2025年—終戦・原爆80周年記念—が幕を閉じようとしています。
「被爆樹木」をご存知でしょうか。1945年、広島や長崎で原爆爆心地から数キロの距離にありながら生き続けた樹木です。その種や苗から育てられた「平和の木」は国内外に植樹され平和の大切さ訴えています。今年は私も広島被爆者の孫として、そして在米36年の日本人ピアニストとして平和をテーマにした演奏会を日米各地で演奏しました。

ピアノで平和や環境運動を訴えることに疑問や無力感を感じることが全く無いと言えばウソになります。でもそんな私に勇気をくれるのは20代の時にNYで出会ったチベットのお坊さんたちです。世界中で避難民生活を余儀なくされながらもう75年も一貫して非暴力でチベット開放を訴える彼らに勧められたチベットの映画に、高齢の僧侶が5歳位の小僧さんたちに講和を説くこんなシーンがあったのです。
高僧「世界は厳しいものです。地面には石ころやとげの生えた植物が沢山—裸足で歩いたら血だらけになってしまいます。どうしましょうか。歩くのを辞めますか?地上を全部やわらかい皮で覆いますか?」
小僧さんたち「無理で~す。」「広すぎます!」
高僧「じゃあどうしましょうか?」
小僧さん「足を皮で覆えばよいです!」
私を泣かせたこのシーン。後にこの教えは8世紀インド仏教の思想家シャンティデーヴァ(寂天)の『入菩薩行論』の講和だということを知りました。でも私を泣かせたのはこの小僧さんたちの無邪気さです。最近よく思い出すのです。そして思うに、音楽も平和樹木も足を覆う皮の様な、人情の形なのではないでしょうか。
来年2026年はアメリカ独立宣言が署名されてから250年目です。

1776年7月4日といえば、バッハ死後26年目、モーツァルト20歳、ベートーヴェン5歳。左のイメージの服装と髪型だけですでに、時代の移り変わりを如実に感じませんか?
1700年にプロトタイプ第一号が生まれ、産業革命と共に進化したピアノという楽器のレパートリーは王政や宗教の弱体や、都市化・機械化の発展など様々な歴史の側面を反映していて「聴覚タイムトラベル」をさせてくれます。
この記事は日刊サンに隔週で連載中のコラム「ピアノの道」♯167(12月21日に発表)を基にしています。


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