3日、缶詰しました

木・金・土・日と感謝祭の4連休だった。

私は、13歳でアメリカに移り住んでから初めて、感謝祭をご馳走で祝う事をせずに

木・金・土と家に引きこもってリサーチ・ペーパーを書いた。

題目は、「メシアンの『天の都市の色彩』に置けるグレゴリアン聖歌の使用と、

クリスチャンでは無い演奏家、そして聴衆の一員としてのアプローチの仕方」。

20世紀の代表的な作曲家、オリヴィエ・メシアンは熱狂的なカトリック信者で、

自分の作曲をキリスト教の真実を表現するための手段、としていた。

彼は、特に二つのことにおいて有名。

①バルトークが世界の僻地を旅して、民族音楽の収集を始めたのと同じ感覚で、彼は世界中の自然の中に入っていき、世界中の色々な鳥の鳴き声を楽譜におこして、自分の作曲に取り入れた。

②第二次世界大戦中、捕虜に取られた彼は食糧不足で厳寒の劣悪な環境の中、ドイツ軍の捕虜収容所にたまたまあったアップライト・ピアノ、弦の一本切れたチェロ、ヴァイオリンとそしてクラリネットのための「世の終わりのための四重奏曲」を作曲、収容所の中で何千人と言う捕虜のために初演を行う。その逸話と、「世の終わり」と言う聖書に基づいた題材、そしてインド音楽のリズムや、鳥の鳴き声などを取り入れた斬新な作法により、この曲は彼を代表する20世紀の名作となる。

彼に関する文献はとても多いし、また彼自身が自分の作法について書いた楽理の本や、インタビューなども山の様にある。そして読めば読むほど、彼の信仰は私の想像を絶するレヴェルなのだ。例えば、私にもマリアの処女懐妊は、象徴的な逸話としてならば受け入れる事が出来る。しかし、彼(や彼のようなカトリック信者)にとってはこれは歴史的事実なのである。その彼が書いた、「天の都市の色彩」はキリスト教新約聖書にある「最期の審判」、世界の終焉のあとに訪れる、信者のための天国を描いた作品だ。私はこの曲(ピアノ・コンチェルトと言っても良い、独奏ピアノと室内楽オケのための曲なのです)を4月20日に学校のオケと演奏することになっている。ほとんど布教活動的、と言っても良いようなこの曲を、信者でない私がどうやって解釈し、どう表現するのだろう?私は無神論者と言い切ることはしない。しかし、組織的宗教は歴史上色々な悪行を行って来たと思っているし、ある視点を排他的に「絶対的真実」として提示し、不特定多数の人間に理論を越えて信頼する事を要する組織は、宗教であれ、軍隊であれ、危険で、好ましくない、と思っている。

クラスの課題をこなすだけでは無い、自分の精神的スタンスを問われるようなリサーチのプロセス、そして三日間だった。とても貴重な時間だった。私はもうすでに無くなったメシアンをかなり親しく知る事が出来たと思う。メシアンは、とても楽天的な、とても幸せな、無垢な人だったのだと思う。非常に頭が良い人だったと思うけれど、彼がその楽天性や、無垢な状態を保つためには、カトリック教徒であることが必要だったのかも知れない。そして私は文化、信仰、時間、そして言葉の違いを超越したところで、彼の音楽を通じて、彼の精神性と繋がれると信じるし、彼も同じことを言っただろう、と確信する。

音楽って素晴らしい。私は、今自分の人生がとても好き。4月20日の演奏が楽しみ。

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