したのは、テクノロジーやマスメディア、ソーシャルメディアと言った現代の産物が私たちを19世紀と同じような自己中心的な世界観へと突き動かしているからでは、と思ったからです。そしてそんな時代に在っても時空を隔てて私たちを感動させる傑作を書いたベートーヴェンとブラームスは、二人共苦労と孤独に苦しみながら、人間を人間たらしめる共感と共存への賛歌、人類愛を謳いあげた英雄だった、彼らの傑作が今こそ必要なのでは無いか、と思ったからです。

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「天上の音楽 v.s. 地上の英雄」演目解説!

家族の来訪、リサイタル、卒業式、母の日…イベント続きの日時を満喫した。家族がそれぞれの家へ帰って行ったあと、思いがけずヒューストンのお友達から博士課程取得を祝ってもらったりもした。 週末には野の君とLake Livingston州立公園と言う湖沿いの広大な自然公園を散策したり、サイクリングをしたり、日本語のテレビを見たり、兎に角ひたすら楽しんで、夢の様なときを過ごした。 しかし...「はっ‼‼!」と気がつけば、もう一つ演奏会が一週間半後、日本への出発は2週間後、6月17日の品川きゅりあんは3週間半後、そして千葉美浜文化ホールはきっかり一か月後!が~~~ん。 演奏にはいつも、常に、反省点が付きまとう。5月11日と15日に弾かせて頂いた際も例外ではありません。これからの課題を忘れないうちに、練習再開!にわかに焦って来て、昨日の夜は演目解説を一気に書き上げた。お気づきの点がおありでしたら、お手数ですが、ご一報いただければありがたいです。 第一部「天上の音楽」=『ゴールドベルグ』変奏曲 古代ギリシャにて数学者のピタゴラスは鍛冶屋の金を打つ音がハモる時、ハモっている金づちの重さが整数比になっている事に気が付きました。「天上の根源は数である」=>「音楽は数を体現している」=>「音楽は天上を体現している」…『天上の音楽』と言う概念の誕生です。「動きあるもの全てに音がある」と考えた古代ギリシャ人は、惑星の動きも音を奏でている、と考えました。この事も「天上の音楽」、そして「音楽=天上-すなわち数字-の体現」と言う考え方を強めたのです。この考え方は、後にガリレオやコペルニクスが実際には天上の音楽は在り得ないと証明した後でも、西洋音楽を大きく影響し続けました。バッハもその影響を受けた一人。彼が数字学や、黄金律などと言った数学的概念を自分の作曲に応用したことは良く知られていますが、ゴールドベルグ変奏曲はその最たる例と言えるのではないでしょうか。 30の変奏曲のリストをご覧ください。ルター教の熱心な信者だったバッハは三位一体(父と子と精霊の三者、全てが一人の神だと言う考え方)から、特に3と言う数字に重点を置いてこの曲を構築しています。3つの変奏曲を一つの単位として進行するのですが、この3つの変奏曲は常に「作曲技法(音楽様式)」「鍵盤技術(手の交差)」「カノン(輪唱)」と繰り返しています。この3つはいわば、知性(父)、肉体(子)、感性(精霊)を象徴していると言っても良いでしょう。さらに主にト長調のこの曲で3つの変奏曲だけがト短調…紙面の都合上、これ以上例を挙げるのは辞めますが、掘り下げれば掘り下げるほど、バッハの数字へのこだわりがこの曲に実に緻密に、そして至る所に織り込まれているのが明らかになります。人間の創造とは思えないこの完璧な音の世界を、よろしければ宇宙を想像しながら、お楽しみください。 J.S. Bach (1685-1750) 『ゴールドベルグ』変奏曲(1741)  (正式名:2段鍵盤付きクラヴィチェンバロのためのアリアと種々の変奏」 (ドイツ語: Clavier Ubung bestehend in einer ARIA mit verschiedenen Veraenderungen vors Clavicimbal mit 2 Manualen)、BWV988   主題アリア3/4拍子 第1変奏3/4拍子、1鍵盤。 第2変奏2/4拍子、1鍵盤。 第3変奏12/8拍子、同度のカノン、1鍵盤。 第4変奏3/8拍子、1鍵盤。 第5変奏3/4拍子、1あるいは2鍵盤。(手の交差) 第6変奏3/8拍子、2度のカノン、1鍵盤。 第7変奏 6/8拍子、1あるいは2鍵盤。(ジーグのテンポで) 第8変奏3/4拍子、2鍵盤。(手の交差) 第9変奏4/4拍子 3度のカノン、1鍵盤。 第10変奏2/2拍子、1鍵盤。(フゲッタ) 第11変奏12/16拍子、2鍵盤。(手の交差) 第12変奏3/4拍子、4度の反行カノン(鍵盤指示なし)。 第13変奏3/4拍子、2鍵盤。 第14変奏3/4拍子、2鍵盤。(手の交差) 第15変奏2/4拍子、ト短調、5度の反行カノン、1鍵盤。 第16変奏2/2拍子 – 3/8拍子、1鍵盤。(フランス風序曲) 第17変奏3/4拍子、2鍵盤。(手の交差) 第18変奏2/2拍子、6度のカノン、1鍵盤。 第19変奏3/8拍子、1鍵盤。 第20変奏3/4拍子、2鍵盤。(手の交差) 第21変奏4/4拍子、ト短調、7度のカノン(鍵盤指示なし)。 第22変奏2/2拍子、1鍵盤。

