オーケストラ奏者の悩み


今日は面白いアルバイトをした。
サンフランシスコのオーケストラの団員をしているヴァイオリニストとブラームスのソナタを弾いたのだ。
しかもコルバーンの予備校の発表会で。
私が今在校しているのはコルバーンと言うロサンジェルスに在る音楽学校だ。この学校には二つの独立した学部がある。一つは私の属しているプロ養成コース。学費は勿論、生活費、そして時にはプロ活動の為に必要な資金まで支援してくれる、夢のようなプログラムだ。このプログラムは定員が120人以下と決まっている。もう一つの学部はオーディション無しで希望者を誰でも受け付けるコミュニティーの音楽学校。大体が音大受験準備中の高校生だが、中には幼児用英才教育のクラスや、高齢者の為のクラスなどもある。千人以上の生徒が居る。時間があったり、特にお金が要り用な時は、私たちプロ養成コースのピアニスト達は、時々このプログラムの雇われ伴奏をする。今回の発表会はこの予備校の仕事だった。
先週末、発表会での伴奏依頼の電話が来た時、声が大人だったので子供の為にお父さんが電話をかけて来たのかと思った。今日リハーサルに来て見てびっくり。そして一緒に弾き始めてさらにびっくり。彼はサンフランシスコのオーケストラでフルタイムで働いている、プロのヴァイオリニストだったのだ。彼曰く、オーケストラで毎日弾いていると、演奏技術がどんどん落ちるのだそうだ。オーケストラの団員としての奏法と言うのは割と変化に乏しく、しかも音を周りと溶け込ませることを常に要求されるため、どんどん音が小さくなり、演奏が小さくなるような危機感を覚えた、とのこと。火曜日から日曜日までリハーサルや演奏会で拘束されるフルタイムのオケ団員の唯一の休日は月曜日だ。その月曜日を利用して、朝一番の飛行機でサンフランシスコからロサンジェルスまで飛んできて、レッスンを受け、練習室で練習をし、そして夜行われるおさらい会や、発表会で高校生に交じって演奏をして、ロス発最終の飛行機でサンフランシスコまで戻って火曜日の朝のリハーサルに間に合わせる。
本当に、心から脱帽して、触発された。
プロ養成コースの生徒の中には、一回フルタイムのオケの仕事をゲットしてしばらく働いていながら、その仕事を蹴って、コルバーンに勉強し直しに来ている人が何人かいる。オケの仕事と言うのは本当に倍率が高い。何百人、時には何千人に一人と言う確率のオーディションに合格し、ゲットした仕事を棄てて学校に戻ってくるのは、皆自分の可能性の限界に試したい、と言う音楽家としての欲を優先させるからだ。そう言う友達を勇気がある、と思って尊敬していたが、仕事を続けながら自己向上を試みる人には初めて在った。
最近、音楽史の教科書を読み返していたらば、その一番最初にプラトンとアリストテレスの音楽に関する哲学に関する言及があった。その中でアリストテレスがこんなことを言っているのに感銘を受けた。「音楽と言うのは感情を表現したり、感情に影響を及ぼしたり出来る。だから仁徳や、道徳を教育するために、若者には音楽を教育するべきである。しかし、超絶技巧を見せびらかしたり、競争の為に技術向上を目指す音楽と言うのは、他人を喜ばすための、意地汚い、卑しいことである。音楽の訓練は、常に自己向上の為だけに使われるべきである。今日在ったヴァイオリニストも、オケの仕事を蹴ってコルバーンに修行し直しに来た私の友達も、皆音楽を通じての自己向上に人生をかけているんだなあ、と思った。