本番の録音を聞く、ということ

自分の録音を聞く、特に本番直後に聞くのは、はっきり言って苦しい。自分の声の録音を聞くような、「気恥ずかしい」と言うような生ぬるい言い回しでは表現しきれないような、歯がゆい、いたたまれないような、居心地の悪さ。そして「失敗した」とまだありありと覚えている箇所に近づく時の、逃げ出したく成る様な気持ち。でも、特に同じプログラムでもう一度本番を控えている今みたいな状況では、ダントツ一番の勉強方であることには、間違えない。今日は、腹を据えて、この間の日曜日のみなとみらいでの演奏会を聞いてみた。

ゴールドベルグに置いて私の次の課題は、「縦」の要素と、「横」の要素のバランスである、と自覚した。「縦の要素」に含まれるものは、落ち着いた、しっかりと時を刻む拍、縦に重なる(同時に鳴る)音の成すハーモニー、そして旋律と旋律のかもし出す対位法。「横」の要素ははしっかりと一つの音から次の音へと紡がれて行くメロディー、そして全体の構築を浮かび上がらせる方向性。日曜日の演奏では私はあまりにも「横」の要素にばかり気をとられて、「縦」が足りず、結果前倒し的な演奏になっていた。

リストにはもっとメリハリが必要だ。歌舞伎の見栄を切るときのような、潔い「動」と「静」対象。そしてリストでは「縦」と「横」の境界線をもっと意識的にあいまいにして「斜め」の要素をところどころ作らなければいけない。それは、メロディーとハーモニーの境界線が無くなる時。拍の揺らしがメロディーと絡み合う時の事だ。

録音を聞いていて、拍手の合間お「ブラヴォー」、そして暖かい拍手の、その長さに救われた。今週の土曜日まで、もっとがんばる!

2 thoughts on “本番の録音を聞く、ということ”

  1. これほどの「分析」が可能なのですから、それを踏まえての「綜合」はマキコさんには容易に達成できるのではないでしょうか。

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