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私の大志

私は、もしかすると一見滑稽と思われるかも知れないくらいの巨大な志を持っている。 それは、音楽活動を通じて世界平和に貢献したい、と言う事である。 音楽は想像力を刺激する。時空を隔てた作曲家の境遇に思いを馳せ、その気持ちに寄り添いたい、と思わせてくれる共感を促す。更に、時空を共にして音楽を共体験することで、縁在って同じ演奏を共有することになった隣人との一体感を実感することが出来る。 私は人類と言うのは共同体だと思っている。この考え方で行くと、自分だけ幸せになる、自分だけ豊かさを楽しむ、と言う事は不可能になる。激痛にのたうつ人を目前にステーキのおいしさを堪能できる人は、私の考えでは人類の一員ではない。不幸せな隣人の横で、自分の幸せに優越感を持てる人も、人類の一員ではない。潜在的には私たちは、人類全体の幸せや不幸に自分の幸せ度を左右される、そういう生き物だ、と私は思っている。成長痛と言うのもある。必要悪と言うのもある。でもそう言うチャレンジは自然に発生するものであって、お互いわざわざお互いを痛め合わなくとも十分あると思う。 例えばシリア難民を受け入れるか否か、と言う問題はこういう考え方で行くと自明になってくる。勿論、難民を受け入れると言う事は大変な事だ。限りある財政、資源、そう言ったものが自分や自分の家族・子孫に十分残るか、と言う危惧は物凄く現実的な物だと思う。でも、究極的に考えて、私は一人だけ十分な食事を取って生き延びるより、皆と共同体として飢餓を経験する方が良い。最終的にそれが死に至っても。また周りには色々な困難に直面している人が沢山いる。人種差別や性差別に苦しんでいる人、貧困(2012年から14年の統計によると私が現在住んでいるテキサス州の17.2パーセントの家庭が食べる物が十分に無い)、奴隷(現在、自分の意思に反して報酬無しで働かされている人達は史上最高の人数だそうだ)、暴行… 気持ちが萎えるような現状の多くは、マスメディアやインターネットの浸透により、人々がどんどん共感が苦手になって来ているからなのでは?と言うのが、私の自説。そして、私がじゃあ個人的に何が出来るかと考えて、演奏と自分が伝授された音楽の知識を使って共感に喜びを感じてもらえるきっかけを作る、と言う事だと思う。 それをより効果的に出来るようにするために、これから色々試行錯誤するつもりなのだが、その試行錯誤の一巻として私は今回US-Japan Leadership Program(日米リーダーシッププログラム、略してUSJLP)なる物に参加することになった。プログラムの詳細は、こちら(http://www.usjlp.org/jp-about/)。様々な分野から選ばれた日本人20人、アメリカ人20人が、2年間にわたってそれぞれ一週間の共同生活を通じて友好を深めると同時に色々な社会問題に関して討議をし、日米関係をそのネットワークで強化する、と言う物。卒業生はUSJLPのFellowとなり、今では300人以上ある過去のメンバーとのネットワークを持つことになる。過去の卒業生にはヴァイオリニストのミドリが居る。今回私が一週間共同生活をする人の中にはニュースキャスターや、オバマ政権で働いた人、アベノミクスに関わった人、そう言う人達が沢山居て、その多くがWikiのページを持ち、TedTalkで話している。 このチャンス、活かすぞ!! 頑張るぞ~。

