現代曲の譜読み


私はTexas New Music Ensemble(テキサス現代曲アンサンブル)と言う
去年創立されたNPOの創始メンバーのピアノ担当である。
テキサス州に関係のある存命の作曲家の曲だけを取り上げるアンサンブル。
来る11月、このグループ主催のピアノ独奏会を演奏する。
ライス大学を始め、テキサスにある主要大学音楽部の教授の曲が多い。
テキサスと言うのは政治的に、一般的には右寄りで保守的とされる州である。
キリスト教信者の数が物凄く多いし、キリスト教ベースの保守的な考え方
(例えば女性問題、アボーションの問題、同性愛者結婚問題などに関して)を
強く主張したりもする。
そのせいだろうか。
現代曲も、一番実験的、アヴァンガードなものよりはずっと
調性がなんとなくあり、ジャズっぽかったり、テーマがはっきりしていたり、
聴きやすいものが多い。
(今日のブログのテーマからはちょっと離れるので蛇足かもしれないが、
そういう風に見るとアメリカ東海岸はヨーロッパより、西海岸は東洋よりで
美的感覚で現代曲が随分違う。)
しかし、それでも現代音楽。
新しいこと、斬新なこと、新しい見解などを打ち出す野心をどこかに隠し持った曲が多い。
と、言うことは正規のクラシックのような
調性とか、メロディックなテーマとか、そう言うパターンが見つけにくい、のである。
こういう有名な実験がある。
チェスのチャンピオンたちにチェスボードを見せる。
駒がゲームの途中のように並べてある。
彼らはこれを一瞬見ただけで、記憶できる。
ところが、同じボードに駒を全くランドムに、ゲームではありえない配置をすると
どんなチェスチャンピオンでも全く記憶できないのである。
意味あるものは理解ができるから、記憶できる、と言うことである。
現代曲の多くは、このランドムなチェスボードを記憶しようとするようなものだ。
非常に時間がかかる。
でも、段々、段々、自分なりの意味づけが出来てきました。
でたらめ言葉を台詞にもらっても、
大役者なら何等かの効果を上げるだろう。
私だってプロのピアニスト。
音楽を創ってみせるぞ。
どんな材料でも。
そういう意気込みで読んでいくと、
段々作曲家の意図した音楽も見えてくる。
面白くなってきました。