珍しく雨。今日は練習に没頭日。
リクエストの出たベートーヴェンのソナタ32番作品111と、マイブームの28番作品101番、そしてラプソディーインブルーやガーシュウィンの「アイゴットリズム」の編曲などを集中的に譜読みするほか、ゴルトベルグ変奏曲など古い曲をも見直して、自分のテクニックや過去の教訓を復習したりもする。
まず楽譜を読む。本を読むように読む。頭の中で音が鳴る。作曲家の意図が見えてくる。曲の構築が立ち上がってくる。指さばきを頭の中でシミュレーションしてみる。アールグレーが非常に美味。
時々ピアノに行って、楽譜から想像できにくい和声進行や、指使いなどをちょっとやってみる。そして机に戻って楽譜を読み続ける。
そしてピアノに腰を据える。楽譜を読む作業を続けながら、どういう姿勢・動き・指さばきが一番楽譜を活かすのか、振り付けをするような気持ちで考えていく。それぞれのリズムで体感が変わる。この部分のリズムを感じるのは肩か下腹かお尻か、かかとか?歌い方も指先で歌ったり、手首、肘、肩とか、フレーズをどこで感じるかで方向性が変わる。そういうことを考えながら楽譜を読み続ける。
どうしてもっと早くこういう練習法が出来なかったのか...過去の自分に一瞬怒りを覚えてから、次の瞬間思い出す。
無理だったのだ。
私は何十年も音楽学校の練習室で練習することを与儀なくされた。小さなグランドがやっと入る窓もそっけもない練習するためだけの部屋。ピアノは何十年もの間、歴代音大生たちに毎日十数時間酷使されて来ている名ばかりのスタインウェイ。そして自分が弾く手を止めると隣の練習室からの音が洪水のように押し寄せてくる。周りの練習騒音に追い立てられるように、自分もできるだけ速く・大音量で弾かねばと言う強迫観念に取りつかれる。
少しでも静かな環境で、自分が好きなピアノ・好きな練習室で静かに練習がしたくて、朝一で学校が開くと同時に練習を開始する努力をしていた。でもすぐ練習室は埋まってしまう。ある朝、寝不足の早朝、何とか練習しようともがいていた私の耳を、隣の部屋の「ワルトスタイン」ソナタが乗っ取った。自分の指は他の曲を弾いているのに(何を練習していたか思い出せない)、耳も脳みそもワルトスタイン。気が違うかと思った。気が付いたら泣き始めている自分を発見した。
そんな中で、静かに楽譜を読んだり、自分が出す音に耳を傾け発音に一番適した動きを想像するなんて、無理だったのだ。もちろん、練習環境のほかにもプレッシャーや、生活苦もあった。
それを全て乗り越えて、今が在る。今、私は安定した環境の中で渡米直後に両親に買ってもらった愛器と、愛着を感じる我が家で、大事で大好きなものたちに囲まれて、安心して練習に没頭できる。だから私の音楽が新境地に達している。
ありがとう。私は幸せです。
お疲れ様です。
アーティストの苦悩は、その他大勢の安逸に慣れた凡人には想像を絶する世界です。
ふと、新田次郎の小説「孤高の人」を思い出しました。
登山家加藤文太郎のノンフィクション的小説です。
『ありがとう。私は幸せです。』
誰でもが普通に使う言葉ですが、人それぞれの諧調があることを知りました。
この言葉の諧調がながく続くことを願っています。
小川 久男
ありがとうございます。
幸せは目標ではなく、副産物だと思っています。
私は日々向上を目指して頑張れる現環境に感謝し、幸せを感じています。
小川さんの様に私の日々の考察や演奏に関心を持って時間や意識を投資して支援してくださる方々にも。
平田真希子