美笑日記1.30:意外性を楽しむ音楽

このブログエントリーは日刊サンに連載させて頂いて3年目になる私のコラム「ピアノの道」の2月5日発表の記事を基にしています。

音と音楽の違いって、何でしょう。

自分の演奏経験や音楽修行や、音楽の認知心理学や生態音楽学などを照らし合わせて、今の私が思う単なる音以上の音楽とは「快楽を見出せる音のパターン」です。

ではパターンを成す音は全て音楽かというと、違います。例えば道路工事の『ドドドドド』。パターンはありますが変化が無さすぎる上、快楽を見出すには音量が大きすぎる。一般的には騒音です。勿論、これは受け取り手によって変わります。例えば乗り物や機械が大好きな幼児や、道路工事夫さんに憧れる小学生は『ドドドドド』で胸が躍るかも知れない。こういう聴き手にとっては『ドドドドド』は音楽に成り得ます。

でも、音のパターンは単調すぎると時間と共に無意味になります。パターンの設立でまず人は安心します。飛び乗った電車。ああ~、間に合った~。ガタンゴトン。電車で眠くなるのは、最初は安心するこの聞きなれたガタンゴトンがすぐに退屈になるから、だそうです。逆に小難しい講義や、理解できない外国語は、パターン認識が叶わず、こちらもまた眠くなります。音楽とはパターンと意外性の兼ね合わせで遊ぶ発信者と受信者の間に起こるコミュニケーションゲームと言っても良いでしょう。

MITやハーバード・スタンフォードなどの米名門校で最近音楽授業が盛んなのは、どうしてでしょうか。「世界のエリートはなぜ『美意識』を鍛えるのか?」で山口周氏は、過去に基づいたデータや価値観が参考にならない不透明性が高い未来を控えて「目の前でまかり通っている評価や判断基準を『相対化できる知性』」すなわち美意識が、これからのリーダーには必要だ、としています。現存のパターンを認識しつつ、意外性の到来を待ち受け、その挑戦を楽しみ、そして活かす。音楽の教養には、実は重要な人生訓があるのです。

この記事の英訳はこちらでお読み頂けます。https://musicalmakiko.com/en/life-of-a-pianist/2850

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