2016

論文リサーチは探偵のごとく

公開演奏での暗譜の最初の例として良く引き合いに出されるのが 1837年、クララ・シューマンがベルリンで行った ベートーヴェン「熱情」のソナタの全楽章演奏である。 ところが調べてみると、クララは同じプログラムでバッハもショパンもメンデルスゾーンも 暗譜で弾いたようなのである。 なぜ「熱情」だけ特別扱い? しかも、この1837年のベルリンのクララの暗譜は「高慢」とされあまり評判が良くなかった、 と思われている。 この理由はBettina von Arnimと言う女性が 「How pretentiously she sits at the piano, and without notes, too! (「なんて傲慢にピアノの前に座ってるの!しかも楽譜も使わないで」) と言ったと言う逸話がこの演奏にまつわる記述の半数以上出てくるからである。 しかし、Bettinaがどういう所でこの発言を記述したのか、あるいは言っただけなのか、 いまだに私には分からないのである。   これについて探求を始めると何時間でも費やせてしまう。 私はドイツ語はかじっただけで、到底文献を読むところまで至らないので余計に探偵仕事。 要するに、古い伝記がそういう逸話を乗せて、それを音楽学者が次から次へと引用して なんとなく本当っぽくなってしまった、と言う事でまあ間違えないと思う。 今の所私が見つけた一番古い記述は 1902年にBerthold Litzmannと言う人がドイツ語出版したクララ・シューマンの伝記。 (ドイツ語版第一巻107頁) https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=hvd.ml169u;view=1up;seq=121 しかしそこに出展の記述は無い! しかもBettinaの発言の記述はこのLitzmannからの引用か、 それをまた重複引用したものを引用している!   でもそれにしても、Bettinaは本当にそう言ったのか? その意見は発表されたのか? 例えこの発言が実際にあってなんらかの形で発表されていたとしても なぜ彼女の意見だけが他の批評(手放しの賛辞)を差し置いて重視されるのか?   Bettinaと言うのは十代の頃ゲートやベートーベンと交友関係にあり、 その書簡を題材に自由に加筆した書簡体小説で有名になった。 ベートーヴェンからベッティーナに宛てたとされる手紙も信憑性が疑わしい物があるらしい。 (1812年のもの) そんな人の在ったか無かったか分からない発言がどうして重要なのか?   ベートーヴェンの伝記(1840)を書いたSchindlerと言う人も ベートーヴェンの秘書を務めたりしたのだが、 難聴だったベートーヴェンのための「会話帳」に死後加筆したり、 自分に損な部分を消去したりしてしまっている。 […]

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メリークリスマス!

私が6歳までの幼少を過ごした香港は、 ヒューストンと同じくらい冬でも気温が高かった。 (ちなみにヒューストンは今日は24度ありました。) それでも寒い時にはジャケットが必要だったのですが、 19階の我が家から見えるプールでは毎朝泳いでいる男性が居て 父が「お~!今日も泳いでいる」としばし感嘆していたのを覚えています。 クリスマスの日にはプールの近くにある公園で金管五重奏がキャロルを演奏していました。 ヴェランダに出て、家族で楽しむのが恒例でした。 母は器用にサンタさんの顔の壁掛けを編んだり、リースを作ったり、 部屋にきれいなクリスマス・ツリーを飾ってくれたりして、 クリスマスの日にはお手製のデコレーションケーキを焼いてくれました。 私はサンタさんの存在を固く信じていたのですが、 ある年のプレゼントは包装紙が香港でも大手デパートだった大丸のロゴが入ったもので、 しかも非常に癖のある父の筆跡で「いいこにしていたかな?」と書いてあり、 さすがに5歳か6歳児だった当時の私でも「これは...?」と疑問に思ったのを覚えています。   皆良い思い出です。 こういう思い出の全てが、私が今ここに至る道の土台になってくれた事、 そして家族の愛情に感謝しています。 今日は野の君とテキサス第一位に輝いたクリスマスライトの街で たっぷりとクリスマスを堪能しています。   メリークリスマス!  

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祝!博士論文第一稿終了!

