明鏡日記㉜:天才バカボンと伊豆の踊子

真宗大谷派 蓮光寺 お寺の出来事~如是我聞~

私が自分をどういうキャラと見ているかというと、こういうキャラです。

ところが、本を書いている上でどうしてもバランスの為に入れた方が良い逸話があり、もう何十年も忘れていた昔話をつらつら思い起こし始めてびっくり仰天!私は旅先で歯が浮くような恋愛を申し訳ないほど、いくつもいくつもしているのです。

もう20年とかそれくらい前の話しがほとんどです。手紙や写真などをひっくり返していると「夜、誰も居ないホールに入ってピアノの鍵盤に触れ、数時間前まで君の指がその鍵盤を触っていたことに想いを馳せました...」という手紙(あくまで英語です)まで、もらってしまっていた...

ひょ、ひょえ~~~!!

どうしてこういう事が起こり得るんだ!!私はキャラ的にも容姿的にも、そこまで変わっていないはずだ。昔は絶世の美女だったとかそういう事は絶対にない。いつも「がっはっは」という感じで生きてきたつもり。そのマキコが、なぜ!?

そして思い当たったのです。

吉永小百合と山口百恵の「伊豆の踊子」を見て 下 : whomeohのblog長崎ぶらぶら平和日記

自覚的には「天才バカボン」でも、状況的には「伊豆の踊子」だったのだ...

18歳でのボリビア国立交響楽団とのボリビア国内ツアーを皮切りに、私は30代まで欧米を演奏旅行して周っていました。「国際演奏旅行」と言えば聞こえは良いけれど、実状は低賃金のドサ回り。要するに私は旅芸人だった訳です。

低賃金なので、付き人とかもいません。ハンガリーとかイタリアとかトルコとかの片田舎を東洋人女性が一人でほっつき歩いていたら、そりゃ目立ちます。しかも職業柄、時々化粧をして時代錯誤で文字通り『非常』なドレスを着たり、スポットライトを当てられたりします。更に「音楽家」と言えば、天才バカボンも伊豆の踊子と間違われてしまうのです。

「あなたは『伊豆の踊子』さんですね!ずっとあなたを探し求めて生きてきました!」と息巻かれたら、天才バカボンだって人の子です。勢いに押されて伊豆の踊子を演じてしまったりもするのです。

なぜ伊豆の踊子が魅力的か。それは、結局終わりが見える、一時的な人間関係だからではないでしょうか。だから社会の常識や束縛から自由になって自分をさらけ出せる。私は実に実に色々な人の打ち明け話しを聴きました。これは恋愛感情抜きでもそうでした。18歳の時に60代くらいの女性から浮気の話しをされた時から、(これは私の様なアウトサイダーの役回りなんだ)と納得してきたつもりです。でも恋愛感情が少しでも絡むと、しかもそれが両想いだったりすると、状況はやや複雑化します。刹那的な恋愛感情は「将来」とか「永久」とか「前世・来世」とか、幻想的に燃え上がってしまうからです。

う~ん、苦しかったなあ。そして苦しい思いも色々させたのだろうな~。

粗筋をザっと思い出してる間はにやにやして(いや~、マキコも結構モテてたんだね~)と楽しい気持ちになったりしますが、もう少し深入りして思い出し始めると涙が滲んで来たりもします。天才バカボンにだって人情はあります。

ところで今日は、渡米記念日32年目でした。渡米記念については去年詳しく書いたので、今年は割愛。記念に野の君と家庭菜園を始めました。西瓜とズッキーニとメスクリン!

今は本の執筆と2週間後に迫った学会発表の準備が主な仕事です。学会の為の研究内容のヴィデオがこちら。ゴルトベルグ変奏曲は脳のサーキットトレーニング!?このヴィデオはかなりこだわって編集しました。2019年にヒューストンメソディストの研究チームと一緒に行ったリサーチです。

日付けを見ると、まだ渡米して一年経っていない平田家の女性3人。私はやっぱりあの頃から天才バカボンでした。

2 thoughts on “明鏡日記㉜:天才バカボンと伊豆の踊子”

  1. 小川 久男

    お疲れ様です。

    天才バカボン的マキコは脳科学者だ。
    脳の仕組みが解るから知識が集中した。
    ピアニストに学者の知識が智慧となって共鳴した。
    ゆえに、偉大な芸術家が誕生した。

    小川久男

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