洒脱日記143:マキコ初めてのICU演奏ライブ配信。

「30分後にICUにライブ配信していただけますか?」

...とテキストが入った時、私はごぼうをささがきの真っ最中でした。普段はそんなこと全然しないのに、今日は何だか「4本あるゴボウをささがきにして凍らせよう!」と思い立ち、奮闘していたのです。

コロナでICUのベッドが足りなくなっているヒューストンやLAの病院。私はいつでも患者さんや病院スタッフのために演奏のライブ配信をする準備があると、もう数か月前から連絡済みでした。何度も感謝されましたが、人手不足や予算不足などを理由に何回か謝られ、そのまま連絡が途絶えて今に至っていました。それが今日、まさか30分の通告で...しかもゴボウのささがき中に...

(せっかくのゴボウが黒くなる...)というのが私の最初の思考でした。

いやいや、違うでしょ!ICUでしょ!緊急事態でしょ!

取り合えず処理済みのゴボウだけラップして冷凍庫に放り込み、残りのゴボウはまた今度。着替えをして、簡単な化粧をしている内に、野の君がいそいそとマイクと配信のセットアップをしてくれます。(野の君、いつもありがとう!)

「音楽を聴きたい患者さんにスタッフがアイパッドを届けるので、希望者の数だけ演奏してください。一人につき2~3分で結構です。一曲弾いて、リクエストされたら二曲目も弾いてあげてください。その後医療スタッフに希望者がいれば彼らのためにも演奏してもらいます。名前と曲名だけを告げてください。患者さんの名前や病状は聞かないでください。重症の方もいらっしゃるので余り話しかけて負担にならないように。呼吸器に繋がれている患者さんもいらっしゃるかもしれませんが、びっくりしないように。」

約束の時間が来ても、向こうからあるはずの連絡がありません。ピアノの前でヘッドフォン被って手持無沙汰で待ちます。10分後、こちらから「スタンドバイしています」と連絡しても、返事はありません。「何時間くらいの拘束なのでしょうか」とずっと前から数回繰り返している質問にも答えはありません。でもICUです。現場がどんなのか想像もつかない。取り合えず、待ちます。野の君と二人で「これは長丁場になるかもね~」と会話。「大丈夫。僕は自分のズーム会議の時間が来たら、外に出てやるよ。」野の君がけなげに宣言。―野の君は、炎天下で汗だくでズーム会議をするのか!? でも、息を満足にできないのに家族に会えないで寂しく苦しんでいる患者さんに音楽を届けるためならば、野の君の汗くらいは我慢してもらうべきなのかも...?

やっとFaceTimeがかかってきます。向こう側はオフィス。防護服を付けていない、なんだか呑気そうなとても若いお兄ちゃん。「え?患者さんのために演奏する?ああ、そうなんですか。じゃあ、ちょっと待っててくださいね。音楽が好きそうな患者さんがいるか探してきます。」

...えええ⁉ あのお兄ちゃんは、これから防護服を着用して、ICUまでアイパッドを持って行って「演奏ライブ配信聴きたい人~!」「音楽の御入り用はありませんか~!?」「ピアニスト~、ピアニストのサービスで~す!」とか言って、ICUを回るんだろうか?それとも患者さんの顔を一人一人覗き込んで(この人は音楽が好きそうかな...?)(う~ん、この顔はクラシックピアノじゃなくて、エレキギターでしょ)とか?...なんか、笑える。

またもや待つこと10分。やっと二回目のFaceTimeがかかってきました。向こうには防護服なぞ全然つけていないさっきのお兄ちゃんと、ベッドに起き上がっている割と元気そうな男性の患者さん。

「ハロー!私の名前はマキコです。これからピアノを弾きます。3曲出だしを弾くので、どれが好きだか選んでくださいね。」患者さんはにこにこして、手を振り「ハロー」を返し、そして3曲の選択肢から「じゃあ、最初のショパン」と、エオリアン・ハープを指定されました。OK!

