国会図書館への旅を振り返って


そのボリュームに置いても、価値に置いても比べ物なく世界一であるアメリカ国会図書館の音楽部門の歴史は長く、興味深い。アメリカ国家が設立された時、議会は議員たちがより良く政治を行えるよう、その資金の一部を議員の為の図書館に当てる事を可決した。最初は法律、政治学、歴史などに関する本、議員に直接関係ある本だけの図書館だった。1812年イギリスの侵略の際国会議事堂が燃やされ、図書館も燃えてしまった時、トーマス・ジェファーソンが彼自身の個人的な本のコレクションを国会に売った時、13部の音楽に関する本(音楽理論や歴史に関する本。楽譜は無かった)を始めとするあらゆる言語の(アラブ語のコーランも在った)あらゆる分野に関する本がその7000以上の本に含まれていた事が、この国会図書館の性格と将来を大きく変えた。
さらに1870年、著作権に関する法律が設立され、国会図書館が著作権運営の責任を任されてから、大量の楽譜、教則本、録音などが流れ込むようになる。
1880年に国会議事堂から離れた場所に独立した図書館が建設される事が可決され、音楽部門が正式に設立される。その時音楽部門部長に任命されたSonneck史が「この音楽部門を世界一にする」と言う野心的な方針を打ち出し、精力的にルネッサンス、初期バロックのコレクションを開始。
1899年には17世紀、18世紀の第一版が多くコレクションに加わり、その数は400、000を超える。
1910年代、エリザベス・クーリッジと言う個人資産家(クーリッジ大統領とは関係無し)がこの音楽部門に寄付を申し出る。個人が政府に寄付すると言う前例が無く、この彼女の決断もこの音楽部門の性格と将来を大きく変える。彼女の基金は私たちが3月に演奏するクーリッジ・コンサート・ホールの建設に充てられたほか、当時の作曲家への作品の委託(ラヴェル、コープランドなどが委託作品を書いている)、楽器のコレクションなども彼女の基金から始まった。
彼女の前例に続いて多くの資産家が寄付するようになる。
1930年にはガートルード・ウィト―と言うこれも女性の資産家がさらに音楽部門に多大な貢献をする。彼女は個人的にバッハ、モーツァルト、ブラームス(特に多量)、メンデルスゾーンなどの直筆楽譜を多く所有しており、これを全て寄付した。それからストラディバリウスなどの楽器も大量に寄付。
個人資産家だけでなく、その後作曲家自身や作曲家の遺族の寄付によっても音楽部門はさらにそのコレクションを増加して行く。例えば、ガーシュウィン、コープランド、バーンスタインなどの主要なアメリカ人作曲家の作品、手紙や書類などのほとんどがこの図書館に納められている。それからストラヴィンスキー、ショーンベルグなど色々な事情(主に戦争)によりアメリカに移住して来た作曲家の資料の多くもここにある。その他ブロードウェイ・ミュージカルの作曲家、ポップス、ジャズの音楽家も同じく。それからマルサ・グラハムなどの舞踏家も「パフォーミング・アーツ」の一環としてこの図書館に資料がおさめられている。特にマルサ・グラハムはコープランドなど当時の作曲家と色々やりとりや共同製作を手掛けているので、音楽家にとっては重要な人物でその資料も興味深い。
最初の日のオリエンテーションで私たちは、モーツァルトやコープランドやブラームスなどの直筆を見せられると共にこの図書館の歴史と、そのコレクションのボリュームに付いての説明を受け、頭がくらくらした。さらに「演奏家はただ演奏するだけでなく、こう言う資料の存在を知り、勉強する事によって自身の演奏をより豊かなものにする努力をする責任がある」と言うスピーチが音楽部門の部長から在り、プレッシャーを感じた。この部長はスーザンと言うきさくな女性で、でもこのスピーチは厳しく感じられた。
例えば内田光子を始めとする私が尊敬する演奏家の多くは、こう言った図書館に行き、直筆を勉強すると言う作業を自分の音楽づくりの一環としている、と言う事を私は知識として知っている。しかし私は初日、こう言った作曲家の直筆を見せられても正直言って何をどうやって見たら良いのかさえ分からなくて、戸惑った。これらが、とても古く、かけがえが無く、したがって値段が付けられないくらい価値が在る物である、と言う事は観念的には分かるが実感が湧かない。これを自分の何にどうやって役立てたら良いのか。作曲家の直筆を目前にしたら、私はきっと直観的にインスピレーションを感じるだろう、と自分に期待していた。しかし現実にそう言う物を目前にして、正直に言うと、私はそう言った物を感じる事が出来ず、期待されたどうりの反応を演技しながら、正直、静かに焦っていた。
さらに図書館のサイズが初日、私たちを打ちのめした。例えば、1980年までのコレクションが昔懐かしい、長い引き出しにカードカタログとして登録されてある。しかしそれ以降の物はコンピューターにしか登録されていない。何が1980年までで、何が1980年以降か、示してくれるものは無い。また、カードカタログにもコンピューターにも登録されていない資料、と言うのもある。スペシャル・コレクションである。これは例えば「バーンスタイン・コレクション」の全てに目を通して見つけるしかない。しかし、例えばコープランドのリサーチをしていたら、「この手紙はきっとバーンスタイン・コレクションに在るはずだ」と言う見当をつけられなければ、その手紙は見つけようが無い。それから、例えば作曲家が文豪と文通をしていた場合、その手紙は音楽部門では無く、文学部門にあるかも知れない。さらに、写真や録音は「メディア・コレクション」と言う部門に在る。これは音楽部門とは全く別のビルに在るのである(国会図書館は現在3つの大きな建物から成っている)。何から手をつけたらいいのか。どうやってリサーチをしたら良いのか。