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家族の来訪+卒業式にまつわる数々の式典+2つのリサイタル=充実!

水曜日(家族到着) 私の卒業式に参列して一緒に祝ってくれるために水曜日に日本から両親と、ニュージャージー州から私の高校以来のホームステー先の育ての母、アメリカンマザーのジョーンが来てくれました。空港からピックアップして再会を喜び合い、ホテルまで送り届けました。本当に遠路をはるばる良く来てくれました。「今までの卒業式は寂しい思いをさせてしまった」と父は言ってくれたけれど、今回来てくれて本当に嬉しかった。   木曜日 (リサイタル「天上の音楽vs。地上の英雄」) 夜、卒業前の感謝独奏会を行いました。 7年間ライス大学に在学中、私の人生は本当に奇想天外な経験を沢山潜り抜けました。ライスについて半年後に東日本大震災があり、ライス大学の多大な協力を得てチャリティー演奏会を行ったのが、アンサンブルMATIMAで私と一緒に創始者・デュオパートナーとして活動してくれる、素晴らしいクラリネット奏者の佐々木麻衣子さんと初対面で、大変なイベントを力を合わせて制作しました。そこで協賛してくださったヒューストン日本人会とは、これをきっかけに本当に密な関係を築かせていただき、沢山の演奏会を主催して頂いただけでなく、私がストーカーピンチで警察や弁護士を交えて大騒ぎをしている時、演奏会の警備を買って出てくれたり、家族の様に親身に応援してくれました。ライス大学も隠れ場の仮の住まいを用意してくれたり、護衛を付けてくれたり、警察や検察への捜査に対応する私を書類記載など事務的な事を代わりにやってくれたり、全面的に私に協力してくれました。私が充実した学生生活と演奏活動を中断することなく、この7年間修業し、卒業に至ることが出来たのは、本当に沢山の人が応援してくださったからなのです。ストーカー騒ぎで大変だったことも沢山あったけれど、その中でもパリに三回行き、演奏と共になんだかお角違いな「国際比較文学」の学会でプロコフィエフのオペラに関する発表をさせて頂いたりもしました。麻衣子さんとマドリッドに行って国際クラリネット協会の大会で演奏したり、その後ドイツの音楽祭に参加したりもしました。そして野の君は、私が足が地に着かない状態でストーカー退治と演奏活動をふわふわこなして博士論文に手つかずなのを見かねて、「夜の勉強会」を提案してくれました。ただ単に、二人でノートパソコンと文献と共に、スタバで毎晩会話をするでもなくそれぞれの作業をするだけなのですが、この時間は私に物凄い安心感をもたらしてくれて、私は本当にお陰様で論文を書き上げる事が出来ました。論文指導教授が「ライス大学に来て以来私が読んだ中でも最高の論文だ!」と褒めてくれた、会心の作です。 私は感謝の表明をせずには卒業しきれないくらい、沢山の方に多大なご協力を頂いたのです。ストーカー騒ぎが発生した時、演奏会主催者からも、教師として雇ってくれている学校からも、敬遠されるだろう、と覚悟しました。聴衆や私の生徒や、更に私の学友などに危険が及んだら大変です。甘受しよう、これも運命、と思いました。でも、私の演奏会は一つもキャンセルされなかったし、むしろ増えたくらいです。そして日本人会の人達が望遠レンズのカメラを準備して(警察通報した際、本人が逃げた後でも証拠が残るように)、駐車場では炎天の中野球バットを持って見張ってくれ、演奏会が滞りなく開催されるように、万全を尽くしてくれました。そして私を教師として雇ってくれていた学校も「了解しました。警備を強化します。あなたはここにいる時は何も心配せずに教える事に専念してください」と言ってくれました。麻衣子さんは私にいつもよりもむしろ密に寄り添って、自分の被害を顧みずに励ましてくれました。