ライス大学

最近のまとめ。

私の友達には、文字通り世界を世界を股にかけて活躍する人が多い。ヨーロッパから月に数回アジアに出張がある人。日本からほぼ毎週東南アジア・ヨーロッパへと出張する人。出張先から出張先へとアメリカ大陸を所せましと飛び回る人。(すごいな~、かっこいいな~、私もいつかは…)といつも思っていたら、春先にそんな尊敬する友達の一人に「マキコもこれからだよ。そうやって発展がどんどん加速して行くときのチャレンジは、出会う様々な人や出来事や情報を、どれだけ素早く効果的に肥やしとして消化して自分の成長と発展の糧にするかだよ。反芻・復習する時間を忘れないで。」と釘を刺された。 確かに移動が多いと目先の色々に一々気を取られる。その日の宿とか、新しい出会いとか、郷土料理や観光地とか、移動手段とか…いつもは当たり前にこなしていることが、集中力を要するチャレンジとなる。その中で、何気なく耳に挟んだ大きなヒントや、爪を隠す奥ゆかしい「能ある鷹」を、見過ごしてしまうことが在り得ると思う。いかに、表面的なディテールに気を取られずに、自分の大きな目標に一番有効な情報・人脈・機会に敏感でいられるか…グローバル化一年生の大きな課題である。 ヒューストンではいくつか進展が在った。 まず、私のストーカー刑事責任追及に多いに協力してくれたライス大学から、音楽学校を対象にしたプレゼンテーションをデザインしてみないか、と相談された。私は自分の博士論文のためのリサーチで、クラシック音楽の演奏様式の背景に、白人男性優勢主義が在る事、そしてその陰に女性蔑視と人種差別が存在することを初めてはっきり史実として知り、愕然とした。そしてその背景を直視せずに伝統を継承することで、無意識に女性蔑視や人種差別のメッセージが受け継がれているために音楽業界に於ける女性に対するセクハラが67.1%と言う現状があるのでは、と思い至った。一時は「東洋人女性として私はピアニストである事を辞めるべきではないか」とまで思い悩んだ私だが、その後脳神経科学や考古学で、音楽一般が人間の生態や脳神経にどれだけ効果的かと言うことに関しての探求も進め、思いとどまった。そして今では、セクハラや人種差別や性暴力を経験した私がこうしてまだ楽観的に誇りをもって音楽活動を続けていけているのは、音楽の治癒効果と音楽コミュニティーの支援と協力を得ることが出来たからだ、と感謝している。これをプレゼンテーションにまとめてみたらどうだろう、と相談されたのである。かなり個人的な話しになるので、正直ビビっても居るのだけれど、でもやりがいのあるプロジェクトに発展すると思う。考察中。 次に、私がコンサルを務めさせて頂いているHouston Methodist HospitalのPerforming Arts Medicineで取締役を務めるTodd Frazierと、新しく研究者として入ったMei Ruiととても有意義な話し合いの時間を持つことが出来た。 Todd はNational Institute of HealthやNational Organization of Arts in Healthなどの大きな機関でもいくつもの重役をこなす業界の有名人。でも本人はいたっておっとりと、どんなに忙しくてものんびりしゃべる、絶えず微笑んでいる癒しキャラである。 US-Japan Leadership Programに私を推薦してくれた人でもある。 Meiは生化学と分子生物物理学で学部を修めた後、ピアノ演奏で修士と博士を取ったツワモノ。彼女は、楽器演奏に於いて最高レヴェルの技術を取得した奏者たちは脳の構造が変わるため、こういう人たちは脳に脳溢血などのトラウマを受けた後、特殊なリハビリで効果的に回復できるのではないか、と言う研究をしている。 Molly Gebrianは私と同じくライス大学で博士号を取ったヴィオラ奏者。学部時代は音楽と脳神経科学のダブル専攻で、現在は「音楽と脳」と言うコースを教えたり、脳神経科学を使った効果的な練習法についてのワークショップなどを行っている。彼女とは現在アリゾナの大学で教えているのだが、たまたま同じ時期にヒューストンに居て、一緒にお茶をした。Meiもそうだけれど、同志と共感する時間を持てるのは、元気と勇気が湧いてくる。 今回は音楽と関係無い会合にも顔を出した。World Affairs Council of Greater Houston(全米国際問題評議会ヒューストン支部)でイラン政府の代表として核交渉に携わったSeyed Hossein Mousavian元ドイツ大使の講義に出席した。中東の政治や、イランとアメリカの関係などに関して、歴史的背景も踏まえながらイラン側の見解を2時間にわたって語る会だった。歯に衣を着せない毒舌で、特にトランプ大統領については容赦なく「でたらめばかり言う無知」などと言って会場を沸かせた。ヒューストンは2016年の選挙ではヒラリークリントンに投票した人が多かったけれど、テキサス全体的は共和党寄りで、ヒューストンにもいまだにトランプ支持者は居る。それでもこういう発言に会場が湧く、と言うことが興味深かった。私は世捨て人の様にピアノの練習ばかりして最初の数十年を過ごしてしまったと思っているので、遅ればせながらこれから世界の事についてもっとお勉強をさせてもらって、自分の音楽をどういう形で提供すれば一番世のため人のためになる事ができるのか、参考にさせてもらいたいと思う。

