ピアノソナタ

明けましておめでとうございます。2020年演目発表!

新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。 まず、リクエストを公募した2020年の私のリサイタルプログラムを公表させてください。日本では6月中旬から7月上旬にかけて、また演奏させて頂く予定です。小さな曲はこれからまだ詰めていきますが、大体まとまってきました。題して「音楽の架け橋:旧世界🎼新世界、ベートーヴェンとガーシュウィン」。(日本での演奏日程をブッキング中!ご興味がおありの主催者の方々はお早目にご連絡ください。サロンや美術館、ホームコンサートのご相談も承ります。) ベートーヴェン(1770-1827)ソナタ28番、作品101(1816)21分 ベートーヴェン(1770-1827)ソナタ32番、作品111(1823)28分 ガーシュウィン(1898-1937)『ラプソディーインブルー』(1924)15分 この3つの大曲の歴史的位置づけを表す小品(未定・模索中) ラヴェル?『道化の朝の歌』『亡き王女のためのパヴォーヌ」他 スコット・ジョップリンかWilliam Grant Stillなどの黒人作曲家? ベートーヴェンとガーシュウィンに徹して彼らの小品で固める? べ「エリーゼのために」「月光(一楽章)」など ガ「I Got Rhythm」などの歌のピアノ独奏編曲や前奏曲 2020年は、ベートーヴェンの生誕250周年記念です。私はへそ曲がりなので、(皆がベートーヴェンを弾いてるときにわざわざ尻馬に乗らなくても…)と思っていました。博士論文では、ベートーヴェンの天才性は歴史的に演出された部分が大きい、と書きました。でも皆さんからのリクエストにもベートーヴェンが多く、(まあこの機会にちょっと…)と見始めた後期のソナタにどっぷりはまってしまったのです。何と言う恍惚の世界!しかも遊び心と、茶目っ気に溢れているのです。 「後期のベートーヴェンは難解」と言うのが一般常識です。私もその固定観念で、今まで作品101や111を避けてきました。が、今この年で初めて自由にこれらの曲を考察すると、ベートーヴェンは実はものすごく楽しんでこれらの曲に取り組んでいた、としか思えないのです。そして私も弾いていて本当に楽しい。 「難聴→失聴」の『運命』のベートーヴェン…これが歴史が創り上げたベートーヴェンのイメージです。でも本当にそうなのでしょうか? 失聴したから聞こえてきた最高の音世界をベートーヴェンは実は満面の笑みで楽しんでいたのでは?障害を持っているから苦しいだろう・不幸だろう、と言うのは健常者の想像力の欠如では?これはパラリンピックの精神にも繋がります。更に、ベートーヴェンには1/16黒人の血が入っていたという学説があります。例えばこれが本当だったとして、リズムの観点からベートーヴェンの後期の作品を見てみると突然ジャズっぽく聞こえてきたりもします。失聴したことで、(その上もしかしたら人種的マイノリティーだった?ことで)常識や固定観念から自由になる事が出来たベートーヴェン。ラッキーなベートーヴェンと言う観点から後期のソナタを検証してみると、全く新しい見解を持ってこれらの曲を解釈する事が可能になります。 そういうお話しをしながら、ガーシュウィンとつなげていきます。ガーシュウィンの両親は、ロシア系ユダヤ人としてアメリカに移民しているので、ガーシュウィンは一世です。反ユダヤ主義が世界的に横行していた時代に、黒人差別に自分たちの人生やアイデンティティーを重ねてみるユダヤ人は多かったようです。そのガーシュウィンの出世曲が「ラプソディーインブルー」です。昨年渡米30年を迎えた私の、日本での演奏活動20周年記念にも相応しい曲です。更に、実に400年前—1620年に清教徒がメイフラワー号に乗って宗教弾圧を逃れて自由を求めてきた自由民主国家、アメリカ合衆国の代表的作曲家とされるガーシュウィンを、この大事な大統領選挙を控える2020年に演奏するのは、意味深だと思います。 書き出してみると、楽しみが募ってきます。ちなみに、生活が不規則になり勝ちな音楽人生ですが、今年の抱負は3時間練習、3時間本の執筆、8時間睡眠を、バローメーターに毎日前進する事!本の執筆にはブログやメールをやっている時間は含みません!楽しんで頑張るぞ!

