芸術は愛


最近良く一緒に走っている理数系の同志。
文科系とは人生でほとんど付き合いの無かったバリバリ理数系だ。
一緒にいろんなヒューストンの地区を走り回って探検している。
どんどんヒューストンが好きになってくる。
ヒューストンは公園も多いし、小川もある。
朝露の光る朝焼けの中を走っていると、マラソンハイのエンドルフィンも手伝って
(桃源郷!?)と思うこともしばし。
ヒッピー系の面白いお店が沢山集まる地域もあるし、
意外と歴史も古く、黒人の人権のために20世紀初期に奮闘した人の石碑を読んだり、
本当に楽しい。
この理数系の同志。
私を意識しているのか知らないが、自分に理解できないオブジェを見ると最近
「う~ん、芸術だ…」とつぶやいている。
しばらくこの「芸術だ…」を面白く聞いていたのだが、ある日思いつきで提唱してみた。
「『芸術だ』、と言う代わりに『愛だ』と言ってみたら?」
私の心はこうである。
私の同志が「芸術だ」と言っている良く分からないオブジェの多くは
営利目的でもないし、はっきりと分かる直接的な機能を持っているわけでも無い。
でも、作ったり設置したりするのに、大抵物凄い創意と工夫と労働と時間を要している。
この創意と工夫と労働と時間を惜しまずして、創作者を突き動かすもの。
これぞまさに『愛』ではないのか!?
そしたら、次に「う~ん、『愛』だ…」と同志に言わせしめた物が
アメリカ中で知る人ぞ知る、私も噂には聞いていた、ビール館だったのだ!
家の外装も内装も、敷地を囲うフェンスも、全てがビール缶を切ったもので出来ている!

二人で大笑いした。
家が見える前にまず遠くから「じゃら~ん、じゃら~ん」と
ビール缶のアルミが風で揺れて鳴っているのが聞こえてくる。
そのお世辞にもきれいとは言えない音は、ビール館の外見をもそのまま反映している。
これは「ビールに対する愛」なのですね。
全ての愛が高尚でなくても、良いのです。
ビールに対する愛だって、創作者が幸せになるなら、良いのです。
それに私たちはお陰で大笑いをさせてもらいました。