2011

行ったり来たり

12月5日にNYに着いて、その足で芸術財団のパーティーに空港から直接向かい、(空港のトイレでワンピースに着替えました)それ以来本当に目まぐるしく毎日を過ごしている。NYでは、留守宅の鍵を私に預けてくれて、猫のベビーシッターや、植物の水やりなどの引き換えにピアノ付きの家を私に任せてくれる、仲の良い友達が何人もいる。そういう人たちの家に泊まる時は日中は旧友と会ったり昔の先生にお話を伺ったりレッスンをして頂いたり、買い物、コンサートと中々忙しい。そしてNJの高校時代のホームステー先に帰ってくれば、88歳と79歳になる私のアメリカン・ペアレンツが笑顔を崩して迎えてくれる。もう20年以上、家族の様に可愛がってくれた二人だ。近況報告に高じることになる。 そんなわけで、楽しく忙しく冬休みを過ごしている。 明日は久しぶりにクロード・フランク先生にレッスンをして頂く。

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ジョン・レノン31年命日コンサートにVIPとして行く

Theatre Within と言うNYのNPOは、ジョン・レノンの死去以来毎年追悼コンサートを開いてきた唯一の組織だそうです。コンサートの利潤は色々な人類愛的組織に寄付されて来ました。去年30周年記念の盛大なコンサートの生録音はアルバムとなってオンラインでの売り上げが先月始まりました。 http://www.amazon.com/Annual-Lennon-Tribute-Beacon-Theatre/dp/B005ZOGX70 クラシック音楽馬鹿の私でも聞いた事の在るような有名なポップ、ソウル、ジャズのアーティストがレノンの曲をアレンジして演奏しています。このアルバムの利潤は日本赤十字に義捐金として寄付されることになっており、私はこのNPOと日本赤十字の間のメールの翻訳や、電話を通じてのコミュニケーションの助けをすることで、ヴォランティアとしてかかわらせて頂きました。 昨晩、NYのLe Poisson Rougeでレノンの31周年の追悼コンサートが開かれ、私はお手伝いに対するお礼として、VIPとして招待されていきました。そしてこのVIP招待は、舞台裏でアーティストにも紹介してもらう、凄いものです! 後ろの立ち見席は朝の7時半ごろの横須賀線の様にすし詰めですが、私の席はかぶりつきで、ろうそくの乗ったテーブルもあって、最高です。そして、アーティストがステージに上り下りするところとかも手が届く距離で見えます。さらに、マスコミが沢山入って(カメラマンが20人くらい忙しそうにカシャカシャずっとコンサート中写真を撮っていました)、彼らが時に舞台に乗り出して、写真を撮っているのも良く見えます。お客さんは気分が高じると、手拍子を始めたり、奇声を上げたり、一緒に歌い始めたり、クラシックの演奏会とはずいぶん違う雰囲気です。前半の終わりでは演奏会に貢献した人たちの名前が挙げられ、感謝の表明がされました。私はこの31周年追悼コンサートには直接は関わっていないのに、名前が呼ばれてビックリしました。お客さんは絶対わたしが誰か知らないのに、熱狂的に奇声と拍手で挨拶してくれました。 でも、私はちゃんと知っている曲は「イマジン」だけでした。「ストロベリー・フィールド」は何かの小説に書いてあったから題名は知っていた。でも皆が口パクしたり、一緒に歌ったりしているのを見て、これはまったく違う世代、違う文化だなあ、と思いました。演奏会の前に舞台裏に連れて行ってもらって沢山のアーティストに紹介してもらいました。私は、これが凄い光栄な事だ、ということは知っています。しかし(特に演奏会の前であったので)MCとアーティストの区別もつかず(MCはラジオのMCで有名な人だったようです)、ちょっと恥ずかしかった。アーティストは Richard Barone, Glen Burtnik, Chris Campion, Marshall Crenshaw, Mike Doughty, Steve Forbert, Lucy Kaplansky, Zeb Katz, Betty LaVette, Natalie MIshell, Rich Pagano, Chrissi Poland, Joe Raiola, and Toshi Reagon (MC John Platt)でした。この中で凄いと思ったのはソウル・シンガーのBettye Lavetteです。舞台裏で会った時から「この人はなんか雰囲気が違うなあ」と思いましたが、私に言わせるとずば抜けてよかった。Toshi Reagonと言うソウル・シンガーも洗練されている、というのではないけれど、凄いエネルギーでした。Chrissi Polandという人も上手かった。 芸術と言うのは鍛錬して培う職人技と、個性や瞬発力と言った先天的な物のかね合わせだと私は思っていますが、 ポップの場合、この職人技の部分が少なくても成功できるんだなあ、と思いました。男性歌手の多くは音痴だった。 一般的に女性のほうが(少なくともこのショーにおいては)上手かったのは、なぜでしょう? 私はやはりクラシックの方が好きだと思いました。