今思い出しても涙が出てきます。 演奏会には、家族のほかにも、学校の事務関係の方で私のストーカー退治をいつも心に停めてくださっていた方々や、社会福祉の人、私の論文指導を私の状況を全て把握しながら励まして励まして、私が諦めそうな時にも私にすごいはっぱをかけて一緒に頑張ってくれた図書館の人、そしてたゆみない応援を続けてくださる日本人会の方々、沢山の方々がいらしてくださいました。私が一番うれしかったのは、この中の一人が言語障害を持っている息子さんをお持ちなのですが、この子が目をキラキラさせて「良くやったね!!良くやったね!!」と何度も言ってくれた事です。この子は私の演奏会にも何度も来てくれているのですが、いつも私が声をかけるまで端っこでもじもじしているのです。でもこの日は自分からぐんぐん私のそばに寄って来て、褒めてくれました。 金曜日(式典数々) まず、家族と一緒にLocal Foodsと言うレストランで昼食をしました。地元無農薬農家の材料だけを使った料理を提供するお店で、私がヒューストンの近くで一番良く行く料理屋さんの一つです。 その後、卒業式の前日の色々な祝典がありました。 まず今年ライス大学から卒業する新・博士153人が、博士号を象徴するたすきを指導教授にかけてもらう、と言う儀式がありました。「このたすきはあなた方の修めた学業と、それによって得た知識を象徴しています。」と言うスピーチが校長から在って「はい、はい」と適当に聞いていましたが、いざ自分の番が来て舞台に歩いて行き、名前を呼ばれながらお世話になった教授二人にたすきをかけてもらった時、一瞬たすきで視界が区切られ、そしてたすきが目線を越してまた会場が見渡せるように成った時、新しく生まれ変わったような、不思議で嬉しい気持ちがしました。 その後は音楽学校の卒業生のための祝賀会がありました。簡単なサンドウィッチとケーキがふるまわれるだけなのですが、私はお世話になった色々な教授と大変楽しく会話が出来、嬉しかったです。ちょっと近寄りがたい存在だった校長先生も親しくお話しをしてくれました。 その夜は毎週金曜日教えている生徒ちゃんたちのレッスン。人生が中々辛い時のレッスンは本当に慰められました。嬉しい時のレッスンも、そういう思い出を胸に、感謝の気持ちです。いつもはジーパンの私がこの日はドレスだったので、びっくりされました。 その後家族とヴェトナム料理。ヒューストンはヴェトナムの外ではヴェトナム人人口が一番多いとされていて、美味しいヴェトナム料理屋さんが沢山あります。家族もフォー初体験!フォーと言うのは、米粉の麺を24時間牛の骨を煮込んで作ったスープに入れて、モヤシやバジルやライムなどと一緒に食べます。気に入ってくれたみたいです!良かった。   土曜日(卒業式) 天気予報では雨が心配されていたのですが、それが嘘の様なカラリとした晴天!しかも湿度も温度もヒューストンのこの季節では考えられないほど申し分ない天気でした。卒業式は暑さ対処も在って、朝の8時半からと早かった。10時半からは博士課程の人達とその参列者のために特別なビュッフェが用意されていました。オムレツステーションと言って、自分が好きな具を入れて目の前でオムレツを作ってくれるところとか、トリュフのリゾットとか、山盛りの果物(高いブラックベリーやラズベリーやブルーベリーが盛りだくさん!)とか、ローストビーフとか、クラブ・ケーキ(蟹肉のコロッケ)にとろーり卵を乗っけたEggs Benedictとか、予想を超えた豪華さでした。家族のほかに麻衣子さんと、ヒューストン日本人会の母的存在の亜子さんがご一緒してくださいました。 