午前中から酔うなんて…!

パリから帰ってきてしばらく、
音楽よりもピアノ技巧に集中することによって心頭滅却を試みている。
朝一で午前中、正午のヨーガのクラスまで練習することが多いのだが、
久しぶりにゆっくりスケールや練習曲をさらい、
自分の体と鍵盤と音のつながりを確認。
禅僧のような練習をしている。
最近自分に課しているチャレンジ。
午前中の練習にはペダルを使わない。
特に演奏会に向けて練習している時は、
本番に近い奏法で、本番をイメージしながら練習することが多くなる。
勿論ペダルも使い、音楽的に歌いまわしながら弾くことを、朝から晩まで試みる。
でも、最近気がついたのだが、そうすると死角が出てくるのである。
ペダルを使わない利点は:
1.すべての音を意識するようになる。
2.上の1.の結果今まで意識していなかった和声や装飾音の発見があり、新鮮。
3.地に足が着く。
この3.はヨーガの着想。
ヨーガでは「地面からエネルギーを得る」、と言う言い方をする。
地についた自分の足をしっかり意識することによって、自分の確認をする、と言う意味だと
私は理解している。
日本語の諺「地に足をつける」とか、英語では「be grounded」とかも
ほぼ同じ意味だと思う。
ところが、ピアノを弾いていると大抵右足はサステイン・ペダル、左足はソフト・ペダルに乗っていて、
地に着いているのはかかとだけ、になってしまう。
そしてこのかかとがピンポイント・ヒールなどを履いているときはもう悲劇。
本番中、この状態で緊張のためひざが震えたらもうアウトだ。
ペダル無しで練習していると、足をしっかりと地に着けてピアノを弾くことになる。
そうすると、落ち着いて冷静に、色々な判断が出来てくるのである。
聞き方もより分析的に、客観的になって、全く違ってくる。
ペダルを用いて演奏することは、まるで酔っ払って演説するような物である。
酔っ払っていると、勢いが出てくるかもしれない。
声が大きくなり、顔が紅潮し、人をも一緒に酔わせやすくなるかもしれない。
しかし、酔っ払いながらの演説に筋を通し、説得力を持たせようと思ったら、
素面のときの演説内容の裏づけリサーチと、冷静な論理づくり、そして練習が必要だと思うのだ。
そうしなければ、単なる自己陶酔だ。
自己陶酔と、共感を呼ぶ情熱の違いは本当に紙一重だ。
そこが素人とプロの違い、とさえ、言えるのかも知れない。
そして、素面でペダル無しの練習は新鮮で楽しいし、
自分に厳しくなる、良い修行。
午前中は酔わない!

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