患者さんが演奏中に何か発言なさるかもしれないと思い、ヘッドフォンを着用したまま演奏。ヘッドフォンからは「ピー、ピー、ピー」とか「ガラガラガラガラ」とか、病院の音が聞こえてきます。

弾き終わると患者さんは「ナイス!ビューティフル!」と褒めて下さいます。「ありがとう。もう一曲弾きましょうか?」「そうだね。お願いするよ。」

今度はゴルトベルグ変奏曲のアリアを選択なさいました。2曲目が終わると「うん、どうもありがとう。素晴らしかった。もう満足した。」と患者さん。私はあまり患者さんに話しかけないように言われているので、ニコニコしてうんうんと首を縦に振ります。その後二人でだんまりでお兄さんがアイパッドを引き取りに来るのを待ちます。数分の沈黙は、スクリーン越しに見つめ合っている全く他人の二人には、ちょっと照れくさい時間です。「患者さんが疲れすぎないように、余り話しかけないように、と注意されているのですが、もしよろしかったらなんでもお話しください。」と言ってみるども、相手は「う~ん、そうだね~...」とちょっと気づまりな感じ。

やっとお兄さんが来ました。「お疲れ様でした~」とにこにこしながら、今すぐに配信を切りそうなお兄さん。「もし他にも音楽をご希望の方がいらっしゃったら喜んで弾いて差し上げますが…」と言ってみると「ああ、そうですか。あなたはいつまでお時間がおありですか?ちょっと他の患者さんに当たってみて、それではご希望があればまたお電話します。」と、お兄さん。

その後、電話は来ませんでした。

...理想と現実には随分ギャップがあるなあ、というのが正直な感想。あの患者さんはもしかして私を気遣って下さっただけで、本当は自分のスマホで好きな音楽を気ままに聴く方がずっと楽で良かったのでは?本当に役に立つためにはもっとシステム化されていないとだめな気がする。スタッフも患者さんも音楽を治療の一環とする体制が無いと...

後から、連絡をくれたスタッフが「あのお兄さんは初めてで、あまり良く分かっていなかったのです。」と説明を受けました。いかにも。でもまあ、報道とは違って、現実のICUには呑気な空気も、笑顔も、退屈な時間も、色々あるんだなあ、とちょっと安心もした、そんな一時間半の経験でした。

今日嬉しかったこと。

  • 朝練のライブ配信。33日目の今日はゴルトベルグ変奏曲の最後のアリア。これを毎日やったことで、私のゴルトベルグは更に一皮剥けました。
  • 朝練を毎日見てくださっている一人が「ライブ配信の前は朝はだらだらしていたけれど、ライブ配信を観ることが日課になってからは、朝のリズムができた。5時半に起床し、コーヒーを作り、そしてライブ配信の後も仕事が捗る。ありがとう」とおっしゃって下さいました。嬉しいです。
  • 懐かしいお友達からメールを頂きました。「ピアノの事は何も分かりませんが、時々ヴィデオを拝見しています。あなたが元気にピアノに向かう姿を拝見していると、安心します。」と。ほっこりしました。感謝。
  • 「君のキャリアを飛躍させるためにはこれが絶対必要だ」と勧められていた高額の物がありました。収入が激減している今。「キャリアアップのために絶対必要」と断言されてしまったけれどそれを賄うべきか否かぐちゃぐちゃ迷っていたのですが、今日開眼!私のキャリアの事は私が一番良く分かっている。そして勧められていた商品は、よく考えてみると例え無料でも欲しくなかった!もっと自信を持とう。周りの「助言」に一々揺れ動かない!
  • ライブ配信後、ゴボウを短冊切りしてごま油で炒めて、しょうゆとお酒とみりんとしょうがで白身魚と煮ました。美味!

今日の動画。「ピアノ道:対位法の練習で両手を平等化する方法」(日本語です。)

2 thoughts on “洒脱日記143:マキコ初めてのICU演奏ライブ配信。”

  1. 小川 久男

    お疲れ様です。

    とてもいいミッションでした。
    患者は、ベットから降りられないストレスのかたまりです。
    好きな曲をリクエストすることでストレスが緩和されます。

    小川久男

    1. ありがとうございます。
      そうかもしれませんね。
      分かり得ない事は、出来るだけ楽観的に考えるようにしています。
      そう信じましょう
      真希子

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