昨日博士論文第一稿が晴れて終了いたしました。 一時期は終わらないかのような気持ちがしました。 約一か月間、博士論文を最優先させ、最後の数日は 「早く練習がしたい、早く普通の生活に戻りたい…」と 兎に角終わりを目指して訥々と書きました。 机の上には乗り切らず部屋の床を所狭しと埋め尽くす ページを開いた状態の本が約30冊、と言う状態が何週間も続きました。 朝起きたら真っ先に論文にかかり、夜は寝るか半徹か悩み(大抵寝ました) 数時間がアッと言う間にすぎたり、一日が半永久の様に感じられたり、 普通の感覚ではありませんでした。 乗っている時には散らばっている文献のどこに何が書いてあるか、 どこに今必要な本があるのかパッと分かり、超能力者の様な気持ちでした。 乗らないときはその散らばっている本の周りをうろうろと (どっかで読んだあの逸話はどの本のどこに書いてあったんだっけ…) とこの本の数ページを読み諦め、他の本のページをめくって諦め、 と数時間をつぶしたりもしました。   それがすべて終了!   そして不思議な物で、論文が終わって一時間後から 人生の気がかりの色々が一つずつ解消して行っています。 さて、ずっと怠っていたお掃除を年末の大掃除と一緒に片づける!

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体制立て直し。論文「金曜サスペンスドラマ風」

非常に苦しい数日を経て、今一つの理解に達した。   私は間違っていた。   「ピアノ演奏に於ける暗譜の起源」と言うトピックで博士論文を書く為に 私は今までの不勉強を埋め尽くすために 間接的に関係あると思われることについて手広く調べた。 これは暗譜に関する直接的な言及が 歴史的にも、音楽史に於いても驚くほど少ない事を受けて苦肉の策でもあった。   結果、私は古代ギリシャの英雄たちの演説や、記憶術、 ホーマーの叙事詩がどのように口伝えで代々記憶されていったのかと言う研究を始め、 さらには音楽とは何か、と言う大きな題目を検証するために 宗教音楽として始まったいわゆる「クラシック」が 宗教から独立した時にどのような大義名分を持って 存在意義の主張と経済援助の正当化を計ったのか、 その背景にあったアメリカ独立戦争やフランス革命などの政治革命、 工業革命の結果起こった都市化、分業、テクノロジーの発達 思想革命で変わった個人の自意識と世界観の変化、 さらには演奏会がこの頃儀式化したことを受け、 「儀式とは何ぞや」と考古学や認知心理学などまで読んだ。   それは非常に興味深い作業だったし、沢山、沢山学んだ。 楽しかった。こんなに勉強させてもらえる特権を私は感謝している。   でも、私が間違えたのは、自分の論文を書くと言う作業に於いて これらのリサーチで学んだ新しい知識を羅列して、 それぞれに暗譜をこじつけていく、と言う風に書こうとしていたのだ。 これじゃあ、論点は伝わらない。   暗譜を前押しに。奏者の視点から。と、言う事でもう一度組み直し。 「金曜サスペンスドラマ風」と言うのは、12月12日付けでブログに書いた構成の方式です。 1.事件のシーン(いつ・どこで・誰・何があった)、問題定義(なぜ・誰が・どのように) 2.一見殺人とは無関係で平和そうな(雀がちゅんちゅん)でも実は事件解決に重要な背景情報(探偵や目撃者の日常生活の風景、など)。 3.事件解明の捜査過程(なぜ、誰が、どのように。) 4.道徳(何がこの事件から学べるか)   第一章。「自然に覚える:本能でする暗譜」 1.いつ?1834年; どこで?ベルリン; 誰が?カークブレナーと言う当時有名だったピアニスト・作曲家と、A.B. Marxと言う評論家・音楽理論家(私の論文の最終章の重要参考人);   事件:カークブレナーがA.B. Marxの好印象を買おうとした。「最近は即興演奏が本当にすたれましたね~。私の即興を聴いてください」と吹聴し、十数分にわたってフーガや色々な技法を駆使した素晴らしい演奏を披露した。A.B. Marxは感心したが、翌日カークブレナーが出版した楽譜に目を通している際、前日の「即興」が実は1823年に出版されていたカークブレナー自身作曲の「Effusio Musica」と寸分違わぬ暗譜演奏だったことを発見した。   問題定義:なぜKalkbrennerは自分が出版されている作曲家で在ることや、暗譜演奏に長けている事を誇示するよりも、それを(ばれるリスクを負いながら)「即興」と偽った方が印象が良くなると思ったのか?A.B. Marxはこの逸話をカークブレナーの汚点として面白くおかしく伝えているが、自分が暗譜演奏と即興演奏を見分けられなかったことをなぜ恥ずかしいと思わなかったのか?   2.西洋音楽の根本に「音楽と言うのは記譜することが可能である」と言う概念がある。(雀ちゅんちゅん)聞いた事が無い曲を時空を経て再現可能にする緻密な記譜法を編み出したことは、西洋音楽を世界の音楽の中でも例外的な存在とした。記譜法があったために西洋音楽は急激な発展と複雑化を遂げ、どんどん芸術的になり、楽譜に忠実に一音とも足さず、変えずにそのまま再現すると言う行為・概念が可能となった。「暗譜」ーすなわち、楽譜に忠実に記憶から音楽を再現する、と言う概念も楽譜があって初めて在り得る行為・概念である。   3.1)音楽と言うのは時間の芸術であるから、音楽体験の全ての形に於いて(鑑賞・演奏・作曲・即興)記憶の介入は必然である。そのジャンルに適当な形式展開や和声進行、今聞いている曲のそれまでの経緯の記憶を踏まえて、来る瞬間が楽しめ、その次に来る物への期待が高まり、音楽が理解でき、音が楽しい行為となる。記譜法が布教される以前の西洋音楽、更に西洋音楽の様な緻密な記譜法を持たない文化の音楽では特に音楽鑑賞が記憶に頼る度合は高まる。 2)記譜法布教後の西洋音楽で、楽譜を使わない演奏と言うのは、即興を指すことが多かった。楽譜を使わずに行う既存の曲の忠実な再現は、奏者の能力に欠けているところがあると解釈される危険性があった。例えば、盲目、創造力の欠如(女性・アマチュア)、サヴァン症候群、など。能力は存分にあるが、既存の曲を暗譜演奏する場合、奏者はアリバイを作った。モーツァルトはコンチェルト演奏の際自分のソロ・パートを書き出す時間が無かった際、メモ用紙の様にメロディーの一部などを書き留めた紙を楽譜立てに置いた。メンデルスゾーンは楽譜を忘れて来て、他の楽譜を楽譜立てに置いて適当に譜めくりをしながら「暗譜演奏」をした、と言う記述がある。パガニーニは楽譜を演奏会場に持っていくと盗まれて著作権侵害の被害に遭うため、楽譜を使わないと言っていた。これらの自作自演の場合、どこまでが暗譜でどこまでが即興か、はっきりと言う事は不可能である。しかし、即興演奏も和声進行やメロディーの概要などの記憶を基に演奏するので、音楽に対する記憶力を動員していることに間違えはない。 3)後にロバート・シューマンの妻となる神童クララの教育を全面的に行ったFriedrich Wieckは音楽は独学で、大学では神学を勉強した。神学を専攻する学生は後に教師となる者が多かったため、教育学も神学の一環として教えられた。そのため、父Wieckは当時の音楽教育者としては珍しく、流行の教育論や哲学に精通しており、クララの教育にルソーやパスタロッツィ、そしてJohann

