ゴールドベルグの難しさ


Pianofestの様な音楽祭に参加する醍醐味は色々在るが、やはり一番大きいのはこういう場所で培う友情だと思う。寝食共にして、色々語り合い、音楽について、人生について語り合って、自分の考えを掘り下げ、人の考えに触れる。でもまじめくさってやるのでは無く、たいていお酒や食事や、ゲームや遠足や、海岸でのごろごろをしながらするから、楽しい。

今回の参加者は14人。その中で遊びを仕切りたがる人は2人くらい居るが、一人は偶然ゴールドベルグを勉強中だ。この男の子はいかにも3枚目で、ゲーム中にもわざと一番おどけて見せたり、大げさに失敗して見せたり、冗談も下ネタが多く、なんとなく私は自分よりもかなり年少な後輩として見ていたが、経歴を見てびっくり!イエール大学の物理で学部を卒業した後、修士をピアノで修めた秀才なのである! 

お互い弾きあいっこなどして意見交換などもしたが、それよりも何よりも、同じ家で練習していると、お互いの練習が聞こえてくる。そして何だかいろんな解釈が影響されあってしまうのである。面白く、そして空恐ろしい…

Pianofestでは生徒の演奏会が毎週月曜日と水曜日にある。今シーズン最初の演奏会でこの3枚目の彼がゴールドベルグの15分ほどの抜粋を弾いた。ところが、全コンサートのオープニングで在ったにも関わらず、聴衆の中で船を漕ぐ人が、何人も…彼はきちんと弾いていたのだ。でも、その後のドビュッシーやショパンやベートーヴェンに比べて色あせてしまったのは否めない…

ゴールドベルグを勉強すればするほど、その緻密さ、スケールの大きさ、構成の巨大さに圧倒されて謙虚になり、兎に角ゴールドベルグを仲介する透明人間的な存在になりたくなってしまう。でも、それではダメなのだ、きっと。演奏は演奏。積極的に表現しなければ、ゴールドベルグまで透明で存在感がなくなってしまう。

改めて、難しいなあ、と思い知らされる。