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冬休み!

昨日、今学期最後の期末試験をインターネットで提出した。 期末試験を終えたそのままの姿勢で、今学期教えた聴音のクラスの10人の成績を提出し、 最後に今学期取ったクラスと教授の評価(これを提出しないと、成績がオンラインで見れない)も提出、 今学期が正式に終了! 脳みそがもういっぱいいっぱいで、一週間お休みしていて再開を楽しみにしていた練習もする気がしない。 20時間くらい眠らないと。 そして、一日ボーっとしないと。 お散歩して、ゆっくりご飯を食べて、ゆっくりゆっくり自分を取り戻していく。 今、夜の9時。 寝ちゃおう! 今学期は本当に良く頑張りました。

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自閉症のためのコンサート

今日は、アメリカとイギリスでもう10年ほど活動を続けているNPO「Music for Autism(自閉症のための音楽)」主催による演奏会を、今日やって来ました。クラリネット奏者で、私と色々な活動を共にしてくれている麻衣子さんとの共演です。 「自由に、演奏の妨げにならない限り、したいことは何でもさせてあげて」と前もって説明を受けていましたし、過去の演奏会でのエピソード(舞台によじ登って演奏者の周りを演奏会中休み無くぐるぐる20分ほど走り回った後、そっと演奏者一人一人の背中にキスをして女の子の話、とか)を沢山聞いて臨んだ演奏会だったので、ビックリすることなく、彼らの視線から音楽を一緒に楽しめる、とても新鮮な体験となりました。 例えば、ピアノの下にもぐりこんでしまった男の子がいました。多分、5歳くらい。そして私の演奏中に時々下から手を伸ばして、そっと高音の鍵盤を静かに鳴らすのです。お父さんが舞台から男の子をおろそうとしましたが、その子は本当にそっと弾いているし、時々だけだし、「大丈夫ですよ」と言いました。 それから楽器紹介などのトークの時に、大事な言葉を大きな声で繰り返す男の子がいました。(9歳くらいかな?)「ピアノ!ピアノ!」「クラリネット!クラリネット!」「ドビュッシー!ドビュッシー!」など、など。その子が演奏会の後に私と麻衣子さんに握手をしてきてくれました。そしてそれぞれに「ピアノを弾いてくれて、ありがとう」「クラリネットを弾いてくれて、ありがとう」と静粛に言うのです。なんだか、この演奏会のお礼ではなく、まるで「ピアノに捧げる人生を送る事を決めてくれてありがとう」と言われた様な気持ちがして、背筋が伸びてしまいました。 サン・サーンスの「動物の謝肉祭」から抜粋でいくつか弾いたのですが、「亀」を麻衣子さんがバス・クラリネットで、私がピアノで演奏していた時は、子供たち(自閉症の子も、普通の子も)が自主的に急に亀になって床を這い始めました!子供はいいなあ!! 私たちも楽しくなってしまいました。 自閉症の人と言うのは、興奮すると声を出してしまったり、大きな動作を繰り返し長時間行ったり、と言う特徴があるため、演奏会などには『他の聴衆の邪魔になる』などの理由で行きにくくなります。そうすると、自閉症の本人だけでなく、家族も結局演奏会に行きづらくなってしまいます。けれども、音楽による自閉症の子供への精神・知覚向上効果と言うのは、一般の人以上、と理解されており、さらに自閉症の人の中には音楽(でも、他の分野でも)のずば抜けた才能を持った人がたまにいます。そういう人たちのため、またその家族のために、生演奏を供給しよう、と言うのがこのNPOの趣旨です。資金は個人や企業の寄付からまかなわれており、家族の経済状態に関係なく参加できるよう、入場料はただです。そして演奏家にはきちんと報酬が払われます。 自閉症だけでなく、盲目でもある男の子がいました。(多分15歳くらい)。そして演奏海中はずっと静かに座って聞き入っていたのですが、演奏が終わった後、ピアノのところに来て、ドビュッシーの「月の光」の触りの部分を鍵盤で探し始めたのです。次の音が分からなくなったところで私が助け舟を出すと、どの鍵盤を弾いたか見えないはずなのに、「パッ」とその音を拾って続け始めます。お母さんによると、その曲は初めて聞くそうです。 人間と言うのは、素晴らしいなあ。そして、音楽と言うのは凄いなあ、と、改めて思いました。

