女流ピアニストの進出がピアノ演奏様式を変えた!

論文を書くための文献を読んでいると、その文献が引用している文献で
「ああ、これは読んでおいた方が良いな~」と言う物がどんどん出てくる。
元気な時は「やった~!この本にはどんな新情報が??」とワクワクする。ドキドキ
「私の論文は本当に終わるんだろうか」と不安になっている時は「Oh no…」と
ちょっとだけ思う。ガーン
その「Oh no…」の時に見つけてしまい、昨日まで読まなかった記事に昨日びっくり!目
私が「こうだったんだろうなあ」と想像で書いていて
「でもこんな事断言しちゃってよいのかしら」と不安を覚えていたことの沢山が
この32ページの記事で一挙に裏付けが取れてしまったのです!クラッカー

Katharine Ellis著、Female Pianists and Their Male Critics in Nineteenth-Paris
Journal of the American Musicological Society, Vol. 50, No. 2/3 (Summer – Autumn,
1997), pp. 353-385
Published by: University of California Press on behalf of the American Musicological Society Stable URL: http://www.jstor.org/stable/831838
もう「ばんざ~い!!」と言う気持ち。合格
何が書いてあったのか。
私のブログを読んできてくださった方々(ありがとうございます)はご存知のように、
私の音楽博士論文のトピックは「ピアノ演奏に於ける暗譜の起源と発展」。
一般的にはリストやクララ・シューマンが1830年から40年あたりに始めたと信じられているが
とんでも八分(歩いて5分)。
まず、音楽と言うのは時間の芸術で、記憶力を導入しないことには理解できない。
演奏も作曲も「音楽を聴く」と言う行為に於いても、記憶力は必須。
そして記譜法が今のように確立するまでは楽譜はただの「覚書」だった。
楽譜を前に置いて演奏する場合だって、一音一音読みながら弾くのでは
永遠に曲は習得できない。
つまり、音楽に関係する段階ですべての人は何等かの形で「暗譜」はしている。
さて、ピアノ演奏に於いてはピアノと言う楽器が出回り始めたころから
実は暗譜演奏はなされていた。
モーツァルトもベートーヴェンも、時々演奏前に楽譜に起こす時間が無く、
共演者のパートだけを書いて自分のパートは無記入の五線譜を置いて弾いたり、
パガニーニやモーツァルトは楽譜を持ち歩くとそれを盗まれて盗作されてしまうので
わざと持ち歩かないで演奏旅行したり、とか。
それに、神童モーツァルトの目隠しして演奏ってやつ―あれだって暗譜じゃないですか?
その頃の曲は後の曲よりもずっと型がきっちり決まっていて、短く、単純だった。
暗譜しやすかったので、暗譜しても全然当たり前だったのです。
それよりも重視されたのが、即興と初見。
そして自作自演が多かったので、作曲の技術も重視されていました。
(自作自演って暗譜しやすいですよね、ちなみに)
それが変わったのが19世紀の半ば。
演奏様式にさまざまな激変が起き始めたころです。
ーまず公開演奏に於いて即興演奏をしなくなってきた。
―それまでは当たり前だった楽譜に装飾音を付けるとか、そういうのも減っていき、次第に「楽譜を忠実に再現する」と言う事が良しとされ始め、作曲家もそのように書き始めた。
―作曲専門で演奏しない作曲家、演奏専門で作曲しない演奏家、と言うのが出てきた。
―古い曲、死んだ作曲家の曲を演奏するようになってきた。

この3つの演奏様式の変化の背景にもう一つの大きな変化があるのです。
それが「女流ピアニストの大量進出」
逆に、女流ピアニストの大量進出があったからこの3つの演奏様式の変化が起こった、
と言うのがKatharine Ellisと私の論点です。
ちょっと歴史をさかのぼります。
古代ギリシャの時代から、
女性を「肉体」と「自然」と結び付けて考え
対して男性を「頭脳」と「文化」と結び付ける風潮がありました。
Platoからニーチェまで、皆そんな事をほざいています。
そこにJean-Jaque Roussau(1712-1778)と彼に代表する「自然主義」が出現。
「自然に帰れ」と言う、あれです。
あの哲学では文化は自然の対局にあり、自然の方が良い、とされました。
これは歴史的にはユニークな考え方だったのですが、
これのお陰で一時的に、ごく一部に於いて、子供や女性、
そしてそれまで「文化人」とされていた白系ヨーロッパ人以外の人種に
ちょっと憧れが出ます。
これが「Exoticism」です。
そして、プロの女性ピアニスト、と言うのが出てき始めたんです。
しかし、色々問題がありました。
まず、「女性には創造力や複雑な概念を理解する能力は無い」とされていました。
その為、例えば少し難しい音楽理論や作曲の授業などは女性禁止だったんです。
その為女性は交響曲や、複雑な発展を遂げる大きなジャンルは
作曲をする技術を付けにくかった

仮に作曲しても、「女だてらに」と言う感じで取り合ってもらいにくかった。
そこでまず、ピアノを弾くだけ、作曲をしないピアニストと言うのが出てきます。

次に即興演奏は「創造的行為」と考えられていた。
女性には創造力は無い、とされている。
したがって、「楽譜に忠実に弾く」と言うピアニストが多くなりました。
そうすると、「何を(あるいはどの作曲家を)弾くのか」と言うのが非常に重要になる。、
そこで過去の作曲家が出てくるんです。
記事を読んでいると19世紀当時の批評とか読んでて腹が立ってきます。
「上手いけど、女らしくない」とか
「実に女性らしく繊細だった」とか。
そして容姿について沢山書かれちゃったりする。
しかし逆に容姿を使ってキャリアに得にしようとみられるとバッシングを受ける。
さらに、それぞれの作曲家を弾き分ける、と言うのが女性ピアニストには最高の賛辞。
逆に男性ピアニストには創造性を求めます。
いや~、実に面白い!
そして、私の想像が当たっていて、ホームランを打った気持ち!
やった~~、でかした~~!!グッド!

4 thoughts on “女流ピアニストの進出がピアノ演奏様式を変えた!”

  1. これを読んでいて平安時代の日本文学を思い出しました。当時の上流社会では女性にはひらがなは教えても漢文は男の領域という意識が一般的で女性でそういう事をすると「なまいき」とか思われたらしい。歌を詠むのも基本的には男の専売特許。そんな中で清少納言とか紫式部などと言う人たちは超例外の画期的な存在だったみたい。

  2. >kinjotxさん
    こういうの読んでいると、女性の社会的抑圧と言うのは凄まじかった、創造をはるかに超えるものだったと言う事が段々感覚的に分かってきます。それでもこれだけの女性が歴史に名を残している、と言う事は女性はやっぱり優秀なんだ!凄い!
    マキコ

  3. お邪魔します?彡ネットサーフィンしていたらたどり着きました(´・ω・`)?文章力があって羨ましいです♪勉強になるブログでした?お邪魔しました!またちょくちょくきますね♪これを機に仲良くして頂けると嬉しいです☆

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