最近、旅行が多いです。

プロとして乞われて行く音楽活動の旅行もありますが、自分の模索の旅もあります。何を模索しているかと言うと...

  • 音楽の社会的役割
    • 音楽と人間性の関係
    • 音楽と幸福感(向上心・充足感・自己肯定感)の関係
  • 自分の持つ技術と知識と気持ちをどうやって使えば一番世のため人のためになれるのか。
  • 私が感じる西洋音楽の伝統の歪みをどうやって受け止めてこれから活動していくのか。

まず、「私が感じる西洋音楽の歪み」について簡単にご説明します。

18世紀半ばにファインアーツ(純粋芸術)なるものが確率され、大衆芸術(いわゆる娯楽)や応用芸術(工芸:実際に日常生活に役に立つ作品)に対して、「美の追求のためのみに存在する芸術」と定義されました。絵画・彫刻・建築・詩に並んで音楽がこのファインアーツの一部となったことが、私が言う「西洋音楽の歪み」の根本です。

娯楽性や生活への用途が無い音楽は、自分自身を正当化するためにエリート主義に走ります。歌詞やタイトルなどの分かりやすさが排除されていき、抽象的で困難であればあるほど高尚だとされます。器楽曲(ソナタや交響曲)が一番抽象性が高いとされ、こういうジャンルでもどんどん音の密度が高くなり、曲がどんどん長くなります。私は一生これらのジャンルを勉強して来たものとして、例えばベートーヴェンのソナタにはそういう媒体でしか到達し得なかった美や精神性があると思っています。でも、エリート主義には二つの危険性があります。排他主義と「裸の王様」現象です。「これが分からなければお前は価値がない」と言う主張ー「分かります!素晴らしい!」と言うことを強要する押しつけがましさです。こういうエリート主義の副作用として、クラシック音楽史と現業界での人種差別や女性蔑視、さらにはその結果としてのパワハラやセクハラの横行がある、と私は#MeTooなどの活動を通じて主張しています。さらに、帝国主義的な文化のヒエルアーキ―の押しつけの背景には一神教が在ると考えています。そして、西洋化が進む単一民族国家に於けるこういう歴史的背景の影響と言うものの一つとして、日本でのいじめや毒親と言った社会現象があるのではないかと思っています。

私がこういう見解に至ったのは、2017年に取得した博士号のための論文リサーチを通じてです。つい最近の事です。自分のリサーチで始めて知ったこういう背景を受けて私は「東洋人女性として、自分はピアニストを辞めるべきではないか」と悩みました。が、脳神経科学に於ける音楽の効用の研究に携わる事で、「世界の共通語」としての音楽、そして音楽の治癒効果を確認でき、自分の今まで受けてきた世界的教育と、奏者としての経験、そしてその結果持つ自分の技術を世のため人のために役立てよう、と決めました。

ここで私が言う「音楽」は西洋クラシック音楽を含む、全ての音楽一般です。でも、私は「クラシック馬鹿」として3歳から今までずっと西洋クラシックだけを朝から晩まで検証・修行して来たので、他のジャンルを全く知りません。例えば私はU2のボノに会った事が在るのですが、彼が誰だか全く知りませんでした。そして世のため人のために自分の経験と技術を活かしたいと言っても、本当に音楽馬鹿なので、社会のニーズを勉強するところから始めなければいけません。

その模索の一環として、2017年に日米リーダーシッププログラムへの参加をし、今回はそのご縁でブータンに10月18日から23日まで同行いたします。ブータンはGNH(Gross National Happiness国民総幸福量)を政策の中心に据える国家です。特に伝統文化はGNHの柱とされ、国家を挙げて伝統文化を守る事に力を入れているそうです。その一方、1999年以降それまでの事実上鎖国状態が解除されて以降、若者の伝統文化離れが悩みの種でもあるそうです。(参照文献

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ブータンは料理が辛いのも有名だそうです!

近代化が進む中、学校教育に音楽などの情操教育が取り入れられたそうですが、インターネット出てくる情報を見ていると主に教育されているのは西洋音楽の様です。2005年に設立された国立音楽学校もあります。NPOとして運営され、主に幼児教育に力を入れているようです。なぜかどちらにも日本人教師の名前が圧倒的に多いです。

西洋音楽は教育しやすいです。まず、歴史的に一番最初の記譜法を確立した音楽様式だ、と言うことがあります。(注:メソポタミア文明などにはまだ解読不可の記譜法が在ったと言う形跡もありますが、西洋音楽の記譜法は備忘録ではなく、その音楽を聴いたことが無い物が記譜法だけで音楽を再現できる、高度なシステムです。)多くの伝統音楽では音楽は口承文化です。このやり方だと教育と伝統継承が難しいのです。西洋音楽が他の音楽に比べて強い理由の根本はここにあると思います。次に、楽器が世界的に大量生産されているため、比較的発展途上国に出荷しやすいと言う事実あります。教育者に関しても同じく、です。問題は私が最初に提唱した西洋音楽のエリート主義です。西洋音楽とその土地の伝統音楽が共存しにくい場合がある、と言うことです。例えば国立音楽学校のサイトには生徒の演奏のヴィデオがいくつかありますが、「エリーゼのために」や「Over the Rainbow」と言った西洋音楽ばかりです。

私は、ブータンでは教えて頂く人になりたいと思います。伝統音楽を始めとする伝統文化に触れ、ブータンの生活の中に生きる習慣に美学を学び、文化と社会、国民性、個人のアイデンティティーと言ったものの関係について再考したいと思います。頼まれれば喜んで自分の見解や音楽を提供いたしますが、それぞれのジャンルの音楽が自尊心を持って発展していくために、音楽の植民地化を避けるために自分ができることは何か、しっかり考えたいと思います。


2 responses to “ブータンに行ってきます。”

  1. 小川 久男 Avatar
    小川 久男

    よどみのない文章は読んでいて楽しくなります。
    ブータン行きは、きっと人生の転換期になります。
    西洋音楽が馴染みでない方々に音楽の魅力を伝えることができるからです。

    初めて音色を聴く子ども達の澄んだ目を見れば
    ピアニストを目指した自分自身が蘇るからです。
    迷ったら原点に戻れ。

    そこには邪心のない自分があります。
    邪心を超克すると澄明な心となり音の響きとなって人々を魅了します。

    迷いは生きていればこその贅沢です。
    艱難辛苦は芸術家であれば当然の責務です。
    呻吟懊悩してこそ芸術家と名乗れるのです。

    人生は長い。
    純真な子供たちに感動を与えてください。
    期待しています。

    小川 久男

    1. Makiko Hirata Avatar
      Makiko Hirata

      コメント、ありがとうございます。ブータンでの発見、またご報告させて頂きます。
      いつも応援していただき、本当に励みになっています。
      平田真希子

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