最近ロスでは、早朝犬を散歩している人が厚手の長袖を着込んで寒そうに首をすくめています。それもそのはず。頂いた月餅でお月見を祝ったのが10月6日—もう10日前です。ちょうどその頃いくつか演奏会があり、月と地球が最接近する「スーパームーン」と中秋節にちなんで「月光」のソナタ全三楽章を何度か演奏しました。

有名なピアノソナタ14番「月光」が出版されたのは1801年。ベートーヴェンの為に補聴器も作った発明家メルツェルがメトロノームの特許を取ったのは1816年ですから、まだメトロノームという概念すらない時代に作曲されています。産業革命の発展と共に時計は一般化したようですが、1801年といえばまだ時計が無い家庭もあったのでしょう。時計が無い生活って、皆さん想像できますか。起床から就寝まで、仕事をするのも人を待つのも物思いに耽るのも、全く違う感覚だったような気がします。太陽の位置や月の満ち欠け、遠くの教会の鐘の音などが時間を司った時代、ベートーヴェン自身はどんなテンポでこの曲を弾いたのでしょうか。
考えてみると時間の体感というのは極めて主観的なものですよね。「Time flies when you’re having fun」「光陰矢の如し」「一日千秋」…時間の主観性は万国共通です。2分半の曲を弾き終えて長旅から帰って来たような気がするときもあります。音楽は一瞬に永遠を垣間見せたり、長時間の苦労を軽減したりします。時計で時間を計測する事は時空を超えた合意には有意義ですが、我々の生活の質や幸福感・充実感にはどのような影響があるのでしょうか。
メトロノームを使って練習した後メトロノームを消して弾いてみると、自分の耳がいかにメトロノームに集中していたか、音楽を音楽として聴かなくなっていたかに気が付きます。音楽を再認識した時の解放感はすごいです。そしてやっと気が付けるのです。正確さや速度に集中して技術を極めることは手段に過ぎない。最終目的は音楽に献身する心。
人生も同じではないでしょうか。
この記事は日刊サンに隔週で連載中のコラム「ピアノの道」♯163(10月19日付)を基にしています。


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