図書館は5時に閉まる。私たちは夕食を取った後、ミーティングをして、これからの方針を絞る事、そして役割分担をすることにした。私はその夜4時間しか寝なかった。インターネットでリサーチをしていたからである。
次の日は私たちは一般の人が入る事の許されない地下のツアーをした。まずコレクションの入手(オークションや、死去した人の遺族からの寄付など、また受け付ける物と受け付けない物の選別の基準、方針など)、入手した資料の登録、整理、保管、そして公開の仕方。さらにコレクションの一部の観覧(バッハ自身が所有していたゴールドベルグの第一版、出版前のオリジナルがここに在る)。音楽部門の「リーディング・ルーム」には参考資料(辞書や、カタログなど)以外は何も置かれていない。一般の図書館使用者はコンピューターか、カードカタログを使って欲しい物の登録番号を図書館員に告げ、図書館員に地下から取って来てもらう。私はこの日、地下のツアーでブラームスの直筆を眺めた時、彼のレガートを書く時の筆の勢いに気が付いて、初めて直筆の何が興味深いのかちょっと分かった気がした。特に19世紀以前の直筆はペンとインクで書かれているため、筆の方向や勢いが良く分かる。ためらって書いた所と、勢いよく書いたところでは線の太さが違うのである。それから作曲家本人がすでに書いたものを消したり、何かを付け加えたりしたところがある。また丁寧に書いている所、急いで書いている所も書き方の感じが違う。
3日目の朝は私たちは「Jefferson Building」と言われる、国会図書館の本館のツアーが在った。これは色々な彫刻や壁画やステンド・グラスなどの装飾が施された、素晴らしく美しい建物である(音楽部門のあるマディソン・ビルディングは割と実用的でそっけない)。Jeffeson Buildingはトーマス・ジェファーソンの名前を取っている。ここで独立宣言のコピーを見た。独立宣言を、トーマスジェファソンは一日半で書きあげたそうだ。そして今日、化学の力やテクノロジーのお陰で、彼がどの言葉を消したか、どの言葉に書き換えたか、分かるのである。さらにジェファソンが書きあげた独立宣言を、ベンジャミン・フランクリンを始めとする色々な人が手を加えている。彼らは綴りや文法を直したのではない。内容を大きく変えているのである。例えば全ての国民が「Life, liberty, and the pursuit of happiness(生命、自由及び幸福追求)への権利が在る」とする所で、Jeffersonは最初「Life, liberty and the pursuit of property(生命、自由及び資産追求への権利」としているのである。これを「the pursuit of happiness」としたのはベンジャミン・フランクリンである。他にもそう言う面白い変化が沢山ある。これは私に作曲家の直筆を見る時の参考をくれた。こう言う課程を見る事の面白さ、と言うのが音楽のプレッシャーを少し離れた所で分かりやすく感じたのだ。
4日目は本当に楽しかった。リサーチの方法がすでに分かって来たからだけでなく、何をリサーチしたいのか、と言う事もやっとはっきりしていたし、作曲家の手紙や直筆を読む作業は本当に楽しかった。例えばバーンスタインは、作曲しながらその空白に、実に沢山の落書きをしている。人の似顔絵とか、とても卑猥な絵とか。そしてそれが結構下手くそなのである。チャールズ・アイブスの手紙の字はブルブル震えている。まっすぐの線が書けないようだ。ルース・クローフォード・シーガーと言う女流作曲家は、締め切りを過ぎた楽譜の催促をする出版社に対して育児をしながら作曲をする大変さをエンエンと手紙7ページにわたって書いている。その手紙を書いている暇にちょっとでも作曲したら良さそうなものだが、何だか書き始めたら止まらなくなっちゃったような感じである。しかもその手紙が実にユーモアに満ちているのである。この手紙は皆で笑いながら回し読みして、コピーも取った。涙が出るくらい、この日は楽しかったのである。なんで涙が出るくらいなのか、と言うのはちょっと説明し難いのだが、何だか作曲家が急に生身の人間になって私たちの前に登場して、それまでは印刷された楽譜の向こうにいた偉い人だったのが、急に何だか可哀そうで、可愛い人達になっちゃったからである。バーンスタインはジュリアードの入試で落ちているし、対位法のクラスでBを取っている。私はバーンスタインの評伝を読んだ事があるが、そんなことはこれっぽっちも知らなかった。そして作曲に飽きると楽譜の余白に落書きしたり、「ジュリアード、落ちちゃったよ~」と手紙を書いたりしている。何だか涙が出てくる。
私はこれから、国会図書館に何度も通うと思う。この旅は始まりの旅だったと思う。私は自分にとって何が大事か、自分がどうして音楽家なのか、このたびをきっかけにこの冬、再確認の過程を経ると思う。
リサーチの最中、トイレで図書館員の一人に「どう、楽しんでる?」と話しかけられた。「圧倒されています。物凄いコレクションですね」と返すと、「そうでしょう。でも毎日こう言う所で仕事している事、こんなに凄いコレクションでさえ、当たり前になっちゃうの。でもあなたたちみたいな人が来てくれて、驚いたり、圧倒されたり、喜んだりしてくれると、私たちも再度、ここで働く事の素晴らしさを再認識させてもらえるの。ここに来るのは音楽学者がほとんどだから、あなたたちのような演奏家、実際に音楽を体現する演奏家が来てくれると、本当に嬉しい」と、腕をキュ、キュ!と掴まれた。その話を他の4人にしている時、またちょっと泣きそうになってしまった。