書評:モダンな感覚中枢


音楽を聴くときに奏者を見ているのは邪道。

本当に聴くためには、視覚は遮断しなければ、聞こえない。

…こういう考え方が19世紀半ば、音楽や音楽会が神聖化されたころからあったらしい。

これが本当ならば、奏者も目を閉じて演奏するべき?

ましてや楽譜を見ながらなんてとんでも無い?

 

この考えに科学的根拠はあるのか?

社会的背景はなんだったのか?

 

この質問を真っ向から教授にぶつけたら

「視覚と聴覚の完全な分離によって得る美的体験と言う19世紀半ばからの考え方には、主に視覚中心の視点の研究が主なのだけれど、興味があるのなら読みなさい」と4つの記事が送られて来た。

 

その最初がこちら:

Caroline A. Jones著。Eyesight Alone: Clement Greenberg’s Modernism and Beauraucratizing of the Senses. (2005)

この副題にあるClement Greenberg(1909-1994)と言うのはアメリカの美術評論家。抽象表現主義とその代表であるジャクソン・ポロックを擁護し、後には「ポスト・ペインタリー・アブストラクション」の運動を理論的に主導した。

 

なぜ、私が20世紀の美術評論家がいかに視覚に固執したか、と言う事を読んでいるんだ…

簡単とは言えない、送られて来た28ページの最初の5ページはそんな気持ちで読んでいたけれど、その内五感の完全分離の歴史に来て、面白くなった。

 

嗅覚は、視覚や聴覚と違って、より動物的でコントロールが効かず、野蛮な感覚とされてきた。その為、18世紀の工業革命近代化に始まる近代化・都市化ではにおいをどのようにコントロールするかと言う事が重大な課題となる。しかし、嗅覚と言うのは実は感情に直結している。嗅覚と感情は同じだ、とする心理学者さえいる。。。

 

聴覚については、20世紀に入ってからの録音された音楽や、都市化が進むアメリカでのジャズの話し、など私の論文には時代が進み過ぎている物が多かったが、それでもいくつか収穫あり。

 

まず、本。

Jacquest Attali著 Noise:The Political Economy of Music(1977)

音楽製作はそのまま、その時代と社会の労働基準を反映している、と言うテーマの本。

オケ奏者の引用がグー。(P.404)

 

それからヒットラーの引用(1938年)

”スピーカー無しに、ナチスのドイツ制覇は在り得なかった”

 

それからフロイドの引用(1923年)

”エゴとは体感から、つまり体の表面から引き起こされるものである”

 

ああ、急がないと。

今日は映画収録。

昨日、アルバイトでピアノを弾きに行ったら、そのまま今日の映画収録にスカウトされてしまった。この人が製作者。

https://www.youtube.com/user/shawnwellingdance

どうなることやら。

お楽しみに。