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3日、缶詰しました

木・金・土・日と感謝祭の4連休だった。 私は、13歳でアメリカに移り住んでから初めて、感謝祭をご馳走で祝う事をせずに 木・金・土と家に引きこもってリサーチ・ペーパーを書いた。 題目は、「メシアンの『天の都市の色彩』に置けるグレゴリアン聖歌の使用と、 クリスチャンでは無い演奏家、そして聴衆の一員としてのアプローチの仕方」。 20世紀の代表的な作曲家、オリヴィエ・メシアンは熱狂的なカトリック信者で、 自分の作曲をキリスト教の真実を表現するための手段、としていた。 彼は、特に二つのことにおいて有名。 ①バルトークが世界の僻地を旅して、民族音楽の収集を始めたのと同じ感覚で、彼は世界中の自然の中に入っていき、世界中の色々な鳥の鳴き声を楽譜におこして、自分の作曲に取り入れた。 ②第二次世界大戦中、捕虜に取られた彼は食糧不足で厳寒の劣悪な環境の中、ドイツ軍の捕虜収容所にたまたまあったアップライト・ピアノ、弦の一本切れたチェロ、ヴァイオリンとそしてクラリネットのための「世の終わりのための四重奏曲」を作曲、収容所の中で何千人と言う捕虜のために初演を行う。その逸話と、「世の終わり」と言う聖書に基づいた題材、そしてインド音楽のリズムや、鳥の鳴き声などを取り入れた斬新な作法により、この曲は彼を代表する20世紀の名作となる。 彼に関する文献はとても多いし、また彼自身が自分の作法について書いた楽理の本や、インタビューなども山の様にある。そして読めば読むほど、彼の信仰は私の想像を絶するレヴェルなのだ。例えば、私にもマリアの処女懐妊は、象徴的な逸話としてならば受け入れる事が出来る。しかし、彼(や彼のようなカトリック信者)にとってはこれは歴史的事実なのである。その彼が書いた、「天の都市の色彩」はキリスト教新約聖書にある「最期の審判」、世界の終焉のあとに訪れる、信者のための天国を描いた作品だ。私はこの曲(ピアノ・コンチェルトと言っても良い、独奏ピアノと室内楽オケのための曲なのです)を4月20日に学校のオケと演奏することになっている。ほとんど布教活動的、と言っても良いようなこの曲を、信者でない私がどうやって解釈し、どう表現するのだろう?私は無神論者と言い切ることはしない。しかし、組織的宗教は歴史上色々な悪行を行って来たと思っているし、ある視点を排他的に「絶対的真実」として提示し、不特定多数の人間に理論を越えて信頼する事を要する組織は、宗教であれ、軍隊であれ、危険で、好ましくない、と思っている。 クラスの課題をこなすだけでは無い、自分の精神的スタンスを問われるようなリサーチのプロセス、そして三日間だった。とても貴重な時間だった。私はもうすでに無くなったメシアンをかなり親しく知る事が出来たと思う。メシアンは、とても楽天的な、とても幸せな、無垢な人だったのだと思う。非常に頭が良い人だったと思うけれど、彼がその楽天性や、無垢な状態を保つためには、カトリック教徒であることが必要だったのかも知れない。そして私は文化、信仰、時間、そして言葉の違いを超越したところで、彼の音楽を通じて、彼の精神性と繋がれると信じるし、彼も同じことを言っただろう、と確信する。 音楽って素晴らしい。私は、今自分の人生がとても好き。4月20日の演奏が楽しみ。

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