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タイムマシーンと世の移ろい。

2010年の秋から2017年の秋まで暮らしたヒューストンに帰って来ると、タイムマシーンに乗って時間を2017年まで逆流した様な気持ちがする。でも、確実に時間は経っている。 30分かけて私のヒューストン時代のお気に入りのレストランに行ってみた。(このお店のこれが食べたい)と言うのはいくつかあるのだけれど、地元の農家から材料を買い付けるLocal Foodsの蕎麦サラダはリストのトップに近い位置づけ。いつも長蛇の列ができるお店なので、お昼の時間を外して少し遅めに空腹を抱えて行ってみたら…が~ん…なんと、蕎麦サラダがメニューから消えている。そして2番目に好きだったキヌアのパティの菜食バーガーも無くなっている… 私は、私が居た時のままのヒューストンが在ると、どこかで思って帰って来る。でも勿論、私がいない間もヒューストンの時間は進行し、都市は発展し、レストランのメニューは変わる。ハリケーンHarveyの洪水の直後に引っ越していった私だけれど、帰ってきたら新しい建築物がにょきにょきと建って、古いお店が新しいお店に乗り替わっている。学校に行けば、建物は同じだけれど、学友は皆卒業していない。私自身が成長し、色々な発見を経て、音楽人生を歩んでいるように、皆それぞれの人生の物語の章から章へと歩み進んでいる。 その中で変わらないものもある。「Makiko!」と叫んで、ハグをしに走ってきてくれる友人がいる。座り込んで私に近況報告をしてくれる人がいる。私のピアノを聞きに、30分、1時間と、運転して来てくれる人達が居る。そして見た目が変わっても、ハグをすると、その人のにおいと声と気持ちと共有する思い出は同じ。 大事なものが明確になってくる。感謝。

