生まれて初めてのことをするのは、ドキドキする。
今日、私は生まれて初めて自分で髪を染めました。
実は(ここは後で編集で削るかも知れない告白ですが)白髪が出て来てちょっと悩みの種だったのです。勇気を出して薬局に行き、薬品を買い、説明書を読み、そして小一時間かけてやってみました。結果は大成功!こんなに簡単ならもっと早くやってみれば良かった。
一般的に皆どうなのか興味がありますが、私は何でも初めてのことをやるのは大好きです。我を忘れて没頭してしまいます。今回だって単純に説明書の言うとおり簡単な作業をするだけなのですが、その一々に感心して、そして約束通りの結果に非常に感動して本当に一日中嬉しくなってしまいます。私が旅が好きなのも同じ理屈かも知れません。私は良く旅行中に周りの景色や人間観察や、見たことの無い新しい飛行機の機能などに熱中の余り、何のためにどこに行くのかをすっかり忘れている自分にハッと気がつくことが多々あります。例えば演奏会の為に移動している時など、そう言う道中の事柄にすっかり気を取られて興奮する最中、突然(いけない!明日はどこそこで演奏会だった。ちょっとここで寝ておかないと)と思いだしたりします。そう言う新しい興奮がなるたけ多い人生が送りたいなあ、と常日頃思います。
でも、「ワクワクする新鮮な要素を発見する」と言うのは、同じものに囲まれていても才能と叡智によって、出来るものらしい、とここで話しを音楽に飛躍させます。パブロ・カサルスは何十年も毎朝、平均律の前奏曲とフーガを弾いていたそうです。あるインタビューで「飽きないのですか?」と聞かれた時、カサルスは「全然。毎日新しい発見があります。」と答えたそうです。カサルスが凄いのか、バッハが凄いのか。多分両方でしょう。私はまだ全然その域に達せず、練習している曲にマンネリしてしまい、レッスンで先生の指摘によって見えてなかった部分が分かって慌てることがしばしばあります。そういう自分を向上するべく、私は新年明けてから大体毎日、カサルスに見習って平均律を一曲ずつ弾いて行っています。
今、立花隆さんと色々な専門家との対談集、「マザーネイチャーズ・トーク」と言うのを読んでいるのですが、その中で河合隼雄さんが「夢」(夜見る方の夢です)と、芸術の必要性について面白いことを言っていました。
1)人間には自己破壊的な要素がある。
2)その自己破壊的な要素を発散させる手段の一つとして、夢がある。夢は自分の全存在がかかっている(例えば、夢を見て人は実際に泣いたりする)ので、ある種の「体験」だと言うことが出来る。
3)芸術には作者の意図を超えて、鑑賞者が自己投影をすることが出来る包容力があるので、夢と同じような、人間の自己破壊的要素を発散出来る力がある。
芸術には作者の意図した以上のことが在り得る。
これは、私が常日頃考えている芸術と娯楽の違いの一つの大きな定義となりえるのでは?
そして、もう一つ。
芸術をやっている以上、同じ曲を何年弾こうが、毎日新しい自分を投影しなければいけない。
惰性で弾いてはいけない。
ロスには珍しく、このごろ雨や曇り空が多かったのですが、今日は抜けるような空の気持ち良い日でした。
こういう日は、ブログも含めて全てに力が入ります。
わたしの頭はほとんど真っ白です!
それはさておき、マキコさんはこどものように
好奇心・知識欲が旺盛ですね、感心します。
「芸術には作者の意図した以上のことが在り得る。」これなんですが、実はわたしもずい分前から考えていました。そのことについて書くと
長くなりそうでここではむりですが、確かに
作者を超えるよう思います。
ベンヤミンの「複製技術時代の芸術作品」を
読んでみようかな、勉強したくなりました。
いままでなんども途中でほうりだしていたので。
>abbrosさん
ありがとうございます!
「子供の様な好奇心」と言うのは、常日頃意識して自分に求めている要素です。「我を忘れる」瞬間を一つでも多く持とう、と言うのは私の人生目標の一つなのです。でも、そのおかげでしょっちゅう道に迷ったり、道草を食ったりと言う事実もあります。ハハハ
ベンヤミンの「複製技術時代の芸術作品」に関してちょっとグーグルしました。斜め読みですが、(正に!)と言う感じです。ところでベンヤミンと関係してフランクフルト学派のアドルノの名前が出ていましたが、この人、作曲家のベルグ(「ヴォツェック」と言うオペラが一番有名です)に音楽を習った、ってご存知でしたか?こういう風に色々な分野が歴史的に交差するのって当たり前なんですけど、嬉しいですね。
abbrosさんのコメントにはいつも触発されています。本当に感謝です。
マキコ
アドルノが美学関係の研究もやっているのは知っていましたが、ベルクに音楽を習っていたことは初耳でした。ベルクやマーラーについての著作もあるんですね。うーんやっぱり勉強しようかな。