アックス氏のベートーヴェン、その他


アックス氏のボストン交響楽団とのベートーヴェンの4番の協奏曲の演奏が今夜だった。
まず、研究生の特典の一つについて、触れよう。
ボストン交響楽団や、研究生のオーケストラ、有名人のリサイタルなど
客席の大方が埋まるコンサートでは、
研究生は入口の一か所に集められて、待っているように指示される。
そして開演の数分前になると、まだ空いている席に研究生を案内してくれる、
それ専門でもう何年もやっているボランティアの人がきびきびと
「あなた、この席、あなたはあそこ」
と、いい席から埋めていく。
この人たちは物凄く熱心に、自分の仕事に誇りを持って、
ベストを尽くしている。
例えば、私が日曜日の演奏会でメンデルスゾーンを弾いてからこっちは
「あなたはピアニストだから」
と、ピアノ・リサイタルや、今日のアックス氏のコンサートなどでは
見つけられる一番良い席に連れて行ってくれる。
そんなわけで、今日はこれ以上望めないくらい、指揮者のちょっと左目で
音響的にも、視覚的にも素晴らしい席で音楽を聴くことができた。
今日はブロムステッドと言うアメリカ人の指揮者による演奏だったが
ジェームズ・レヴァインとは、文字通りにも、比喩としても、
姿勢も、体型も全く違う指揮者で、
テンポ感も、方向性も、音感も、全く違うオーケストラになっていた。
音楽と言うのは、聴き手の体調や気持ち、その日の天気や、座った場所の音響、
そして勿論、演奏家の状態やコミュニケーションに対する意欲など、
色々な要素によって変わる。
今日はそう言う条件のすべてがそろっていた、とは思う。
でも、それを引いても、素晴らしい、素晴らしいベートーヴェンだった。
私は最初の和音の、音色やヴォイシングの選択から
もうその世界に引き込まれて、そこから現実に戻ることは最後の音が消えるまでなかった。
演奏を通じて別世界を垣間見せ、現実から少し離れてもらう、と言うのが今の私の目標だ。
今日のアックス氏の演奏は、私の理想だった。
何がすごいか、と言うのを描写しようとするのは野暮かも知れないが、
でも一つだけ言えば、彼は、呼吸を共演者のものと一緒にすることができる。
ピアノと言うのは、発音が一番早い楽器だ。
音を出そうと思ってから音が出るまでの時間差が一番短い。
一般的に楽器が大きくなればなるほど、発音は遅くなる。
例えば弦では、ベースが一番遅いし、
金管ではチューバ(息が楽器全体に回る時間を考えれば、実感をもって理解できる)、
そういう、独自のタイミングをもった色々な楽器総合のオーケストラと言う楽器と
共演する時ピアニストは、どうしてもオケの前に飛び出しがちになる。
でも、アックス氏にはそういうことが起こることすら、想像できない。
彼は、オケの呼吸をしているし、
必要な時は音をオケに溶け込ませることができるし、
オケが弾いたことをそっくりそのまま繰り返すときは、
本当にオケの呼吸で弾くから、ピアノの音色でも、ピアノの音楽じゃなくなる。
凄い。
コーチングの時に、ヴァイオリニストが差し入れで持ってきたオレオのクッキーを
「奥さんにこういうものを食べることを禁止されているんだけど、
禁止されると余計に食べたくなるんだよね。」
と言いながら、コーチングの最中しばしば
「もう一個もらってもいい?」
と何回も中断して聞き、結局5つ位食べてしまった、
そういう可愛いところが演奏している時は想像もつかない。