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2018年、新年のご挨拶と今年の抱負。

2018年明けまして、おめでとうございます! 2017年は大変お世話になりました。2018年も引き続き、よろしくお願いいたします。2017年は私の人生上いくつかのビッグイベントがありました。一つは博士号取得です。博士課程にかけた7年間と、博士論文「暗譜の起源」の執筆は、私のこれからの音楽人生をさらに豊かにしてくれる、掛けがえの無いものとなりました。 ヒューストンのメソジスト病院に在るCenter for Performing Arts Medicine (舞台芸術医療センター)で、コンサルタントとして音楽の効用に関する研究に関わり始めたのも去年です。 6月にはお蔭様で17年目になる私の日本での独奏会を各地で開かせていただきました。題して「天上の音楽vs。地上の英雄」-前半には天上の音楽(ゴールドベルグ変奏曲)、そして後半にはベートーヴェン、リスト、ショパンによる英雄にまつわる曲の数々。 ハイライトにはもう一つ、US-ジャパン・リーダーシッププログラムに参加させていただいたことがあります。卒業生にはヴァイオリニストの五嶋みどりさんや、オリンピック選手の有森選手、外務大臣の河野太郎さん、オバマ政権・トランプ政権のアドヴァイザー、ジャーナリスト、教育者、有名人、軍事関係の方など、大変なVIPがたくさん居る中、最初はかなりビビりながらも、非常に刺激の多い、人生観の変わる一週間を過ごさせていただきました。 そして秋には、アメリカ大陸を半横断して、大移動・大引っ越しを行いました。博士課程取得・引っ越しと、人生の大きな節目を続けて経て、これからの人生をどのように生きようか、真剣に考える時間に恵まれました。私は、本当にたくさんの方々のご支援と愛情を得て、ここまで音楽人生に精進して歩んで来られました。その過程で得た経験は、私に主流とは少し違った価値観・人生観・音楽観を、与えてくれたと自負しています。 それを、皆さまのお役に立てるのにはどうすればよいのか。試行錯誤は続きますが、とりあえず大きな方向性として、いくつかの事を2017年に始め、2018年で発展させたいと意欲を燃やしています。 一つは、舞台恐怖症を克服する過程で私が勝ち得た信念と人生観について、本を執筆する、と言うことです。もう一つは、音楽サーヴィスの宅配ビジネスを始める、と言うことです。演奏をお届けするだけではなく、音楽に関する講義、イベントにふさわしい音楽デザインのコンサルタント、上がり症に関するカウンセリング、演奏会ツアーガイド(演目解説をより身近に)、など、音楽家と一般聴衆の隔てを減少して、コミュニケーションをしながら音楽を共感するイベントや時空を提供していく、と言うビジネスです。そのために、今インターネット上でとりあえず知名度を上げるべく、色々努力をしています。今年18年目を迎える日本での演奏活動は5月中旬から6月上旬となります。まだ日程に余裕がございます。私が提供できるサービスをHPに並べてみました。どうぞレストランでメニューから選ぶようにお好きなものをお選びになって、お声をかけてみてくださいませ。 音楽博士、御用達! また再会して色々お話できるのを、今から楽しみにしております。 2018年が皆さまにとって良い年でありますように。今年も、よろしくお願いいたします。 平田真希子

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家族の来訪+卒業式にまつわる数々の式典+2つのリサイタル=充実!

