演奏道中記5.29:人生の意義に不可欠な挑戦

言語の壁。10代でしかもマンハッタンの真っただ中で家族から離れて生きる気負い。音楽で身を立てることへの将来の不安。振り返ると、10代時は苦しかったなあ、と思います。(自分は溺れかかっている)と思いました。(岸は見えているけれど、そこまで泳ぎ着くだけの気力があるか分からない。頑張る理由も、もう見いだせない...)そう感じるほどの圧倒的な疲労感を感じていました。でもその時思ったのです。(救出しなければいけない誰かを引っ張っているとしたら自分はもっと力を出せる)...。子供でも、恋人でも、友人でも良い。私が溺れたら一緒に溺れてしまう誰かの為なら自分は我武者羅になれる。そして結果的に自分自身をも救える。それで、子持ちのホームレスの為の職業訓練所で、お母さんたちが訓練を受ける時間帯に子供たちのベビーシッターをするボランティアを始めました。子供たちは本当にかわいくて、私に愛情を沢山くれて、私は気が付いたらとっても元気になっていました。あの子たちももう大人になっています。どういう人生を送っているのだろう。今ちょっと目がウルウルしてしまいました。

総合化学ジャーナル『ネイチャー』の二月号に掲載された記事によると人生を有意義に感じる為に必要な要素はまず三つあるというのがその分野ではすでに確立された常識のようです。①目標。②役に立てている実感。③周りとの繋がり。これに加えて、過去や現状をアプリシエイトする(喜ぶ・楽しむ・面白がる・興味を持つ)ことも、MIL(ミーニング・イン・ライフ=人生の有意義性)を実感するために必要だというのがこの記事の主旨なのですが、私はまずこの最初の3つを知らなかったので、凄く納得してしまいました。

10代のマキコは、直感的にこの事を理解していたのだなあ、と思います。更に、私が「テンポ:音楽による環境運動」に感じる原動力もこれを読んですっきり腑に落ちました。

実は最近、自分の頭の中は環境問題でいっぱいなのに、社交時に環境問題の話しを持ちだすと暗くなってしまい失礼に当たるのでは、と少し悩んでいたのです。環境問題に関する焦燥感から来る義務感と村八分にされたくない社交辞令への気遣いがジレンマになってしまい、ちょっとした葛藤でした。でも、今日のこの発表を読んで、人生への有意義を物凄く実感できる好機として環境運動を勧めてみたらどうだろう、と思ってわくわくして来ました。

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