お洒落なパリ


パリで道行く人は本当にみ~んなお洒落に見える。
何が違うんだろう、とギョロギョロ目ヒューマン・ウォッチングした、私の結論。
お洒落=意思・意図・意識的表現としての洋服と身のこなしと身の手入れの選択の結果ビックリマーク
簡単に言えば「こうした」がお洒落で「こうなっちゃった」が非・お洒落。
ただ、この「こうした」にどれだけ自信を持って、
その自信が表情や身のこなしや態度に表れるか、と言うのもお洒落の一部なんだと思う。
流行におどおどと付いて行っている、と言うのはだから
どんなに時間・お金と神経を使っていても、究極的には「非・お洒落」。
反対に、自分は絶対着ない!と言う服でも「私はこれを良いと思っています」と言う態度が
堂々たる身のこなしに繋がって、その自信がその人をより寛容にしているなら、
その選択に私自身が感心しなくても「この人はお洒落だ」と思える。
あくまで私の意見です。
昨日、私のパリの心の友(と言うか文字通りの幼馴染で、感覚的にはちょっと妹みたいな)、
Mさんと私たちの共通テーマ、二人が会えば必ず話題に上る「女性美」の話しをしていた時。
(ちなみにMさんはお洒落な美女です)。
私は録音技術の向上が今日のピアノ演奏の画一化にいかに繋がっているか、
と言うことを、現在の(私達がいつも誤解されていると同意する)女性美に繋げてみました。
録音技術の向上によって、
市場にでる録音はすべてミスタッチが無い、非・人間的に完璧な音楽になった。
これに慣れた聴衆は生演奏でも録音に近い完璧さを演奏家に求めるようになり、
演奏家は期待に応えるべく、凄い練習と、それに耐えうる正確と、
音楽や聴衆からある程度距離を保つ冷静さを身に付けるようになり、
結果、現在の演奏家は画一化した。
1950年代より前の世代のピアニストはその音色や歌いまわしを聞けば
すぐ「この人!」と分かるような特徴を強く持ったピアニストが多い。
それに反して、最近のピアニストは極端に言えば、誰が弾いても同じ。
女性美にも同じことが言えるのではないか。
美容整形や、化粧品、美容薬品の向上により、女性がどんどん「美しく」なっている。
しかし、何を基準にした「美」なのか。
韓国の最近の美人コンテストの入賞者が皆同じ顔だ、と言うことが話題になっている。
韓国ではレーザーで顔のほくろなどは全て除去するのだそうだ。
整形も、物凄い。
それが、本当に「美しい」のか。