洒脱日記226:学術を物語に変換する

「学術論文を物語にして研究を一般に広めよう」というワークショップに参加しました。

常日頃から私が思っていることの一つに「勿体ない」ということが在ります。研究者が熱意を持って年月と多大な予算を組んで行う研究が論文発表にとどまってしまうことが多い気がするからです。例えば脳神経科学の音楽の効用に関する研究にしても「fMRIを用いてこの音楽を聴かせたら脳のうんちゃらくんちゃら部分に活性化が見られたであるからにして...」みたいな文章が続き、だから何なのか、という一般人の日常的な問題解決への応用が分かりにくい。

音楽は集中度を高め、自己制御機能を高め、ストレスや苦痛を和らげ、脳の色々な部分を活性化する。

どうやってそれが分かったのか。数値にしてどれくらいの効果があるのか。どうやってその数値を引き出したのか。そういうことよりも、もっと大事な事があります。それは...

どうしてそういう研究をしようと突き動かされたのか?誰を助けたいのか?希望は何か?

人間が世界を理解する方法の一つに物語が在ります。共感を呼び起こす物語を語る事で、その研究を印象付ける。個人的な連想を促す。いつまでもその研究について考えさせる。

私が良くする話しの一つに、こういうのが在ります。演奏に感極まった観客の一人、ある高齢男性が「ブラボー」と言って立ち上がり、そのまま倒れてしまった事がありました。この方は足が不自由でいらして杖が無くては立てなかったのですが、音楽に興奮してそれを忘れられていたんです。その人のその時の心情を思う度に、私は感動してしまいます。多分その瞬間その人は、自分の足の事も、自分の高齢すらも忘れて、音楽の素晴らしさだけに純真に喜ばれていたのだと思います。

どうして音楽にそういう力があるのか、人間が音楽に没頭する脳のメカニズムはどうなっているのか、それはどうやって数値化できるのか。そういうのは、脚注で良い。そこにこだわってしまうから、研究結果の恩恵を多くの人に届けるのには物凄く遠回りになってしまう。私がこの話しで一番素敵だと思うのは、時間は主観だ、ということを簡単に表してくれるからです。100年生きても、こういう瞬間を一度も経験しない人生と言うのもあり得る。でもこういう瞬間は、思い出にもなり、そして他の人も喜ばせるこういう物語にもなり、大げさに言えば、この一瞬は半永久的にポジティブだ。人間をより人間らしくし、世界をよくする。長寿よりも、こういう瞬間をより多く目指す、価値観の変換が必要なのではないか?そして音楽は、こういう瞬間を生み出すポテンシャルを多く持っている。

この研究と一般社会のギャップということは色々な研究分野で今問題になってきているようです。そして研究を世に広めることをメディアに任せてしまうことにも問題があります。アメリカでは「ソフト・サイエンス」と言われていますが、間違った情報が歪曲されて広まってしまうことがあるからです。「モーツァルト効果」がその非常に典型的で有名な良い例です。

だから一番良いのは、研究に携わっている人が物語りの技を身に着けることだ!

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