私の人生の覚書。人間みな兄弟。


生きていて実感したことがいくつかあります。
僭越に聞こえるかもしれませんが、
書き出すことで今の私の自分のための覚書にさせてください。
人は、どんな状況の人でも、多少は寂しい。
自分の寂しさは自分では解消できないことがあるけれど、
周りの人の寂しさには手を差し伸べてあげることができる。
多くの人は「助けて欲しい」「救われたい」と思っているけれど、
実は救いと言うのは、
自分が他の人を助けさせて頂くことで見出せることが多いと言うことを忘れやすい。
考えて分かることには限りがある。
分からなくても行動していれば、見えてくるものがある。
考えることは行動しながらでも、できる。
人が本当に何を考えているかは自分には絶対に知り得ない。
だから、一番楽観的な、一番優しい見方をするのが、
自分のためにも相手のためにも、そしてお互いの関係のためにも一番良い。
自分に何が起こるか、と言うことは自分にコントロールできないこともあるけれど、
起こったことにどう反応するか、何をどう記憶するか、と言うことは自分で決められる。
自分にコントロール出来ない事は考えてもしょうがない。
自分にコントロール出来ることに集中して、心を込めて自分のベストを尽くす。
私の最近のお気に入りは、周りの人を褒めることです。
道で通りすがりの人とか、トイレで並んで手を洗っている間とかに
「スカート、素敵ですね」
とか「その色合い、周りが明るくなりますね、ありがとう」
とか、言ってみるのです。
皆顔がぱっと明るくなり、たいていの人はお礼を言ってくれます。
私もとっても嬉しい気分になります。
今日の午後もそうですが、
11月の毎週水曜日はヒューストンから南にちょっと行ったHobby空港でピアノを弾いています。
通りすがる人の多くが難しい顔をしてセカセカと歩いています。
その人たちの顔を一人ひとり(笑顔になったらどんな顔の人だろう)と想像しながら
音を発信するつもりで心を込めて、皆の顔を見ています。
そうすると、必然的に多くの人と目が合います。
私がにっこりすると、たいていの人がほほ笑み返してくれます。
そうすると皆驚くほど顔が変わります。
とっても嬉しい気持ちになります。
昨日の朝はどう言う訳か物凄い倦怠感で、自分にどう対処したら良いか分からなかった。
そしたら学校からSOSのメールが来ました。
今度のオーケストラの演奏会でピアノ・パートを担当の子が
難しいパートに苦難して、指揮者にリハーサル中怒られてしまった。
私が代わりに弾いてやってくれないか。
難しくて、速くて、そしてすごく目立つことで有名なピアノ・パートです。
私は弾いた事がある、でも私が代行したらその子のメンツは?
「私が代行するよりも、私に指導させてください!」
と言って、学校に直行しました。
練習室で1時間。
リハーサル中に名指しで指揮者に色々言われたその子は
心理的にも凝り固まっていました。
(宮沢賢治の『チェロ弾きのゴーシュ』を思い出してください)
その子と指揮者やオケパートに関する冗談を言って笑いあって、
それで指使いや練習法など細かく指導して行きました。
気が付いたら、その子を上達させることに一生懸命になって
自分の問題は完全に忘れていました。
(助けさせてくれて本当にありがとう!)という感じでした。