水曜日(家族到着) 私の卒業式に参列して一緒に祝ってくれるために水曜日に日本から両親と、ニュージャージー州から私の高校以来のホームステー先の育ての母、アメリカンマザーのジョーンが来てくれました。空港からピックアップして再会を喜び合い、ホテルまで送り届けました。本当に遠路をはるばる良く来てくれました。「今までの卒業式は寂しい思いをさせてしまった」と父は言ってくれたけれど、今回来てくれて本当に嬉しかった。   木曜日 (リサイタル「天上の音楽vs。地上の英雄」) 夜、卒業前の感謝独奏会を行いました。 7年間ライス大学に在学中、私の人生は本当に奇想天外な経験を沢山潜り抜けました。ライスについて半年後に東日本大震災があり、ライス大学の多大な協力を得てチャリティー演奏会を行ったのが、アンサンブルMATIMAで私と一緒に創始者・デュオパートナーとして活動してくれる、素晴らしいクラリネット奏者の佐々木麻衣子さんと初対面で、大変なイベントを力を合わせて制作しました。そこで協賛してくださったヒューストン日本人会とは、これをきっかけに本当に密な関係を築かせていただき、沢山の演奏会を主催して頂いただけでなく、私がストーカーピンチで警察や弁護士を交えて大騒ぎをしている時、演奏会の警備を買って出てくれたり、家族の様に親身に応援してくれました。ライス大学も隠れ場の仮の住まいを用意してくれたり、護衛を付けてくれたり、警察や検察への捜査に対応する私を書類記載など事務的な事を代わりにやってくれたり、全面的に私に協力してくれました。私が充実した学生生活と演奏活動を中断することなく、この7年間修業し、卒業に至ることが出来たのは、本当に沢山の人が応援してくださったからなのです。ストーカー騒ぎで大変だったことも沢山あったけれど、その中でもパリに三回行き、演奏と共になんだかお角違いな「国際比較文学」の学会でプロコフィエフのオペラに関する発表をさせて頂いたりもしました。麻衣子さんとマドリッドに行って国際クラリネット協会の大会で演奏したり、その後ドイツの音楽祭に参加したりもしました。そして野の君は、私が足が地に着かない状態でストーカー退治と演奏活動をふわふわこなして博士論文に手つかずなのを見かねて、「夜の勉強会」を提案してくれました。ただ単に、二人でノートパソコンと文献と共に、スタバで毎晩会話をするでもなくそれぞれの作業をするだけなのですが、この時間は私に物凄い安心感をもたらしてくれて、私は本当にお陰様で論文を書き上げる事が出来ました。論文指導教授が「ライス大学に来て以来私が読んだ中でも最高の論文だ!」と褒めてくれた、会心の作です。 私は感謝の表明をせずには卒業しきれないくらい、沢山の方に多大なご協力を頂いたのです。ストーカー騒ぎが発生した時、演奏会主催者からも、教師として雇ってくれている学校からも、敬遠されるだろう、と覚悟しました。聴衆や私の生徒や、更に私の学友などに危険が及んだら大変です。甘受しよう、これも運命、と思いました。でも、私の演奏会は一つもキャンセルされなかったし、むしろ増えたくらいです。そして日本人会の人達が望遠レンズのカメラを準備して(警察通報した際、本人が逃げた後でも証拠が残るように)、駐車場では炎天の中野球バットを持って見張ってくれ、演奏会が滞りなく開催されるように、万全を尽くしてくれました。そして私を教師として雇ってくれていた学校も「了解しました。警備を強化します。あなたはここにいる時は何も心配せずに教える事に専念してください」と言ってくれました。麻衣子さんは私にいつもよりもむしろ密に寄り添って、自分の被害を顧みずに励ましてくれました。今思い出しても涙が出てきます。 演奏会には、家族のほかにも、学校の事務関係の方で私のストーカー退治をいつも心に停めてくださっていた方々や、社会福祉の人、私の論文指導を私の状況を全て把握しながら励まして励まして、私が諦めそうな時にも私にすごいはっぱをかけて一緒に頑張ってくれた図書館の人、そしてたゆみない応援を続けてくださる日本人会の方々、沢山の方々がいらしてくださいました。私が一番うれしかったのは、この中の一人が言語障害を持っている息子さんをお持ちなのですが、この子が目をキラキラさせて「良くやったね!!良くやったね!!」と何度も言ってくれた事です。この子は私の演奏会にも何度も来てくれているのですが、いつも私が声をかけるまで端っこでもじもじしているのです。でもこの日は自分からぐんぐん私のそばに寄って来て、褒めてくれました。 金曜日(式典数々) まず、家族と一緒にLocal Foodsと言うレストランで昼食をしました。地元無農薬農家の材料だけを使った料理を提供するお店で、私がヒューストンの近くで一番良く行く料理屋さんの一つです。 その後、卒業式の前日の色々な祝典がありました。 