ブラームスは「サクラ」を知っていたか!?

もうすぐヒューストンのAsia Societyで「Beauty (美) is Universal」と言う音楽イベントで演奏をします。 第二部は「歌心は共通語」と言うテーマで、ブラームスの作品をご紹介します。 この曲、お聞きになって見てください! 似てると思いませんか? アメリカ人の音楽愛好家にこの二つの曲を並べて演奏差し上げたところ 「ブラームスは日本の曲を知っていたのか?」と実にごもっともなご質問を受けました。 プッチーニは「蝶々夫人」を書くとき「君が代」や「サクラ」を起用しています。 「蝶々夫人」は1903年の作品で、ブラームスの作品116は1892年なので、ブラームスが蝶々夫人を聞いて...と言う可能性はないのですが、プッチーニの出典先をブラームスが知っていたと言う可能性は...? 調べてみました。 Rudolf Dittrich(1861-1919)と言うオーストリア人が明治幕府に元でヴァイオリンとピアノの教師として1888年から1894年まで日本で活動しています。彼がオーストリアに帰還した後、1894年と1895年に出版した日本の歌のコレクションがあります。この出版物を参考にプッチーニはサクラを「蝶々夫人」で起用しています。しかしブラームスの作品116は1892年!!ニアミス! やはりブラームスは、少なくとも作品116を書いた段階でサクラを知りうる可能性はほぼ皆無だった、と言うことです。チャンチャン♪ ちなみに1892年に日本で、日本在住の外国人向けと、西洋の楽譜を学びたい日本人のために、日本の民謡などを集めた出版がありますが、これがブラームスの手元に、しかも作品116を書く直前に届く可能性も微小です。あとでもう少しちゃんと調べる(かも知れない)ので、一応下に、この出版物の情報を載せます。 Nagai, Y., and Kobatake, K., Japanese Popular Music, A Collection of the Popular Music of Japan Rendered in to the Staff Notation, S. Miki & Co., Nos. 106 and 107 Shinsaibashi Road, Osaka, 1892.

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