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「もう十分やってくれた。ありがとう」

昨日は5歳の女の子のお葬式で弾いて来ました。 面識の無い家族のお葬式で弾くのも初めてでしたが、 子供のお葬式への参列も初めてでした。 カーテンの紐に首を絡ませて事故死してしまったそうです。 5日間の昏睡状態を経て、亡くなったと言う事でした。 とても活発で好奇心旺盛な生き生きとした女の子だったことが ご両親、おじいちゃん、学校の先生、従妹の追悼のお話しから良く分かりました。   お話しが来て、状況説明を受けた時から ご両親の気持ちを想像して出来るだけ寄り添いたいと思いましたが、 想像を絶すると言うのはこう言う事だな、と思いました。 でも家での事故だと言う事で、ご両親がご自分を責めてしまわないように 周りからのサポートとケアが必要だな、と思いました。 お葬式は、会場に人が入りきらず立ち見が会場の中にも外にも鈴なりで、 「5年間、私たちを明るく照らしてくれて、一緒に沢山笑ってくれてありがとう」 「これからはずっと天国でお姫様のかっこうをしていられるね」など、 明るい追悼が多く、子供らしい逸話には会場が笑いに包まれるなど、 女の子自身とご家族の人柄とのコミュニティーの結束の強さがうかがわれる式でした。   でも、私がこのブログを書いているのは、お兄ちゃんの言葉を書き留めたかったからです。 娘さんが昏睡状態の時、お父さんが二人のお兄ちゃんに向かって 「お前たちには何にも悪い事が起こらないように責任を持って出来る限りのことをする」 と言ったそうです。 お兄ちゃんはマイクを握って泣きじゃくりながらその時からずっと言いたかったと前置きをして 「お父さん、そんな事は言わなくても良い。 もうお父さんは僕たちに沢山の事を教えてくれたし、今までずっと見守ってくれた。 それだけで十分です。ありがとう。」 と言ったのです。   尊い言葉だと思いました。 この式に音楽を添えられて良かったです。    

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