まず今年ライス大学から卒業する新・博士153人が、博士号を象徴するたすきを指導教授にかけてもらう、と言う儀式がありました。「このたすきはあなた方の修めた学業と、それによって得た知識を象徴しています。」と言うスピーチが校長から在って「はい、はい」と適当に聞いていましたが、いざ自分の番が来て舞台に歩いて行き、名前を呼ばれながらお世話になった教授二人にたすきをかけてもらった時、一瞬たすきで視界が区切られ、そしてたすきが目線を越してまた会場が見渡せるように成った時、新しく生まれ変わったような、不思議で嬉しい気持ちがしました。 その後は音楽学校の卒業生のための祝賀会がありました。簡単なサンドウィッチとケーキがふるまわれるだけなのですが、私はお世話になった色々な教授と大変楽しく会話が出来、嬉しかったです。ちょっと近寄りがたい存在だった校長先生も親しくお話しをしてくれました。 その夜は毎週金曜日教えている生徒ちゃんたちのレッスン。人生が中々辛い時のレッスンは本当に慰められました。嬉しい時のレッスンも、そういう思い出を胸に、感謝の気持ちです。いつもはジーパンの私がこの日はドレスだったので、びっくりされました。 その後家族とヴェトナム料理。ヒューストンはヴェトナムの外ではヴェトナム人人口が一番多いとされていて、美味しいヴェトナム料理屋さんが沢山あります。家族もフォー初体験!フォーと言うのは、米粉の麺を24時間牛の骨を煮込んで作ったスープに入れて、モヤシやバジルやライムなどと一緒に食べます。気に入ってくれたみたいです!良かった。   土曜日(卒業式) 天気予報では雨が心配されていたのですが、それが嘘の様なカラリとした晴天!しかも湿度も温度もヒューストンのこの季節では考えられないほど申し分ない天気でした。卒業式は暑さ対処も在って、朝の8時半からと早かった。10時半からは博士課程の人達とその参列者のために特別なビュッフェが用意されていました。オムレツステーションと言って、自分が好きな具を入れて目の前でオムレツを作ってくれるところとか、トリュフのリゾットとか、山盛りの果物(高いブラックベリーやラズベリーやブルーベリーが盛りだくさん!)とか、ローストビーフとか、クラブ・ケーキ(蟹肉のコロッケ)にとろーり卵を乗っけたEggs Benedictとか、予想を超えた豪華さでした。家族のほかに麻衣子さんと、ヒューストン日本人会の母的存在の亜子さんがご一緒してくださいました。 その後私はアメリカンマザーとAsia Societyの展示を見て、アジアの色々な屋台が出ている夏祭りを楽しみ、Common Bondと言うパリの外では一番おいしいフランス風パン屋さんでクロワッサンとサラダを食べて、その後野外劇場でヒューストンバレーの「マダム・バタフライ」を観ました。83歳で足が悪いのに、ジョーンは一生懸命全てを見聞きして楽しもうと、貪欲についてきてくれました。二人でとても思い出深い夜を過ごすことが出来ました。 日曜日(母の日) 私たちが大好きなフランス料理店に家族のみんなをご招待しました。本当に美味しいんです! まず前菜のサーモンとホタテのカルパッチョ。中の白いのはきゅうりではなく、ホタテです。バルサミックヴィネガーとオスと岩塩で頂いています。 次にロブスターのリゾット。蟹みその様なおいしさ!美味しい物は万国共通ですね~。 それから主菜。チリアン・シーバスです。 次にブリ―と言うフランスの柔らかいチーズがカリカリトーストの間にサンドウィッチされた物。左にはちみつ、右にイチジクのジャムが添えてあります。 最後がデザート。濃厚なチョコレートのケーキにカラメルソースとベイリーのアイスクリーム。 美味しい物を「美味しいね~」と楽しみ合えるのは本当に幸せですよね。私も演奏会場を似た様な空間に出来れば、と思っています。 その後、Menil Collectionと言うヒューストンでも私が一番気に入っている美術館の一つに一緒に行きました。お昼で満腹してしまったので、夕飯は割愛!   月曜日(家族が帰る。夜は日本人会で演奏) 朝、家族を空港に送り届けました。昨日の夜食べる予定だったけど満腹で割愛したパリの外では一番おいしいフランス風パン屋さん、ヒューストンが誇るCommon Bondのクロワッサンとチョコ・クロワッサンとバゲットを開店と同時に入手してホテルに持っていったらとっても喜んでもらえました。 夜は日本人会で開かれた私も大変お世話になったOさんの帰国送別会に音楽を添えさせていただきました。こちらも素敵なイタリア料理店、Bisteccaです。   とても思い出深い一週間となりました。 さ、これから日本の公演の広報に本腰を入れます!ご協力をお願いできれば大変心強いです。 平田真希子ピアノリサイタル2017「天上の音楽 v.s. 地上の英雄」PDF ダウンロード  

