ドホナーニに褒められる。

引き続き、オペラ「ナクソス島のアリアドネ」のリハーサルの経過報告です。
実は私はタングルウッドに到着して翌日にあったミーティングのその場ですでに「アリアドネでハーモニアムのパート担当をするのだが、なるたけ早くここのハーモニアムを見て、弾いてみたい。そして必要ならばハーモニアムのレッスンを受けたい」と、ピアノ主任とタングルウッド総監督に要請していました。ハーモニアムと言う楽器が、メーカーによって非常にバラエティーが在る事を知っていたし、またきちんと整備がされていないハーモニアムで弾くほど情けない事は無い、と言う事も知っていたからです。ハーモニアムと言うのは、小学校の教室に良くあるペダルオルガンに良く似た楽器です。両足を使って交互に左右のペダルを踏んで、パイプに空気を送り、鍵盤を両手で弾く事によって演奏します。ペダルを踏むプレッシャーと速さを変えて、強弱や、音の長さをかなり自由に操る事が出来ます。ところがきちんと手入れをされていない古い楽器はどこかに穴が開いていて、幾ら足を一生懸命踏んでも、音の出ない鍵盤が在ったり、音は出るのだけれどスースーと空気漏れが感じられ、幾ら踏んでも弱弱しい音しか出ない事も在ります。最初のミーティングの段階では、(熱心に取り組んでいる様子が好ましい)、と言う感じで受け止められ「私たちが出来る事は全てしよう」と請け合ってくれていました。
今回私に提示されたハーモニアムはボストン交響楽団所有の楽器で、私が今まで弾いたハーモニアムの中では一番凝った楽器です。オルガンの様に色々なストップが付いていて、それを引き出すことによって違った音色を出したり、オクターブを足したり、トレモロや、ビブラートや、色々な効果を音に足す事ができる仕組みになっています。アリアドネのハーモニアムのパートはストラウス自身が「これは伴奏のパートでは無く、立派なソロの楽器として扱っているつもりだ。だからオケの前の方に位置するように」と指示したそうで、楽譜のところどころに「ここはホルンの音で」など、ストップの指示まで書き込んであるこだわりようで、だから立派なハーモニアムを見た時は嬉しかった。ところが弾いてみてびっくり。音程がかなり低いのです。アメリカのオケはラの音(調弦の音)を440ヘルツに合わせ、ヨーロッパは442、と思われていますが、今はアメリカも段々上がって来ています。特にボストンはヨーロッパに近い事を誇りに思う文化が在り、調律も441~442。それに対して、このハーモニアムは438~440で、しかも楽器の性質上、強い音を出そうと一杯空気を送ると音程がさらに微妙に下がってしまうのです。それだけでは無く、ストップの操作がなかなか複雑で、自分一人では中々マスターできません。何度もタングルウッドの事務所や、ピアノの主任にメールを書いて「誰か私にこのハーモニアムの正しい操作を教えてくれる人を探してください。」と要請していましたが、梨のつぶて。タングルウッド側も全く何もしていなかった訳では無く、何人かに掛け合ってくれてはいたのですが、結局どの人より私の方がハーモニアムの経験があり、誰もこのハーモニアムを近年弾いていなかった事だけが判明。そうこうしているうちに、ドホナーニがタングルウッドに到着してしまいました。
リハーサルが始まって、ドホナーニはすぐにハーモニアムの音程の事に付いて発言しました。私は出来れば直接会って事情を説明したかったのですが、ドホナーニは有名な指揮者だからか、私がドホナーニに話したい、と言っても誰も許してくれません。おとぎ話の王様や、昔の日本のお殿様の様に、向こうから話しかけられるまでは、こちらから話しかけてはいけないようなのです。私は首をはねられても良いから直訴したい、と思いましたが、こちらはたかが一研修生、一オケ団員。黙って自分のパートを弾くしかありません。でも私はこのパートをもらった時から張り切って総譜を自腹を切って購入し、チャンと勉強してリハーサルに臨んでいます。その熱意が伝わったのか、それとも余りにハーモニアムの楽器がひどかったからか、リハーサル中にドホナーニさまは段々私に話しかけてくれるようになりました。そう言う会話でこの楽器がとても古い上に調律が不可能な事などを伝える事が出来、ドホナーニの要請が在って初めて具体的な改善策が色々検討され始めました。私が「調律が狂っている!ストップの使い方が分からない!」と一生懸命タングルウッドの事務所に訴えていた時は何だか煩く思われていただけだったけど、天下のドホナーニ様が一言「ハーモニアムの調律は、ちょっとひどいの~」と仰れば、皆ひれ伏して右往左往して改善策を検討します。その結果、昨日はレンタルのシンセサイザーが届き、さらに今日はポルタティーフと言う、小型パイプオルガンがボストン交響楽団の倉庫から発掘され、調律されて私の元に送られてきました。こちらは問題のハーモニアムよりも余程新しい楽器で、電気で空気が送られます。ただ、ハーモニアムと言うのはアコーディオンの様な、リードオルガンの様な音の出るのに対して、ポルタティーフと言うのはフルートの様な音が出る楽器。全く音色が違います。それから電動で空気をパイプに送ると、強弱の微妙な調整ができません。でも、音程はオケと合っているし、とても奇麗な音色で、改善策に違いありません。そして更なる改善策が検討されているそうです。私は毎日違う楽器を弾く事ができ、中々楽しいです。
ニューヨークのメトロポリタン歌劇団がストラウスの「ナクソス島のアリアドネ」を上演した時にもハーモニアムの代わりにシンセサイザーが使われたそうです。ハーモニアムはヨーロッパでは今でも盛んに制作され、簡単に良い楽器が手に入るようですが、アメリカでは余り一般的な楽器ではありません。そう言うアメリカで育った私がボストン交響楽団の鍵盤楽器担当者よりも多くハーモニアムを弾く機会に恵まれて来て、そして今アリアドネのハーモニアム・パートをまた担当している、と言うのも奇偶だなあ、こう言うのも縁だなあ、と思います。
ところで、その天下のドホナーニ様は、ハーモニアムの楽器のひどさにクレームを付けるにあたって、一言「でもハーモニアム担当の子はとても良い音楽家だ。あの子ならどんな楽器を渡されてもきちんと弾きこなしてくれるだろう」と仰って下さったそうです。その一言の発言を今日は、タングルウッドの総監督者と、ドホナーニ様のアシスタントのピアニストと、それからもう一人誰か忘れちゃった人から、伝えてもらいました。

2 thoughts on “ドホナーニに褒められる。”

  1. 自称ファン第一号

    良かったですね。 素晴らしいです。 とても嬉しいです。 誰からでも評価されれば嬉しいけれど、それが権威を持った人ならやはり殊の外、です。 やはり地道に努力を続けていると成果がにじみ出てくるのですね。 良かったですね。

  2. >自称ファン第一号さん
    ありがとうございます。素直に喜ぼうと努力をしていますが、指揮者と奏者の発言権、立場、待遇、がこんなにも違うと、やはり複雑です。特に私は若い時割とソリストとしての機会に恵まれてここまで来てしまいましたから、オケ団員の口惜しさ、と言うのを始めて身を持って経験している気持ちです。
    でもやはり、認めてもらえたのは嬉しいです。それに、おべんちゃら使ったわけでは無く、完璧に私の仕事だけを見て評価してもらえたわけですから。喜べる事は喜んでおこう、と思います。
    コメント、ありがとうございました。
    マキコ

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