「お洒落をする」と言うことと、芥川龍之介の「鼻」

私は新しい所で新しい事を始めるたびに、新しい自分になってみたくなる。
タングルウッドに来たら、きちんとお洒落をする手間をかける、おしとやかな女性になろう、と思っていた。日本の百円ショップなどで、沢山ヘア・バンドや小物を買ったし、タングルウッドにもチャンとアクセサリーや化粧品を持ってきた。
私はかなり長いこと貧困生活を送っていた。
もっとずっと若い時、必要に駆られてと言うよりは哲学的に、「生きていく最低限でやって行こう」と決めたので在る。一時期はトイレット・ペーパーは「生きていくために必要なもの」のカテゴリーに入っていなかったので。。。(割愛)。そんな訳で、ずっと服は人からのお下がりや、古着屋さんで必要に駆られて買ったもの(冬のコートや演奏会用のドレス)とか、そして化粧は演奏以外の時はせず、と、そう言う感じで生きてきた。その哲学が「余裕と言うものが生み出すものは大きい」と言う風に長年かけて進化して来たのを、この頃感じるのである。特に美人ではないけれど、魅力のある女性、と言うのが在る。そう言うのに憧れて、自分も成ってみたくなったのだ。ちょっと気のきいた小物の使い方や、身のこなし方、服の着こなし方で、贅沢ではないけれど、周りを嬉しくしてくれるような輝きを持つ人。
タングルウッド一日目の朝、私には珍しく、良いにおいのするクリームを塗って、唇にグロスを乗って、この日の為に買っておいたおニューのジーンズと白いシャツを着て、一日過ごしてみた。ところが、何だか自意識過剰になってしまうのである。ふ~ん、こういうのもはやはり練習が必要なのだろうか?芥川龍之介の短編、「鼻」を思い出してしまう。異常に大きな鼻を持ったお坊さんが自分の人生の不都合の全ては鼻のせいである、と思い、色々な手段で鼻を少し小さくすることに成功するが、鼻が小さくなったら何だか余計自分の鼻が気になって仕方なく成ってしまった、と言うお話。
今日、二日目は普段通りの服装である。チャンチャン!

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