- 6月25日(木)全米で新感染者数が新記録の3万7千77人以上。
- コロナ感染検査の検査場がフル回転でも間に合わなくなりつつある。
- 特にアリゾナ州で状況深刻化。
- C.D.C.(米国疾病予防管理センター)の管理長:抗体テストの結果全米の感染者数は実際の10分の一ほど。
朝練ライブ配信:2日目。
朝起きたら7:45分!(寝過ごした!)心臓をバクバクさせながらコンピューターに走って行ったら「Where are you?」「待っていたのに…」とYouTubeに沢山のコメントが…(ああ、やってもうた…)とがっくり…する夢を見て目が覚めました。
時計を見ると目覚まし時計より15分早い、朝5時15分。…眠い!
私は元々超朝型人間で、夜なべするより朝4時起きで作業したいタイプです。朝は生産性が高い貴重な時間で、寝床から飛び起きて練習を始めたり、執筆したりという生活が普通でした。でもコロナで演奏会や旅行がキャンセルになり、心身管理が最優先事項になって、朝は眠れるだけ寝てから運動と瞑想のセルフケアに充てるという生活を100日間続けて、ちょっと怠け癖が付いているのかも知れません。
予定より15分早く起きたのにも関わらず、朝のストレッチ、着替え、歯磨き、機材チェック…とこなしていたらウォームアップする暇なく6時のライブ配信開始。体と頭がまだ眠っています。
昨日決めた通り今朝はゴルトベルグ変奏曲のアリア。大好きな曲だし、喋る事も一杯ありすぎるくらいあります。30分はあっという間。でも、ライブ配信の最後に「明日の予告」と言って変奏曲一番を演奏したら、ボロボロ間違えてしまいました。
YouTubeはライブ配信を消去する選択肢もあります。また、最初と最後を短縮するなどの簡単な編集機能もあります。これは消すべきなのか…?プロの演奏家としてはいつもこうだとは思われたくない。体も頭もまだ半覚醒なんです!言い訳をしたい。
そしてクラシック音楽の完璧主義文化で育ってきた背景がこんな自分を容赦なく叱咤します。(言い訳する暇に練習!)(自分を甘やかすな!)(どんな状態でも完璧に弾けるまでになれ!)
一方、そのクラシックの「完璧主義」に抗って、ありのままの自分をさらけ出したい自分もいる。そうする事でクラシックの敷居の高さ、エリート主義、非現実性を払拭できるのでは…?という淡い希望的観測もある。
最近書いた手紙から抜粋させて頂きます。
〔ミス〕は結婚式の最中に誰にでも聞こえるくらいの大きなおならをしてしまうくらい恥ずかしく感じるべきことだ、という教育を私たちクラシック奏者は受けて来ています。しかも、みんながおならが聞こえなかったフリをするので、謝る事すらできません。…これが本当につらいです。もしかしたらみんな結婚式に感動して、気が付かなかったのかも知れない。あるいは、おならではない何か別の音だと納得しているのかもしれない。でも自分は知っている。そしてみんな本当は知っているのではないかと疑心暗鬼になってしまう…でも、実際には結婚式の大義に於いて、おならは取るに足らない事なのです。おならをした本人だけにとっての大事件。そしてそれを大事件にするのは、本人のエゴに他なりません。
演奏に於いて完璧というのはあり得ない、というのがピアノの道を40年以上歩き続けている今の私の考えです。完璧を目指す事には意義があるのです。『美』の概念には完璧はあり得ませんが、技術的にはあり得る。例えば「ミスが全くない」と言うのは一つの完璧です。ただ、ミスを無くすことのみを目標にしてしまうと、そこで見えなくなってしまうものが出てくる。それと同じで「完璧」を目標にしてしまうと、そこで犠牲になるものが出てくると思うのです。
完璧を目指しているのであれば、私は多分ユーチューバーを目指さない。朝練ライブ配信もやらない。私が目指している理想音楽家像は、ヒーラーです。圧倒的な技術を誇る曲芸的なピアニストではない。私は音楽のこころを発信して世のため人のためになりたい、と願っています。
でもボロボロの演奏をYouTubeに残しといたら、幻滅してしまいますか?やはり間違えだけでも消すべきでしょうか?アンケートにお応え願えますか?編集していない、ありのままの今朝の画像をすぐ下に、そしてアンケートを画像の下に上げます。間違えは最後5分の所です。ご協力よろしくお願いいたします。
(アンケートのご協力、ありがとうございました。アンケート開始から12時間後時点で圧倒的に「消すべき」とのご回答が多かったので、今消しています。でも今後の参考のためにも一般的な考えとして間違えは直すべきか否か、ご回答がまだの方、お考えをお聞かせ願えれば幸いです。ありがとうございます。)
今日は、山田耕筰の「黎明の観経」の録音を上げました。
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