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順調に日本で活動しています。ー明日は美浜文化ホール!

久しぶりのエントリーです。ご無沙汰のほど、お許しください。 帰国してから、なんかアナログ生活に逆戻りしてしまいました。移動時間に日本の新緑にぼーっとみとれたり、日本のテレビのCMの不思議さ・可笑しさに見入ったり、本を読んだり、温泉に浸かったり、買う物がはっきりしていないでお店に行って楽しんだり、今までコンピューターの前で過ごしていた時間を忘れるような生活をしばらく送りました。その中で、演奏を始めとする音楽活動や、練習をしており、お陰様で充実した日本での日々を満喫しておりました。 その中でもハイライトはいくつかあるのですが、やはり土曜日の品川きゅりあんでの「『天上の音楽』vs.地上の英雄」の演奏は大きなものでした。そして明日13時半開演で、千葉美浜文化ホールでまた同じ演目を弾かせていただきます。今日は明日に備えて、きゅりあんの自分の演奏の録音を聞き直し、反省会をしました。 前にも似た様な事を書いていますが、自分の演奏を聞くのは録音された自分の声を聞くのと同じくらい、嫌な物です。でも、これは非常に勉強になる事でもあるのです。演奏している時は兎に角アウトプットに集中しなければいけません。だからどのような音楽が醸し出されているか、と言う事は分からない。勿論、何か月も練習している中で色々構想を練り、計画を立て、一番効果的・音楽的な曲作りと言うのを準備しています。でも本番中、アドレナリンが体を駆け巡り、いつもと違うピアノ、ホールの音響の中で、何百人と言うお客様と音楽をシェアする時、出て来る物は練習した物と結局随分変わるのです。 不思議な事があります。人によって演奏が変わるのです。練習の一巻として、良く友達と弾きあいっこ、聴きあいっこをします。一般的に批判的な友達の前ではいつも演奏の弱い所が浮き彫りになります。ちょっとでも不確かなところがボロボロになってしまうのです。でもほめ上手で優しい聴き手の場合は理想に近い形の音楽を創れます。これは本当に面白い。一人の聞き手が何百人と言う聴衆となってもこれは同じです。音楽はやはり、時空の共体験、奏者だけが創るものではないのだ、と再確認します。これは責任転嫁ではなく、私の実感です。でも、どんな聞き手・聴衆でも、出来るだけ理想に近い音楽を創るにはどのように自分のコンディションを持っていったら良いのか、どのように練習・準備をすれば良いのか。ベストを尽くすべく色々工夫するのですが、長年の経験で一番効果的なのは、前の演奏を聞く事です。 きゅりあんでは、沢山の優しいお客様に喜んでいただけましたが、自分的にはまだまだ課題を多く残す80点くらいの演奏でした。練習では絶対しないような思いがけないミスが結構多発してしまった。今日、録音を聞いていくつか分かったことがあります。 1.私は小さなミスがきっかけで大きなミスをしてしまう事がある。ミスは不可避。ミスが起こっても自分で自分を許して、過去は忘れ、今これから出来る事に素早く集中を切り替える。 2.どうしても「自分の最大限・精一杯=誠実な演奏」と思ってしまうが、そうじゃない。テンポも音量も音楽への入り込みも、85パーセントを目指して、冷静に弾く。お客さんが聞きにいらしているのは、早い指でも、大きな音量でも、ピアノ技量でも無く、音楽なんだ。音楽を音楽にするためには、私は健康な距離感から来る余裕を持って、楽しみながら演奏しなければいけない。 3.残響を楽しむ。音の引っ張りを楽しむ。和声の美しさを楽しむ。 4.兎に角楽しんで弾く。苦しんでいれば許される、と言う物では無い。許される、許されないではなく、いかにホール一体で共感できるか、音楽を共有したと言う実感を持っていただけるか、と言う事。 明日を楽しみに、今夜はゆっくりします。 木曜日の13時半開演ですが、お時間が許す方は是非ご参加をご検討ください。

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