モネのGiverny ーパリ4日目


「パリの郊外と言うのも絶対見ておくべきだ」と言う発起人K氏の強いお勧めにより
今日美知子さんと、
美知子さんのお友達のS氏(車を出してくださってありがとうございました)
に連れて行って頂いて、
クロード・モネ(1840-1926) が1883年から43年間に亡くなるまで住んだと言う、
パリ郊外、車で一時間くらいのところにある、お家とお庭に行って来ました。
偶然、一年の中でも最善の時に当たったようです。
庭中に花が咲き乱れ、
庭の中にある池にはちょうどモネの絵そっくりそのままに睡蓮が咲き、
その庭は早足で歩いても15分はかかる広大なもので、
一つの理想郷となっています。
こんな中で生活していたら、本当に良い人になれるし、
こんなに沢山の花が咲き乱れていたら、絵を描かずには居られないよね、
と美知子ちゃんと話しました。
あんまりにも美しく、季節の移り変わりで刻一刻と変わっていく庭と暮らしていたら、
そのそれぞれの美しい瞬間を何とか残しておいて上げたい、と思ってしまうのではないでしょうか?
本当に美しいところです。
お天気が晴れ上がった日で、花の時期としても最高、
と言うことで随分込み合っていたのですが、
人々はお互いに本当に寛容で皆で違う言葉でニコニコ笑みを交わしました。
美知子ちゃんとその天国のようなお庭を歩いていたら、
ちょうど歩き始めたくらい、まだ言葉を喋る前くらいの赤ちゃんが
突然私たちの前でお母さんを見上げて、何が可笑しかったのか急にケタケタ笑い始めました。
大人だったら「思い出し笑い」と言う類の笑いでしたが、
赤ちゃんですからその笑いを自制する、と言う事も無く
本当に可笑しそうに、楽しそうに笑うのです。
それにつられて、私も美知子ちゃんも、周りの人たちも一緒に同じように笑い出してしまいました。
このお庭だったから…
これもGivernyに行った理由の一つだったのですが、
お庭の中にたたずむ田舎風のお家にはモネの絵のコレクション(の複製)が飾ってあります。
彼自身のものも多く在りますが、他の画家のものも多い。
そして、その半分以上が浮世絵なのです!広重、北斎、写楽…
中にはアメリカ人を描いたものや、不思議な構図の風景画の浮世絵もあります。
どういうルーツでこれだけの浮世絵を手に入れたのか。。。
そして、浮世絵独特の遠近法や構図、、人物描写とか色の使い方を見た後に
彼自身の作品をみると(なるほど!)と思えるものがあるから、不思議です。
Givernyに行った理由の一つは私が今ドビュッシーのピアノ曲を多く手がけているからと、
今回の私のリサイタルのテーマ「ピアノで奏でる東洋」と言う、
西洋音楽の中で東洋と言うものがどう捉えられ、描写されているか、と言うことについて、
印象派の権化であるモネの家に来ることで分かることがあるのでは、と思ったからです。
モネが非常な時間と財産と時間をかけて創り出したこの理想郷。
そう言う浮世離れした、ほとんど個人的な感情を超越している理想郷と、
その当時遠い異国であった東洋に対する憧れ。
この二つにはもしかしたら共通点があるのではないでしょうか?
東洋と言うのは、彼らにとって、なんだったのか。
ドビュッシーもモネも、その生涯に東洋を訪れる機会はありませんでした。
でもむしろ、彼等は東洋を現実的に体験したくは無かったのではないか。
それこそ、『天国』のように絶対分かりえない、
でもだからこそ際限なく夢想する対象、としての異国、東洋。
東洋人としては、ちょっと不思議な感覚です。
帰りにヴェルサイユ宮殿をちょっと覗いて帰りました。
残念ながら中に入る時間は無かったのですが、その大きさを見れただけでも、
そしてその外側(!)に使ってある金箔の量が見れただけでも、
なぜ革命が起こったのか、そして全盛期の王侯貴族の何かが分かるような気がしました。
夜はアメリカ人で、パリで修士をやっているAlexとお夕食とお散歩をしました。
私より一回り若く、まだインターンの身できっとあんまりお金も無い彼が
「パリのお客さんなんだから!」と私に何も払わせないのは、困ってしまいました。
パリに来てから、色々な人に本当に親身に面倒を見てもらっています。
もう、泣きたくなっちゃうくらい、皆に優しくしてもらっています。
いや、パリだけではない、私は本当に色々な人に支えられているんだなあ。。