「王様の耳はロバの耳‼」
王様の秘密を知ってしまった床屋が黙秘の重圧に耐えきれず命の危険を冒して叫ぶという内容の昔話は紀元前ギリシャ神話から中世の韓国、中東、欧州と世界各地にあります。命に代えても真実を知りたい、伝達したい―この普遍的な人間性が似たような昔話として世界中に言い伝えられているのでしょうか。そしてアメリカの権利章典(Bill of Rights)に於いて「言論・報道・信仰の自由、および平穏な集会や政府への苦情の権利」を第一条として保証するのも表現力を人間性の大切な一部と認めるからではないでしょうか。
数か月後に迫ったアメリカ大統領選挙が感情的な分断を引き起こしている理由はいくつかあるでしょう。SNSのセンセーショナリズムと誤報 (misinformation)や煽動。 生成AIの発展と共に悪化するや偽情報 (disinformation)。更に保守系シンクタンク、ヘリテージ財団がトランプ勝利の場合に政策として推進するとされる「プロジェクト2025」には、私のような米国在住の有色人種・移民・女性に危機感を抱かせる言及が多くみられます。キリスト教の解釈に基づいた倫理観を法律として全国民に執行すべきという一派の主張は、違う宗教観や倫理観を持つ人びとの信仰の自由を侵害し、「政教分離原則」に矛盾します。更に「プロジェクト2025」は女性・有色人種・性的マイノリティー・移民・経済的弱者などの社会参加を難しくすることで多様性を減退させます。
ベートーヴェンの音楽が爆発的に流行した歴史的背景には、歌詞がない器楽曲が当時ウィーンで厳しかった検閲の対象にならず、検閲のために他の芸術形態には当時なかった表現の自由を謳歌して人々の鬱憤を代弁したという見解があります。
Liberty is meaningless where the right to utter one’s thoughts and opinions has ceased to exist. That, of all rights, is the dread of tyrants. It is the right which they first of all strike down. They know its power. Thrones, dominions, principalities, and powers, founded in injustice and wrong, are sure to tremble, if men are allowed to reason of righteousness, temperance, and of a judgment to come in their presence. (自分の考えや見解を表現する権利がなくしては、自由は無意味になる。暴君は表現の自由を恐れる。暴君が最初に無効にする人権がこれだ。その威力を知っているからだ。罪と不正に根付いた王座や国や領土は、正義や自制や分別の主張を勝ち得た人民の前に揺らぐ。)
ーA Plea for Free Speech in Boston (1860) by Frederick Douglass*
フレデリック・ダグラス(1818~1895)
メリーランドに奴隷として生まれ20代でNYに脱出し、奴隷制度廃止運動の重鎮となる。
抑圧されればされるほど自己破壊的なほど爆発的な表現欲求に突き動かされる我々は、自由の中では探求心と発明を持って社会を発展させる力をも発揮します。手を取り合って将来を築き上げていく―それが人間の本来のあるべき姿だと信じています。音楽万歳。
この記事の英訳はこちらでお読みいただけます。https://musicalmakiko.com/en/life-of-a-pianist/3295
このブログエントリーは日刊サンに隔週で連載中のコラム「ピアノの道」のエントリー136として9月1日に発表される記事を基にしています。