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博士論文審査、通りました!

  論文審査の討議と言う物が一般公開されている、と言う事は私は論文執筆の最初から知っていました。「あなたの論文は面白い!私が指導します。そして審査の討議には出席します。」と始めに図書館の論文指導統括を担当するエリザベスが言ってくれたのは、2014年の秋だった。そして2年半前の約束通り、竜巻警報も出る大雨の中、長靴を履いて、素敵な手書きのカードとお守りの首飾りを持って来てくれました。     論文を審査会の教授群に提出する際「論文審査発表」と言う物を学校に提出します。これを受けてライス大学は大学中とインターネットを通じて「何科の誰それの論文「(題名)」の審査がいつ、どこで公開で行われます。」と発表されます。 ところが…!今までライス大学の音楽科の論文審査は全てオフィスの会議室で行われていたようなのです。それだけでもう一般の人は来にくい。さらに私が「友人が数人来たいと言ってくれていますし、論文に関係あるピアノでのデモンストレーションで行いたいので、教室で審査をさせて頂く事は可能でしょうか?」と言ったところ、驚くべき抵抗に会ったのです。「不可能です。諦めてください。」「前例がありません。ピアノのデモンストレーションは自分の演奏をヴィデオをで撮ってプロジェクターで映写してください。」など。反論を許さない、威圧的な返答でした。ところがここで、私の論文指導教授が奮闘してくれました。「私の専門は中世ですが、大学と言うシステムがそもそも最初に設立されたころ、こういう論文審査は執筆者の発表の場でもあり、大学関係者全員が執筆者に質問をし、活発な議論の場となったようです。本来、論文審査と言うのはこういう場であるべきではないでしょうか?私が責任を持ちます。教室でやらせてあげて下さい。」ここからまた色々な論争があり、やっと妥協されたのが、教室の中に机を並べ、審査委員会と私が真ん中に座り、聴講者は教室の端っこでおとなしく目立たないように座る、と言う事でした。 当日は、最初に書いた様に竜巻警報も出る大雨で、「絶対に行く!」と言った人の多くが足止めを食らってしまったのですが、それでも野の君や私のデュオパートナーで心の友の佐々木麻衣子さん、エリザベスと引用のチェックを細かくしてくれた音楽図書館委員のメアリーなどが出席してくれました。 審査は私のプレゼンテーションから始まります。153頁でも簡略し過ぎたと思えるような複雑な内容なのし、それを15分のプレゼンにまとめるのはもうジョークと言うか、罪悪感と言うか。割愛に次ぐ割愛。でも「審査委員会は全員、きちんと読んできたばかりだから」と言う指導教授の激励を受けて、何とか12枚のスライドにまとめました。 プレゼンの後に審査会からの質問やコメントがあります。皆まず、褒め言葉から始めてくれました。「前例がない研究なのに、良くここまで色々情報を集め、まとめました。素晴らしい。」とか「Beautifulな仕事」とか色々言ってくれて嬉しかったです。 次に質問です。 「この内容を踏まえた今、あなたのこれからの演奏様式はどのように変わるのですか?」「クラシック音楽の教育はどのように成長するべきだと思いますか?」「記譜法と言うのは演奏にある限界を設定したと思いますか?」「録音産業と言うのが演奏様式にもたらした影響と言うのは暗譜と同じくらい多大ではありませんか?」 しかし私はプレゼンで全ての脳パワーを使い切ってしまった様にぼーっとしてしまい、さらに教授たちは質問の理由や背景など長々と説明するので(今の2分ほどのスピーチのどこが、どういう内容の質問なんだ。。。?)と私の頭ははてなマークでいっぱいで、なんとなくそれに関係のあるような論文の内容をお話ししたりして、(これでよいのかな?)という感じでした。それなのに質問が止むこと無くどんどん次から次へと発せられ、さらに聴講の人にも質問が振られ、聴講の人も一杯質問してくれて、私は脳みそがぐるぐるしてしまいました。 その後に、今度は最終論文出版前の最後の校正についてのコメントを頂きます。 「イラストに付けてある説明書きをもう少し丁寧にしないと良く分かりません。」「付録としてあなたが言及する出来事の年表があると、読者として大変助かります。」「目を閉じると聴覚が増す、と言うのは間違えではありませんが、あなたの引用している研究発表のデータとは必ずしも一致するとは言えない。この引用は適当では無いでしょう。」「ここはコピペの失敗だと思いますが、句読点が正しくありません。」 そして最後に「それでは合格の是非を審査委員で協議しますので、一度退室をお願いします。」と言われ、ぞろぞろと聴講の人達と一緒に部屋を出ます。「論文審査」と言うのははっきり言って大抵の場合合格する、どちらかと言うと通過儀礼と言う常識があるので、気楽な物で、聴講に来てくれた人は皆「おめでとう」と言って記念写真を撮ったりして、楽しく嬉しく別れます。が、何分も待たされている内に「何をそんなに協議することがあるんだろう…」と不安にもなってきます。 でも、ドアが開いて「おめでとう!」と握手を求められて、とっても嬉しい気分になります。 そして論文審査委員の教授たちと記念写真を撮って終わり!皆喜んでくれていますが、私の顔が嬉しくてくしゃくしゃなので、私はこの写真が好きです。野の君が撮ってくれました。 夜は美味しい赤ワインと洋ナシの甘酢煮添えフォアグラと自家製パスタにロブスターがゴロゴロ乗っている奴、とフィレミニョン(超レア)を食べました!  

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