ゴールドベルグ変奏曲のプログラム・ノートです。


「ゴールドベルグ変奏曲」と言う通称で親しまれるこの曲に、バッハ自身がつけた正式な題名は「2段鍵盤付きクラヴィチェンバロのためのアリアと様々な変奏」(BWV988)です。「ゴールドベルグ変奏曲」の通称が定着したのはバッハと面識の在ったJ.K.Forkelによる史上最初のバッハの伝記(1802)に出てくる逸話―不眠症に悩むカイザーリンク伯爵が、眠れぬ夜の慰みにお抱え鍵盤奏者(ヨハン・ゴットリーブ・ゴールドベルグ)に弾かせるために委嘱した作品―ですが、これは現在は事実無根とされています。大きな理由としては、当時のゴールドベルグがこの曲の出版された1741年にまだ14歳であったこと、さらにこの時代こういう状況では絶対につけるはずの献呈が無いこと、などがあります。

ではなぜバッハはこの大曲を書いたのか ―この曲にはこの根本的な問いかけを促す、緻密な構造的こだわりが在ります。例えば三つ目の変奏曲はいつもカノン(輪唱)で、このカノンの声部間は同音から始まって9度まで一つずつ広がっていきます。そのカノンの数学的完璧さと、音楽的美しさの兼ね合いはこの世の物とは思えません。この9つのカノンにバッハは実に8つの違った拍子を使っているのです。これはただならぬこだわりです。

バッハ自身は副題として「音楽愛好家の魂の喜びのために」と記しています。『魂の喜び』と言うのはキリスト教の中でも特にバッハの信仰したルーテル派に置ける自己向上の喜びと言う意味があるようです。しかし、似たような副題をバッハは他の作品に用いていますし、なぜ『ゴールドベルグ』を書いたのかと言う説明には不十分かも知れません。

バッハがなぜゴールドベルグを書いたのか ―これは今まで沢山の音楽学者を翻弄してきた課題です。奇抜な物では占星学や神学を表現する為の音楽的象徴、と言うような物もあります。1737年にシャイベという批評家にけなされた時の、音楽で行った反撃だ、と言う見解はアラン・ストリートと言う学者が1987年に発表し、注目されました。もう少し実際的な学説としては1738年にドメニコ・スカルラッティが出版した練習曲集が30の鍵盤奏法の技術をくまなく駆使したソナタから成っており、それに触発され(あるいは対抗して)バッハにしては珍しく超絶技巧や、ユーモア、そして表現の幅を多いに探求したこの30の変奏曲を書いたのでは、と言う物があります。あるいは、バッハはただカノンと言う作法の可能性を模索したくて始めはカノンを同音からオクターブまで8つ書き、その後その周りの変奏曲を書いて一つの曲集としたのでは、と言う説もあります。

何にせよ、この曲は18世紀に出版されたピアノ曲としては一番の大曲であり、それは長さに置いてだけではありません。そしてなぜバッハがこの曲を書いたのか、そしてなぜこの曲がここまで音楽学者、奏者、そして聴衆をとりこにするのか、と言う問いかけには言葉で説明出来なくても、聞いて納得すれば良いのでは無いでしょうか?ゴールドベルグを聞く体験と言うのは、他のどんな音楽、どんな体験を持っても似るということの在り得ない、いわば別世界を垣間見ることだ、と私は思います。