その後私はアメリカンマザーとAsia Societyの展示を見て、アジアの色々な屋台が出ている夏祭りを楽しみ、Common Bondと言うパリの外では一番おいしいフランス風パン屋さんでクロワッサンとサラダを食べて、その後野外劇場でヒューストンバレーの「マダム・バタフライ」を観ました。83歳で足が悪いのに、ジョーンは一生懸命全てを見聞きして楽しもうと、貪欲についてきてくれました。二人でとても思い出深い夜を過ごすことが出来ました。 日曜日(母の日) 私たちが大好きなフランス料理店に家族のみんなをご招待しました。本当に美味しいんです! まず前菜のサーモンとホタテのカルパッチョ。中の白いのはきゅうりではなく、ホタテです。バルサミックヴィネガーとオスと岩塩で頂いています。 次にロブスターのリゾット。蟹みその様なおいしさ!美味しい物は万国共通ですね~。 それから主菜。チリアン・シーバスです。 次にブリ―と言うフランスの柔らかいチーズがカリカリトーストの間にサンドウィッチされた物。左にはちみつ、右にイチジクのジャムが添えてあります。 最後がデザート。濃厚なチョコレートのケーキにカラメルソースとベイリーのアイスクリーム。 美味しい物を「美味しいね~」と楽しみ合えるのは本当に幸せですよね。私も演奏会場を似た様な空間に出来れば、と思っています。 その後、Menil Collectionと言うヒューストンでも私が一番気に入っている美術館の一つに一緒に行きました。お昼で満腹してしまったので、夕飯は割愛!   月曜日(家族が帰る。夜は日本人会で演奏) 朝、家族を空港に送り届けました。昨日の夜食べる予定だったけど満腹で割愛したパリの外では一番おいしいフランス風パン屋さん、ヒューストンが誇るCommon Bondのクロワッサンとチョコ・クロワッサンとバゲットを開店と同時に入手してホテルに持っていったらとっても喜んでもらえました。 夜は日本人会で開かれた私も大変お世話になったOさんの帰国送別会に音楽を添えさせていただきました。こちらも素敵なイタリア料理店、Bisteccaです。   とても思い出深い一週間となりました。 さ、これから日本の公演の広報に本腰を入れます!ご協力をお願いできれば大変心強いです。 平田真希子ピアノリサイタル2017「天上の音楽 v.s. 地上の英雄」PDF ダウンロード  

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博士号!取りました‼

色々な方に色々な形でご支援を頂いて、博士号を遂に取得いたしました! 金曜日はConvocationとか、Hooding Ceremonyと呼ばれる儀式がありました。博士課程卒業のための儀式で、お世話になった教授に博士だけが許される襷(たすき)をかけてもらうのです。音楽博士はピンクの襷です。土曜日は卒業式でした。博士課程が授与される時は、参列者全員が立って、敬意を表明してくれます。 「あなたたちはとても能力がある人達である、と言う事をこの取得によって証明しています。そして向学心と探求心を、利潤よりも大切にする、今の社会にとって本当に貴重な人材です。あなたたちはこの博士と言う称号と共に、義務をもこれから負います。社会と将来を出来るだけ良くするために、あなたたちが勉強して得た知恵を駆使する、と言う義務です。」 背筋が伸びるようなスピーチをしてくれたのは、有色人種の女性として初めて宇宙飛行士になったDr. Mae Jemison。宇宙飛行士を引退した20年ほど前から、社会的特権を受ける機会が少ない女性やマイノリティー等と言った社会層に科学教育を広める社会活動を大規模に展開している人です。 私は、これから、もっともっと現代社会に関連性がある音楽活動を通じて、色々挑戦して行きます。

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